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ほしい安心は自信なんだという話。

良い暮らしをしている。教員を退職して複業を始めた。デンマーク留学から帰国してゆったり生活にした

ひとつひとつ暮らしを変えて、着実に良くなっている。けれど。
もう十分と思うのに、今でもまだ不安も揺れもやってくる。

そろそろ安心したいな、「もう十分だ」に留まりたいな。

なんだかしんどかった今月。揺れや不安が何度も起きて「安心」について考える良いきっかけになりました。


自信こそが安心の正体

気付けば不安を忘れている。安心ってそういうこと。
自分に実力がついて生きていく自信がある状態。

自信こそが安心。
本当の安心がほしいなら時間をかけて自分に自信をつけてあげる。

安心のためにお金がほしくなるけれど、本当の安心はお金じゃない。

これが今回の内容。考えた過程を書いていきます。


不安だと、ひとまずお金がほしくなる

良いなあと思う今も、まだまだ過渡期で未完成。
野菜を自給したいけど全然だし、家を作れたら最強と思うけど実際は何もしていない。

不足を感じる状態だから、何か起きたらどうしようって不安になる。たとえば入院、たとえば介護。
そして「もっと収入が、もっと貯蓄がほしいな」となる。

ぼんやり描く「完成イメージ」がある。だから今が不足して見える。
不足している自分にとってお金は頼りやすくて便利だ。

人生どの段階でも問題はあるし不安も出る。完成なんてきっと無い。
だから「完成イメージ」も修正している最中。くわしくは少し後の話。

不安だとひとまず便利なお金がほしくなる。
でも今は立ち止まってみる。多分お金じゃ本当には安心できない。


お金があっても中毒になるだけ

この不安を消したくて、もっと収入を蓄財をと思う。
けれど人生どの段階でも不安はある。その時もまた「もっとお金を」になる。

お金は一時的で、だから中毒だ。
一時的な解決も役に立つ。でも僕がほしい「もう十分だ」とは違う。

お金に飛びつきがちな気持ちを抑えてみる。本当の部分を見つめる良い機会だ。
僕がほしい「もう十分」「安心」の、その中身を考えてみよう。


安心はパズルを完成させて手に入るんじゃない

人生をパズルやゲームみたいに考えやすい。

中学→高校→進学・就職→結婚→育児→その先は…
あと仕事に就けば、あと家が手に入れば、あとパートナーがいれば…それで人生は完成だ。
必要なパーツをそろえていく。順番にクリアした先に安心が完成する。

お金も同じ。あとお金をゲットすればそれで安心できるはず…

そんなパズルやゲームみたいな感覚に、僕は思わず陥りやすい。
先ほど書いた「完成イメージ」だ。でも安心は、そして人生はそういうものじゃない。

道半ばの僕だって安心感や幸せを既に知っているんだから。


不安を跳ねのけられているのはどんな時か

人生はいつも道半ば。ありもしない完成を描けば安心がいつも遠いまま。

だから作戦変更してみる。安心って何かと考えてきたのを少し変えて「不安を跳ねのけられているのはどんな時か」を考える。

少なくとも二段階ありそうだ。
①気持ちを向けて行動してみて、何かしらの手応えがある。新しいことにチャレンジできた自分がいる段階

②それを続けて当たり前になって、いつの間にか「安心したい」って気持ちを気にしなくなっている段階

畑で野菜を自給するのも、プランターで始めてみるとか、トマトだけやってみるとか、自給率1%を叶えてみるとか。

次はバジルも一緒に植えてみようとか、摘果もやってみようとか、秋冬野菜も試してみようとか。

ドキドキしながらやってみて、分からないなりに手応えがあって、工夫も失敗もふくめた前進をして、それをくり返して、できることが増える。
そうすることが当たり前になって、いつの間にか時間が経って、気付けば「安心したい」気持ちが過去のものになっていく。

生きていける実力と自信がついてくる。
この段階でも別の不安は起きるけど、まあ大丈夫だろうと思えている。

だから安心とは自信のこと。長い時間をかけて自分を変えて、安心したいって気持ちを忘れている状態。

僕がほしいのはこれだ。


本当の安心はお金じゃ買えない

お金があれば一時的な安心はできる。でも本当の安心は実力や自信だから時間がかかる。

何でも外注できる時代。お金で大体のことはできる。
お金をつくれる力があれば大体のことは解決する。

逆に言えば「お金」が崩れたら総崩れだ。僕にはとても危険に思える
お金が原因で生きづらいこの世界が本当にずっと続くだろうか。

安心のためのお金は総崩れとも背中合わせ。なら全く安心しきれない。

インスタントには手に入らない本当の安心を、僕は時間をかけて育てていこう。
また心が揺れた時に読み返して、どうかこの気持ちに戻れますように。


できることは増えている

僕はここまで生きてきた。道半ばだけどやってきた。
不十分でも何かしら力はついている。少し思い返してみよう。

スコーンを焼けるようになった🍞
クッキーも焼けるようになった🍪
プランターでナスを育てた🍆
家づくり体験で竹木舞を編んだ🌳
デンマークで良い人達と出会った。


やってきたこと、実はついている力、気付けば結構あるじゃないか。
思い返して自信にする。これまで僕に起きたことを自分の人生の味方にする。


自分を生きやすくするために

自分を生きやすくする。それを僕はしたいのです。

だからこんなこともしています。よければお話ししませんか。
(クリックして詳細をご覧ください)


幸せ上手に生きていようと思います。


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