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エリザベス・ヘイ「さよならサンボ」とヘレン・バナマン「ちびくろサンボ」についてここで纏めてみる。~コメント書きtorovとしてのわずかな痕跡・その2

こういうことを編纂しなければならないから、あたしゃ
「茸」が嫌いなんです。といふ変なミーニングを含んだ
ところからぼちぼち始めるわけですが。

概ね元のブログは葦岸堂(いがんどう)さんが遺して
くれていたようなので。貴重なtorov名義でのレガシーの
一部かなと。
<懐かしき『ちびくろさんぼ』>考

こらむで『ちびくろさんぼ』

機智・既知・危地


一応当時書いた部分のコメントに補足はつけますか。

この件に関してはなんとなく「同族殺しなことやってんなあ……」といふ意識で終わっていました(だって『サンボ』って本来共働きでインドに働いているキャリアウーマンな主婦が子供に読みきかせる為に書いた創作絵本なのに、ウーマンリブ的な「焚書」でそれも灼くのかよ、と思ってました)。

もともとはグレートブリテンの植民地時代だった時代に
医師の嫁として自らも医療従事者として働いていたヘレン・
バナマン(勤勉で知られるスコットランド人)がSLに
揺られて住居と勤務地を往復する時間だけスキンシップが
はかれるよう書いた「キャリアウーマンのコミュニケー
ションアイテムとしての絵本」が、心ないブリカスの出版社に
二束三文で扱われ、米国ではさんざ黒人や土人絵に書き換え
られる海賊版を出されても止めることが出来ず、ぞんざいに
扱われた末にウーマンリブ的な「焚書」にカチ遭って、
半ば発禁処分みたいに扱われる、といふむごたらしい
(でもブリカスな史実にありがちな)歴史がまず横たわって
いるわけです。

(時代区分としてはだから「ちびくろサンボ」は同じく言われ
なき迫害を受け続けた結果厳格なレーティングになった
ビアトリクス・ポター「ピーター・ラビット」とほぼほ同時代
の作品になる)

水玉蛍之丞がキャラクターデザインした『ちびくろサンボ』をサンリオで出版する、といふくらいの努力が必要なのかも。
(水玉蛍之丞は、岡部冬彦の次女。フィギュアや食玩にも精通したヲタなイラストレーターとして知られる。
サンリオは当時の問題の引き金を引いた「ワシントン・ポスト」がはじめにとりあげた「サンボ」のキャラクターを取り扱っていた張本人)

ワンフェスの挿絵などでも好評を博し(後継にはあずまきよひこ
を指名したんだっけ)「アニメ」「声優」「食玩研究」「映画」
どのジャンルからも手厚いリスペクトを持って迎え入れられてた
水玉蛍之丞も亡くなってしまいました。

https://www.huffingtonpost.jp/2014/12/15/keinojo-mizutama-obituary-_n_6330568.html

https://togetter.com/li/777075

https://www.amazon.co.jp/%E3%81%93%E3%81%A0%E3%82%8F%E3%82%8A%E5%A3%B0%E5%84%AA%E4%BA%8B%E5%85%B8-%E2%80%9997%E2%80%95%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E5%A3%B0%E5%84%AA%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF-%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A0-%E5%B0%8F%E5%B7%9D-%E3%81%B3%E3%81%84/dp/4197200129

山梨シルクセンター(このコトバはやなせたかし先生亡き後、
必ず後世に伝えて行くべき諫める為の呼称として語り継いで
行きたい呼称なのですが)はカンタンにあの時期の反日メディア
としても知られる「ワシントン・ポスト」の罠に引っかかった
応罰を受けて、いろいろやらかした、って話も後世にはあるの
ですが、それはまた別のお話。
 真っ先に「後脚で砂ばかける」レベルでトンズラこいたこと
でも知られるごろつきの行動をやらかしたことで、事態を悪化
させた張本人であったことは記銘するに値する、なのかも。

それからこの本の著者のエリザベス・ヘイが来日していて、かつ
日本のまんがにある一定の理解があり、日本人が「戯画化を好む」
ことを非常に好意的に捉えている。
(それはおそらくよく大月隆寛が「マンガ夜話」で言うところの
「リテラシーの高さ」にも近いと思う。逆に差別や侮辱の大半は
何らかの形で「許容不足」か「教養不足」の状態に陥っている
場合に起こりやすい受け取り手の「貧しい」反応であることが
多いわけなの
だから、それに正しく対応すればいいだけの話
だったはずなのにねえ。ちなみにエリザベス・ヘイはバナマンの
絵もまた戯画化されたものであり、それが彼女の画法だった、
と述べており、またその後にはこうも書いている↓)

「誇張は話をわかり易くするし、メッセージがより明確に
伝わってくる。これは漫画の魅力であり、ことに日本では地下鉄
の中で大人たちが漫画に読みふけっている理由である。懸命に
稼いだ金を漫画にはたくよう、誰かに強制されているわけでは
ない。彼ら自身が喜んで買うのである。なぜなら漫画は読み易く、
わかり易いからだ。」

素養や機智に富んだ戯画(カリカチュア)化されたキャラや物語が
アメリカに向かうとただの貧しい「ステレオタイプ!」となって
しまうのは、やっぱり手塚治虫もメビウスも、バナマンも生むこと
が出来なかった、(1950年代のパージの影響が強すぎて)
「アメコミ」といふ閉じたジャンルしか持たないまんがの後進国
アメリカならではの「らしい」現象なんだなあとつくづく思う。

まあ以前バナマンの絵本探してたら、近くの図書室に何冊も
ほいほい見つかってたので、「なんだ、あるじゃん」とタカ
括っていたら、実はその図書室自体が特殊な成り立ちだったので、
簡単にヘレン・バナマンの絵本があったんだ、と知るって話
もあるのですが、それもまた別の話。
(実はそこは岩波書店をやめたとある女史が最初に
選書を手掛けた図書室だった、といふ話)

1990年代の「核家族最後の逆襲」に観られたさまざまなブラック
パージは肝付兼太さんが「ウラウラ、ベッカンコー」していた
『ジャングル黒べえ』にまで及ぶのですが、そのレーティングを
潜り抜けてOVAとCDドラマが作られた作品もあります。
肝付兼太さんも酋長役で出ていた『ジャングルDE行こう!』が
それで奥井雅美が主題歌を歌っていたわけですが、それもまた
別の話、になりますか。奥井雅美「J」はつべにあったので貼って
おきます。

最近はスパイスカレーが注目されてインドの食材も再注目されて
いたりしますが、「虎が溶けてバターになる」はパンケーキの
バターも含めて、どちらも本当の原典はインドバターの元である
「ギー」であることくらいは注目して欲しいかな、とは思う
torovでした。