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キタキタキタ。ようやくライフワークでやって語り継いできたものに援護射撃がtogetterからキタ。だからこれは私なりに受け止められる『春の歌』。

まず標題からは『春の歌』の曲紹介をまくらに。

春の歌はちょっとスピッツの原曲が神格化されすぎてて
なんか近寄りたくない気分にもなってる。

個人的な心性としては映画版『3月のライオン(後編)』
の主題歌になった藤原さくら版の方が「酸いも甘いも」
噛み締めた重さがちゃんと載っている感じがして、
こちらの方が素直に入っていける。



ってことで早めに今宵というか、今朝は本題に。

ようやく密かにしかも着実に主張していることの援護射撃
になるような話が棘に出てきましたね。

子どもの頃読んだ『ちびくろサンボ』は実はインドが
舞台でしかも海賊版だったと知ってびっくり
「色々謎が解けました」 - Togetter

ようやく本物が紹介された後に出版されたのは1999年の
こと。記事内容は最悪の瑞雲舎版(岩波版が切れたから、
と言ってこの御時世に海賊版を後生ありがたがって出版
復刻しやがったサイテーなヤツ。ゼロ年代にはこの版の
見計らいを主に図書館の司書サイドで問題視していた
経緯もある)をひけらかしてたりするツイートもある
んで玉石混淆、のカオスレベルですけど。

あとコメント欄にあるマンボジャンボに関しては当時の
言葉としての流行語の一種。銀英伝でもフッと出てくる
「ホクスポクス・フィジプス」(ケストナー)みたいな
おまじないにも似た流行語の残滓と観るべき、が定説。
まで大体見解の解析は終了しているし、差別的な意味合いは
基本的にないからな、までは確定してるから。

(なのでインドベースの架空設定なのに、米国の無法な
海賊版で米国南部の黒人が棲む地域に土着と改竄された
ので、ハナから心外な案件が続く呪いにしかなってない
ワケ。ホントにやり口が悪質で変わってやしないブリカス
なんでゲスな)

 なお、問題の岩波書店にいた人が私設からスタートした
図書館に携わったり、帰郷して親の介護をしながら地元の
図書室の児童書の選定をしていたりしてたのですが、
その地元の図書室(いわゆる分館)に通っていたのが私で、
図書館司書の資格を取ったのは、これがルーツの一つな
わけで。

材料はあるから作ってしまうか。私が図書館司書を
目指した理由(ルーツ)。|torov|note

 だから司書課程を学んでセルフレファレンスしてた頃に
その分館に行ったら、普通にバナマン末期の出版されてた
絵本がゴロゴロ出てきたので、「なあんだ」と思ってたら
その図書室の蔵書自体が異常レベルだった、ってエピソード
もあるのよ。

 なもので、noteをはじめとした初期に『さよならサンボ』
の話に関して幾つか書いているのはこのあたりの事情に
よります。

エリザベス・ヘイ「さよならサンボ」とヘレン・バナマン
「ちびくろサンボ」についてここで纏めてみる。
~コメント書きtorovとしてのわずかな痕跡・その2
|torov|note

「ちびくろサンボ」執筆当時のインドは鉄道社会で、
夫婦揃って医者として従事していたバナマン夫妻が子供と
コミュニケーションを取るには、共にSLに揺られて
移動するくらいの時間しか取ることが出来ませんでした。
 そのわずかな時間を有効活用するためにバナマンが
書いたのが私家版の絵本「ちびくろサンボ」だったのです。

 そのスコットランド人の勤勉さとコミュニケーション
アイテムとして生み出された絵本を同時期の「ピーター
ラビット」(ビアトリクス・ポター)と共に搾取して
著作権まで剥ぎ取り、無法地帯の著作権システムをかまして
いた米国で無惨に改悪された成れの果てが、海賊版の
はびこりまくる「ちびくろサンボ」の実情だったわけで。
まあ一言で言うと「これまた酷いブリカスですね」だった
事実は最低限覚えておくべき知識かと。

『さよならサンボ』と『ちびくろさんぼ』を語る上での
図書館司書的ガイドライン。|torov|note

1990年代のエヴァ謎本並みに
「モラルとレベルとクオリティが
著しく低い出版物」が存在しており、
それに対しての憂慮と危機感が
図書館司書には共有されていた、
という史実もあるわけで。

ですから、本物の存在をきちんとした
形で日本に『ちびくろさんぼ』が
入ってきたのは1990年代になってから、
なので、それ以前のさんぼ本については
図書館司書的に峻別する必要性が
あるのですね。

「さよならサンボ」を「ノート写経」から再びツッコんで
行く。|torov|note

むしろ昨今の定家版源氏物語の発見がニュースになる
ように、「ちゃんとしたホンモノのちびくろサンボが
あるのだろう」と戦後の日本の絵本作家やクリエイターが
模索してきた中で、ようやく1990年代にホンモノが
(まあ余りいい形で出て来られた代物ではなかったけれど)
紹介されるに至った、ってラインを図書館司書で
あれば正しく見計らう、といふのが本筋なのかなと。

なので最悪の放置されまくった瑞雲舎版の気味悪い
ステレオタイプな表紙がどうしようもない看板として
掲げられている記事を無理矢理記事の下に記載され
まくったことにキレて運営の余計な拡張を拒否する
手段に出たこともちゃんと書きました、となるわけで。

節制収縮期間なこともあって、あえて運営の余計な拡張に
呆れて制限を強化する(ブロックする手間をかけるよりは
オミットした方がせいせいする)。|torov|note

「モラルとレベルとクオリティが著しく低いUIデザイン」
はただ只管嫌われて忘れられて世の中から認知されなくなる、
でしかないとは思うけど。

品川は嫌われるべくしてちゃんと嫌われてるから
そんなに嫌いじゃない

を狙ってやってるんなら、いくらなんでも
「不器用過ぎっだろ!」の無言のプレッシャー
モノローグされてても仕方なかろ、とすら思えるわけでね。

それらもひっくるめて、まだまだ北海道に桜は遠からじ、
なんですが「酸いも甘いも」噛み締めた重さがちゃんと
グラビトンとして伝わってくるこれもまた一つの『春の歌』
なの、でした。

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