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先生だった身からすると、畑と教育、似ています👀

タネをまいて一週間くらい。でしょうか。
ゴーヤもやっと芽が出ました。
バジルの生長にびっくりな日もありました。トマトもナスも実がなり始め🍅🍆

毎日見ていると僕でも変化に気づけます。
嬉しくて毎日庭に出ちゃいます。

🍅🍅🍅♪


わかんないことばかりです。
水やりして良いかやり過ぎか、草刈りはこれで良いか、追肥は逆効果かもしれない。

野菜の様子を見るために「雑草」は踏んでいる自分👣
森の植物がそうであるように人間の作用など無くても育つなら、僕がすべきは何なのか。
「野菜」「果物」だって、人間の口に合うものを特別にそう呼ぶだけ。

などなどアレコレ。この人生このタイミングで初体験して思ういろいろ💭

今日は暑いね。元気かい。育ってきたねえ~。
ぶつぶつ話しかけながら手を動かしてみております🌱

一昨日までこれだったのに🍆
雨の後には花が咲く。人間が水やりしたって雨には適わないですね☂


ツクシはですね、厄介な雑草なんだそうです。
生命力があってすぐ伸びちゃうし、根っこが強くて根菜が育たない🥕🥔

でもその厄介者は、栄養が少ない土地に真っ先に生えて、強い根っこで土をほぐしてミネラルを補給してくれる存在。

そんな風にも言えるそうです👇ステキな考え方だと思いませんか。

「イノシシが畑を荒らすのは水路を整えるため」という話と似ています🐗

そういう見方が僕は好きです👇精神性に支えられた暮らし。


世界はどうしてこうなのか。ステキな意味を見出して、全体がうまく運ぶよう調整する。
それが人間の知性的役割である気がします👓

ツクシのおかげで土が良くなる。
刈って→庭に敷いて→朽ちて栄養になって→また生える。無限のサイクルのすごさです。
巡るぐるぐる。ツクシという「雑草」に感謝だってできそうです。

ヘチマも生えてきた。グリーンカーテンって植物との上手な関係だなあと。


家庭菜園をしていると4月の教室を思い出します。
先生だった身からすると、畑と教育、似ています👀

ここからすべてがスタートで初めは可能性に拓かれている。芽が出れば全部うまくいく気がする。
でも知識も経験も足りない僕は良いも悪いも見分けられず、ちょっと雰囲気が変わったとき何をすべきか分からない。
どこまで見守って良くて、どうなれば動くべきか分からない。どこに目を配るべきか分からない。

じわじわ崩れていく中で、分からないだらけの中で、分かりやすいものに飛びつきたくなる。
それは見栄えで人の目で、畑なら収穫量や雑草の有無。教室なら秩序や礼儀正しさで。
そういう分かりやすいものと、自分のこだわりとの闘い⚔

う~ん、畑と教育は似ている( ..)φ
なら教員経験を参照すれば、進む道も見えそうです。

分からないだらけの中で、確かと思える「こうすればこうなる」を淡々とやる。
焦るとうまくいかなくなる。土地を良くするのだから長い目は当たり前。自分の焦りとお付き合い。

仕事して収入はあるのだから、収穫できないなら買えば良い。
買うも自給もすれば良い。複数が安心。複業とおなじ。

朝露が美しいお庭なんです。


暮らしの流れが見えてきました🔍

食材の残部はコンポスト。それとくつくつベジブロスープ🍲
草刈りしたら緑肥と敷き草。
土鍋ご飯のとぎ汁は土地にまけば栄養になる。
お風呂の残り湯は水やりと洗濯👕🌻
高田宏臣さんの土中改善で土地に水をめぐらせる。

わかんないことだらけでも「あ、これ良い形なんじゃないか👀」が見えると嬉しくなる。
毎日毎日ちょっとずつ、お疲れの出ないようにやっていきます🍵


まいたタネが芽吹かなくても実をつけなくても、育たなくても良いのかもです。
育ってほしい、収穫したいって思うと、力が入る。無理が出ちゃう。

芽が出なかったそのタネすら土に還って土地を豊かにしてくれる。「糧になる」ってステキな考え方です。

植物は人間のために育つわけじゃない。でも美味しく食べられて僕らの栄養になってくれるものが、どうしてかこの世界にある🍅🍆🥒
すごいですよね。その偶然の一部を、幸運にも僕が受けとるだけなのです。

だから「食べるために育てよう!」って思いすぎるのも違う気がして。でも実りを食べたら嬉しくて。

草刈りも水やりも、何か良いものに繋がれば良いなっていうだけです。
祈りや願いに近い気がします。

それも教育と似ているのです🏫

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毎日の日記も続けて3年になりました。
暮らしのできごと、考えたこと思ったこと、こう考えれば良いかも…

それを暮らしのエッセイとして連載したい。
そう思うようになりました。

日々の中に、自分の中に、こんなにもたくさん感じられるものがある。
僕らの日々こそ、それだけですごいのです。
なるべく感じきりたくて、日記を書いています。

大したことなくて、わざわざ話すほどでもなくて、SNSにも載らなくて、
仕事や新しい取り組みの眩しさに負けがちだけど、本当は話したいこと。
自分しか自分のすべてを知らない孤独。
それを交わせたら、とずっと思っています。

返信しなくて良い交換日記のような、いっしょにいるから言える独り言のような。
人には言えるけど自分にはかけてあげられない優しい言葉のような。

今週の日記から一つとりあげて書く週刊エッセイ。まずnoteに書いてみます。

よければお付き合いくださいませ。

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