できれば最後はこんな風に。
教員をしていましたから、別れ方にはこだわりがあるのです。
(自分の必要性を消していきつつ、子ども達に良い別れが起きるようにする仕事ですから)
人間関係や感情の機微をずっと気にしてやってきましたから、それもまた僕にとって別れを特別にさせるのです。
フォルケホイスコーレ最終日。離れると決めてから2週間。
(こう思えたから、期間より早く学校を出ることにしました。本日12/7日本に向けて出発です)
2週間をこんな風に過ごしてきたから、良い形でしめくくれそうです。
別れを最終日にまで持ちこさない。
最終日は絶対に慌ただしくなるから。あの人と話したいのに違う誰かが入ってくるかもしれないから。
好きだったこの時間、この関係を再現することが「さあ気持ちを伝えよう」と思った途端に難しくなる。これまであんなに自然で簡単だったのに。
今度でいいかって後回しにした瞬間、タイミングは逃げる。
それで伝える機会を逃したり、慌ただしさの中で言葉たらずになったり。そういうことが何度かあって、もう嫌だと思うのです。
自分にとって特別な人なら、相手にだってたくさんの言葉がきっとあって。なのに自分が話すことばかりを考えてしまうから。時間は本当に、本当にたっぷりと。
その人の言葉を沁み込ませる時間もふくめて、たっぷりと。
少なくとも1週間、できれば2週間前からgood goodbyeを始めたいと思っています。
(離れると決めた時点で、まず大切な人から伝え始めました)
特に大切に思う人から伝える。
絶対に話しておきたいという人。この人がいたからここでの時間が救われたという人。
大切だからこそ離れることを話しづらいけど、でも大切だからこそ、まずこの人に。
だって「こんなにもあなたとの時間が好きだったよ」と伝えるのですから。そんな素敵な会話を交わすのですから。
より早く伝えれば、さらにその人が特別になる。より早く伝えたから、もっとその人との時間がもてる。
大切だよと分かり合って過ごす2週間の美しさは「人生は生きるに値する」とあらためて信じさせてくれる気がします。
(それに、伝えた後に自分の中に出てくる言葉がまた良いのですよ。伝えたいって思うのです。2週間の中でまたそれを伝えていけるのです)
些細な思い出や、うけた影響を話す。
僕が誰かを思い出すのは、些細な些細な、そのディテールなんじゃないか。
今日の空の昨日とは違う美しさを見るように、目の前の誰かのふとした仕草や言葉、もしかしたら本人は気付いていないだろう美しさが僕の中に飛び込んできて
ああ、いつかの未来にきっと思い出すだろうなと感じるのです。
心を静かにしたくて目をつむる横顔や
気持ちを届けたくて目の前の背中に右手を添える姿
子どものようにニコッと手を振る仕草や
樹にもたれて本に落とす眼差し
たとえば名前を忘れても、人生のいつかにそんな美しい瞬間があったこと、きっと柔らかく懐かしむ。
あの人はよく昼寝していたよな。僕もちょっとやろうかな。
あのセーターかわいいな。こんどは自分も着てみたい気分。
些細なそのディテールに影響を受けて、ちょっとだけ、でも確かに自分が変わる。それが出会ったことの意味で証で、それで十分と思うのです。
「前にかぶっていたニット帽あったでしょ。あれがかわいくて自分もかぶってみたいなって思ったんだよね。ニット帽なんて使わなかったのに今回は買っちゃった」
なんて、実はあなたの影響なんだよって温かなタネ明かしをするの、僕は好きなのです。
(別れがあるから言えることもあって、それならちゃんと伝えたいのです)
特別な日を普段通りに過ごす。
やってくる最終日。あるいはその前日。
特別なその日こそ、普段通りに。
普段のこの感じが好きだから。
普段のこの感じを好きになったのだから。
もちろん今日は目の奥が熱くなったりもするのですが
できれば最後もこんな風に、と思うのです。
(良いよねこの感じ、という想いは言葉を越えて通じる気がします)
卒業=次に行くタイミングを自分で決める。
本当は12/18まであるこの期間。僕は11日早く発つことにしました。
やってくる「卒業」を迎えるのも良いと思います。でも近ごろ僕は、自分で「次」を見つけて動くタイプみたい。
ここの時間のおかげでチャージされて、だからおかげで次へ行きます。
自分で決めたからそう言えて、そう自分で決めるから、関係も気持ちも動き始める。
この場所にずっとはいないから、良い「次」を見つけるのが僕にできる最大のこと。
この時間にちゃんと影響されたよと言うことが、僕に返せる最大のもの。
ここに来たのは本当によかったのか。
そう揺れることもありました。アップもダウンもありました。
でも温かい人たちがいて、素敵な話と美しい時間があって、やっぱり最後は「ここに来たのはright choiceだった」と、そう言えるのです。
(なんて贅沢な人生だ、と思えるのです)
悲しく寂しくなるなら美しいこと
誰しも人を大切にしたいのに、日々に流され、その人がいることに慣れていく。
大切だって気持ちを忘れたり、後回しにしたりする。
別れはその大切さを思い出させてくれる。
別れがあるから感じられることがある。
だから僕は別れは嫌いじゃないのです。
何も感じないよりも、ずっとずっと良い。あなたとの時間が好きだったよと言える方がずっと良い。
I’m going to miss you.という気持ちの、その美しさ。
たとえもう会わないかもしれなくても、この時間が美しかったということ。
人生の中での一瞬の、世界の中でのここでの接点で、もう会うことがないかもしれない人たちと良い話を交わす。
世界のどこかにあの人がいて、旅するときは連絡でもしようかなんて、デンマークと聞けば今どうしているかな、なんてふと思う。
お互いに違う時間が流れていることをなんだか不思議だなと感じて、この先いつかに懐かしむ。そんな心の動きをまた、美しいよなとただ思う。
どこにも温かい人がいて、どこでもきれいな空があって、なんとか生きていけるということ。
自分が感じてきたことはやっぱりデンマークでも、この人たちとでも同じだったということ。
ただただそれだけで十分で十分で、何も残さないつもりだったのに、気付けばいつの間に大きなものを受けとって僕の国へ帰るのです。
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