都坂丸夫

工学部卒業後、食品会社在職中(約20年間)に専門外である農学系の博士号取得。 会社を複数経営して26年が経過しています。 長く生きてきた経験や知識を生かして、食・健康・生活・ビジネス・旅などの 側面から書き記していきたいと考えています。

都坂丸夫

工学部卒業後、食品会社在職中(約20年間)に専門外である農学系の博士号取得。 会社を複数経営して26年が経過しています。 長く生きてきた経験や知識を生かして、食・健康・生活・ビジネス・旅などの 側面から書き記していきたいと考えています。

マガジン

  • 生き抜くために【食】してきた一皿・・・

    国内外で炊事したり外食したりして、生き抜いてきた。 ヒトは食べて生きている!この当たり前のことを食べる度に感じている。 どうせ食べるなら美味しく楽しく食べたいものだ。

最近の記事

フィラデルフィアで喰らう南部風シーフード

フィラデルフィアで5月中旬にシーフードをいただいた。 お店は「Amazing Crub house」https://www.amazingcrabhouse.com/ お店に入ってからシーフードの種類、味付け、辛さの程度をメニューから選択する。 味付けは5種類から選べるが、私のお薦めはケイジャン(Cajun)の味付けだ。 注文を終えて、ソースの飛び散り防止のエプロンを装着してから料理の到着を待つ。 しばし待っていると、熱々の大きなビニール袋が目の前に現れる。 結び目を解く

    • 暖炉の炎と共に過ごす時間

      軽井沢は10月に入ると寒さが増してくる。 早速暖炉に薪をくべる・・・。 その時々で形や勢いを変える炎を見つめながら ウィスキーをロックでチビリチビリと口にする。 誰にも邪魔されない、独り静かな時間を炎と共に過ごすのが好きだ。

      • 私の頭ではどう計算しても原価が合わない、税抜き298円「のり弁」

        夕食は買い出しで済まそうと、軽井沢のスーパーで弁当を購入することに決めた。 様々な種類の惣菜、寿司やおにぎり、サンドイッチがこれでもか!と並んでいる。 その一角を占めていたのが弁当類だ。 パッと見て、「のり弁」が目に飛び込んできた。 「のり弁」はこの数十年前に美味しく食べた記憶がある位で、最近は全く口にしてこなかった。 そんな訳で・・というかもうその時の直感で、 今晩は「のり弁」で乾杯だ!と「のり弁」の山から白身のフライが大きく見えるものをピックアップ・・・。 値段を見て

        • ちょっと・・高めのランチだが満足度は高得点!

          東京の東陽町にあるホテル、イースト21の中華レストラン「桃園」でデザートセット・ランチをいただいた。 メニューを見れば、麺類、ご飯もの・・・が数多く並んでいる。その中から1品を選ぶとそれにデザートとして杏仁豆腐が付いてくるのだという。 取引先を含む、4人でのランチだったのだが私以外は麺類を2人が選び、もう一人は炒飯を選んだ。 私が選んだのは、ずらーっと並ぶ品々の中の最下段に記してあった「海老ワンタンスープ」。 暫し待って出てきた大きめの丼鉢は予想とは異なるモノだった。 見

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        • 生き抜くために【食】してきた一皿・・・
          15本

        記事

          見かけでの判断厳禁・静岡おでん

          御殿場駅近くにある、静岡グルメ&串揚げのお店「ここだらぁ」で静岡おでんをいただいた。 静岡県を代表するB級グルメの一つである静岡おでんを口にするのは私の人生で初めての経験だ。 静岡おでんは濃い口醤油での味付けや、サバやイワシの練りものである黒はんぺんの存在によって真っ黒に色付くその出汁が特徴。 メニュー表に静岡おでんを見つけて人生初の体験に心躍らせる・・・。 知人と2人だったので、竹輪、ダイコン、コンニャク、もち巾着、牛すじ煮込みを2人前ずつ注文する。 目の前に出された小さ

          見かけでの判断厳禁・静岡おでん

          若鶏半身揚げ

          御殿場駅前の居酒屋「酒蔵 五月」で若鶏半身揚げをいただいた。 注文すると「ちょっとお時間かかります」と女将が言う。 「お願いします」と返すと、女将が奥の調理場にいる 大将に「半身揚げ・・頂きました!」と声を掛ける。 しばらくすると、調理場から「ジュワー」っという、恐らく私が注文した半身が油に入れられて揚げ始められた音がしてきた。 その音を楽しみながら、焼き鳥ともつ煮込みを焼酎で食す。 「お待たせしました」と出されたお皿には、食べ易く捌いた熱々の半身が盛られていた。 一口口

          若鶏半身揚げ

          65歳の爺が未来のために心掛けてきたこと

          未来は日々の積み重ねから導き出される。 未来は誰も確実には予測出来ない。 だからこそ未来を明るくするのも暗くするのも 日々生き抜いている一刻一刻が左右していく。 私は既に65年間の人生を歩んで来ているが 今この歳になっても、その先の未来を 日々創り上げていこうと考えている。 そんな私が自分の未来のために若い頃から心掛けて今でも実践している、その心掛けを記してみたい。 ◎  ヒトよりも早い行動 朝起きる時から、ヒトよりも早く、早く・・を心掛ける。 例えば早く行動を開始す

          65歳の爺が未来のために心掛けてきたこと

          誰よりも早く行動してきた事により、私が成長できたのは間違いない。

          朝6時半・・・。 「おはようございます!」 朝の挨拶を交わす・・・。 「都坂さんはいつも早いですね」 「いや、早く来るしか取り柄が無いモノで・・・」 なんていうやり取りも楽しい。 私が勤務していた頃の事だ。 その頃、会社が入っていたビル玄関の解錠時間が 6時半だった。 その時間に合わせて出社して、毎日のように 会社のビルを管理する守衛さんや 清掃員の方々と交わしていたやり取りだ。 挨拶を交わしてから私の机に向かう。 広い事務所には、もちろん誰一人居ない。 段々と事務所が賑

          誰よりも早く行動してきた事により、私が成長できたのは間違いない。

          記されている意味が分からずとも、美味しいモノは美味しい!

          メニューに記されているのは「長崎県 鰆のポワレ」。 漢字に弱い私だが、さかなへんに春・・・は 「さわら」だな、というのはかろうじて分かる。 ポワレ・・・は、何となく良く聞く言葉だが、 ハッキリとは分からなかった。 さらには、「その頭と骨で出汁をとったナージュ」とある。 ナージュ・・・、私には全くの初耳、 全くお恥ずかしい限りである。 ポワレ・・・、ナージュ・・・、頭の中で呟きながら ナイフとフォークを進めていく。 鰆の身にナイフを入れるとその瞬間に身のフワーッとした 感触

          記されている意味が分からずとも、美味しいモノは美味しい!

          日々の積み重ねが、やがて実を結ぶ

          「スペイン語を話せるようになりたい!」 まさか65歳になってから新しい言語を学ぼうと 決めるなんて思ってもみなかった。 スペイン語を話せるようになりたいと考えた理由は 単純だ。 メキシコに長く滞在して、美味しいモノを食べ、 自然に触れ、ヒトと交流して過ごすことが 出来たら良いな・・・その際にメキシコの母国語である スペイン語を話すことが出来れば、 滞在することがより楽しくなるだろうな・・・。 こんな単純な理由からスペイン語の勉強を始めたのが 昨年2022年の夏。 勉強の

          日々の積み重ねが、やがて実を結ぶ

          今日も富士山に見守られて・・・

          昨日までの雨がウソのように晴れ上がった週明けの今日、 私は早朝から御殿場にある工場を目指していた。 大切な方の工場見学と一寸した打ち合わせに立ちあうためだ。 天気予報の通りに朝方から上天気で、東名高速を走りながら富士山の雄姿に出会うのを楽しみにしていた。 東名高速道路下り線で私が最も気に入っている富士山スポットは、大井松田インター付近の下り坂、左手にBIOTOPIAという施設ビルがそびえ建ち、正面にドーンと富士山が現れる・・場所だ。 坂道を下る僅か10秒位の間だが、その雄大

          今日も富士山に見守られて・・・

          夢を描くことに年齢制限は存在しない

          昨年の2022年10月に私は満65歳の誕生日を迎えた。 振り返れば、あっという間の65年間という感覚と もの凄く長い65年間という感覚が交叉する。 65年間の人生を振り返れば様々な思い出が脳裏を横切っていく。 だが私にとって大切なのは、生き抜いてきた65年間の振り返りでは無くて今日この時から始まる私に残された時間の過ごし方、生き抜き方なのだ。 65歳の誕生日を皮切りに、 *人生で2回目の訪問となる40日間のメキシコ旅行を誕生日から約1ヶ月半後の12月初めからする事 *この

          夢を描くことに年齢制限は存在しない

          ヒトの数だけ存在する「未来」は自分の力で創り上げていける

          この世に生を受けてからその命尽きるまで、全ての人々に平等に与えられているものが生き抜いている間に刻まれていく「時間」と、その時間を積み上げて生まれていく「未来」だ。 私は既に65年近く生き抜いてきた。 この世に生まれ落ちた65年前から見れば、私は65年の未来を歩んで来ている。 私には後どれくらいの未来があるのかは知る由も無いが命尽き果てるまでの自分の未来を築いていくために出来ることを、今まで以上に日々積み重ねていきたいと思っている。 私は自分の未来のために何歳になっても夢

          ヒトの数だけ存在する「未来」は自分の力で創り上げていける

          一歩踏み出す方向を勇気持って変えることで、その先の人生が大きく変わっていく!!

          今から遙か昔・・・、 私は大学の4年間を工学部で学び、卒業後の進路を決めようとしていた。 私を含む研究室の仲間は皆一様に、大学院への進学か就職か、就職するなら企業か公務員かを選択する・・・、それが決められた暗黙の人生を歩む方向だから。 公務員なら技系、企業ならメーカーの技術職を目指すというのが我々工学部出身学生にとっての既定の就職路線だった。 だから私が指導教官や仲間に「僕は食品メーカーに就職しようと思う」と伝えた時、研究室全体が失笑に包まれたのだった。 指導教官は企業との

          一歩踏み出す方向を勇気持って変えることで、その先の人生が大きく変わっていく!!

          暑い夏を乗り切るために必須のエアコンディショナーは、業者にお願いして設置するものだと思い込んでいた・・・

          冬場は極寒のフィラデルフィアでもここ最近の夏は猛暑となる日が多くなっている・・・・・という事は聞いていた。 不動産屋によれば、今までは扇風機などで過ごしている人が多かったが、最近では夏の平均気温が上がっているのでエアコンディショナーを設置する人が増えているらしかった。 街を歩けばアパートの窓にエアコンディショナーを設置している部屋が所々に見受けられた。 暑がりの私にとってエアコンディショナーは不可欠であると思えたが、先ずは住まいの形作りを優先しようと、家具などの手配を優先する

          暑い夏を乗り切るために必須のエアコンディショナーは、業者にお願いして設置するものだと思い込んでいた・・・

          「都坂さん、今から寝るのですか?それとも今起きたのですか?」私を良く知るヒト達は、私が寝ている姿を想像できない・・・

          私は会社を興した約25年前から現在に至るまで、海外の国々を仕事として、またプライベートな旅行先として行き来してきた。 また、同じく25年に渡って仕事の関係で海外とのやり取りをメールや電話でしてきた・・・。 海外への出張や旅行、海外とのやり取りの際には、時差が伴うから「時差ボケ」や「時差調整」等に気を遣うことが求められる。 だが幸か不幸か私は「時差ボケ」や「時差調整」に苦しめられたことが無い。 何故、苦しめられないのか・・・それは恐らく私が「ショートスリーパー」であるからだろ

          「都坂さん、今から寝るのですか?それとも今起きたのですか?」私を良く知るヒト達は、私が寝ている姿を想像できない・・・