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「ファンタジーとは制約を基本的には受けない自由なもの」としては見た、けどこのスタイルを取ることは非常に大事であとは偉そうにぶらなければ「それまで」で終わっている固定観念に邪魔されることも別に気にならなくなる。

まあとっかかりは「伊集院光と佐久間宣行の勝手にテレ東批評」の話からにでもしますか。

ようやくまだ休養してるんかおめでてーな、と言い続けて
来た池谷実悠アナがレギュラーで初登場。
 AGAやってました、な告白をする割にはしっかりと舌禍
になるようなコメント力は健在で現役の局アナが「特番まで
(ちゃんとオンエアチェックして)見てるのがおかしい」と
言い放つところが池谷実悠らしくもあり、しっかりこってり
(番組出演者の中で唯一の)「局員が言っちゃダメ」と元
社員の佐久間宣行PDに窘められるまでがセットなのは成程
池谷実悠だわな。

中原みなみアナの完落ちくらいでホッとしてるくらいだと、
まだまだ気苦労を休められる隙間がなくなるだろうにな、
はある程度察せられるあたりだけど。

なお、「ゲーム真面目さん」まで観てる伊集院光が発覚したのは、マキタスポーツがゲストのこの回のとき。

なりに纏まった記事を出してる。
 まあこないだの回は伊藤Pが来て、イベント話が中心だったから、こちらの方が詳しくあるんで。


ようやく両目が開くくらいレバンガも勝利したから、今年のBリーグの
チーム編成も大体眺めて観たのだけど(あの方面もしがないくらい代表厨が
ボーフラみたいに湧くのでそちら方面には触れないことにしてる)。
玉木って、結局今はB2の福島におるんか。

まあよく話にも出してた「玉翠園」の息子さんですけど。

外観写真だけは少し後に看板に掲げたのか。

サッサと不貞寝をする前に投下しておこうかな、といふ幾つかのよしなしごと。一城みゆ希(一条みゆ希)を悼みつつ所定の本も買ってきてステップアップしてきたので。そんな雪虫舞い飛ぶ札幌の町中から街中へ。|torov

セットで外観写真2枚だけ貼っておきますが。

玉翠園外景(メインストリート側)


玉翠園外景(側道側でこちらからも入店出来る)


と軽めの話題をまくらにして、これを本題に持って来ますか。


おお。
私にしては良く覚えていたもんだ。

かつて「素乾国ファンタジー」に関して纏めたけど、私が
定期購読とまでは行かずともアニメージュを毎月買おうと
したきっかけはそこに田中芳樹と酒見賢一の対談が載って
いたからで、この二人で「ファンタジーとは制約を基本的
には受けない自由なもの」とか「国号を素乾としたことに
ついて」とかを語っていた、ってのも魅力的だったからだ、
ってのが、改めて対談読むとわかるあたり素晴らしい。

起き抜けて、残りの時間をほぼ水バラの編集に振り向けたので、
考えられる時間は「あちこちオードリー」までのこの数十分。
まあそこそこに纏められてはいる「素乾国ファンタジー」
(あえて足すなら『ドラえもん』的に「ラクガキ無用」)についてを
メインに。|torov|note

「ファンタジーとは制約を基本的には受けない自由なもの」
も要約したのはこのあたりかな。

田中芳樹 じつは「後宮小説」をいちばん最初に読んだときに、
     ぼくは正直いってなぜかピンとこなかったんてすよ。
     全然ファンタジーじゃないような気がして。

酒見賢一 ファンタジーを、宮沢賢治とかのふつうのファンタジー
     としてとらえてらっしゃったからでしょうね。

田中芳樹 そうなんですよ。ぼくの頭のなかにファンタジーに
     対する固定観念があって、それが邪魔をしていた。
     ふだん、ぼくは人に、ちょっとえらそうなことを
     いってたんですけどね。ファンタジーというのは
     制約のないのがいいんであって、固定観念を持って
     見ちゃいけないんだよって。そんなことをいってた
     くせにじつは自分がそういうこと(を)忘れていた
     という(笑)。なんとも気恥ずかしい話です。

      それで、その固定観念をはずして読んだら、なん
     とおもしろい作品だろうということに気がついて。

1991.5.16 新宿
「激論200分!田中芳樹VS酒見賢一対談 歴史を見よ!」
(アニメージュ1991年7月号p44)

まだその後の編集長が3人ほど下で働いてる頃の、「海が
きこえる」が連載されてた頃の「月刊アニメージュ」の
記事からですが。
(まさかここから十数年に渡って買うことになるとはねえ。
ここから遡って幾つかは手に入れたし、そもそもこの頃は
図書館通いもしてたから、「アニメージュ」の内容がどんな
ものかは江別市情報図書館の大麻分館で確かめていた時期も
あったのだけど)

 まあ平成初期においても宮澤賢治的ファンタジーや、モモ
とかネバーエンディングストーリーなどに見られたのが
ファンタジーの全てと捉えがちな固定観念があり得た、って
話でもあると。

 まあ今宵はこのあたりまでで。
「ファンタジーとは制約を基本的には受けない自由なもの」で、
ことクリエイティブな部分で考証や校正の原則はある程度参考で聴く。

 けれど、最終判断は作者のクリエイティビティと取捨選択が優先する、に持っていく、持っていく体制を調えられるものがいずれいい作品を醸成する、と思いたいところではあるのだけどね。