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僕らが欲しがるべきは、お金でよいのだろうか

複業教員という働き方になってから、「お金」のこと、正規教員だったころよりもずっとずっと考えています。以前も記事に書きました。

百年時代をどのように生きていくのか。それはストレートに考えれば「退職後のお金をどう工面していくか」ということ。だから年金やら保険やらという話になる。あるいは給料のよい働き方という話になる。

けれど我々が最近感じている通り「お金」に縛られるのは危険ですし、我々はお金と上手く付き合うこともできるはず。

このツイートに書いた内容を、この記事ではもう少し詳述します。


改めて、生きていくために必要なもの

衣・食・住。

最低限のサバイバルという意味ではこの三つですが、ある程度幸せに暮らしたい。そうなるとさらに、ネット環境と人とのかかわりが加わるのだと思います。それと多少のお金。自然を感じられること。

家は、空き家が増えるから金額も下がるでしょう。ネット環境はもはやインフラで必需品。

人とのかかわりも幸福には大きな要因で、例えば仕事をいっしょにしたり、畑の作物を分け合ったり、そうしたことが関係性に温かさをもたらしてくれる。

僕はこの本も映画も大好きで。お金は無くても、いやむしろ無い方が(忘れた方が)豊かな暮らしをすることが出来るのだと感じます。

空き家が増え、オートメーションが進んでいくのは避けられない時代の流れ。お金を払う場面はどんどん減り、お金の必要性はどんどん下がっていくのでしょう。


お金を第一にしてしまうと大切なものを見落とす気がする

老後のために貯金・運用。2000万円問題。これらはまるで、お金があれば心配はいらないと言っているようです。

でもそこで第一にしている「お金」の価値はきっと下がってくる。

食べ物を手に入れる時も、お金がたくさんあれば買い物で済ませようとするでしょう。その時にする会話はきっと「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」だけ。

お金が無くて(あってももちろんよいのですが)畑をしていたら、隣で農作業をしている人や、物々交換する相手ともう少し豊かなやり取りをするでしょう。

あれ、「お金」ばかりでない暮らしの方が、むしろ幸せで豊かそうじゃない?

クルミドコーヒー影山さんの本にもあるように、「お金」の関係ってその場だけなのかもしれない。金の切れ目が縁の切れ目。

その意味でもやっぱり僕は「お金」よりはるかに、それでほしいものを「温かな関係を伴って手に入れられる」能力や、大切にしたいと思わせてくれる人間関係や思い出なんかの方を大切にしたいと思うんですね。

ということで冒頭のツイートです。


無視できない「お金」だからこそ、その付き合い方には意思をもっていたい

僕は自分の未来とお金について、そんな風に考えています。

偉そうですが、どれも人の話や本の受け売りです。僕なりに要素を合わせただけ。

※この本は読みやすかったです。

書かれているように、そもそも「お金をかけない暮らし方」をすることが一番。やっぱりミニマリストの話につながる…


無視できない「お金」だからこそ、その付き合い方には意思をもっていたいと思います。

大きな意味で、これも「生存戦略」の話。よければ併せてお読みください。


最近ちょっと吹っ切れてきまして、シロウト考えだろうが未熟だろうが、自分は自分なりにやっているのだから発信してみたらよいのではないかと思うようになってきました。

「おっ」と思ったら。

この記事へのコメント、あるいはTwitterなどでおしらせいただけたら嬉しく思います。


追記:ほとんど同じことが書いてある本に出逢いました。

しかもこの方、僕が今住んでいる街にお住まいだったようで。お世話になっているカフェマスターが「読んでみて」と貸してくれた一冊なのですが、なんだかご縁を感じます。

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