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(2)「蕨ヶ丘物語」と「少女小説家は死なない!」~ママチャリに乗って氷室冴子のコバルト文庫を探しに

ひとまずは「#虫干しと天地返し」の延長線上で、兎も角
氷室冴子の並んでいる本を一応一纏めしておくか、といふ
ことで昨日少しだけ纏めて仮置きにヨドバシから貰った
ダンボールにとり纏めては見たのですが。

いくつかコメントでも書いている通り、変な姿勢で
一本寝かせて置いた文章を投下し終えるくらいで左腕の
方に違和感を覚えまして。腕の可動域である部分が硬直
している感じでしたのでタブレット端末から離れ、然るべき
措置をして安眠とまでは行きませんでしたが数時間安静にして
おりました。水分と甘み補給にポカリスウェットも開けて、
ストレッチやマッサージも十分施した上で、ポツポツ
コメント書きをしながら半日を過ごしました、と。

まあいくつかの予定は反故にして、何故か機能急にスキ
を集めた「ばかぼんぼんのとりあたま対策課」でようやく
テーマタグ毎のスキを集めたコングラッチュレーションを
初めて獲得出来るところまで来たのはいいのですが、まあ
一日四本投下するくらいの原稿作成と無理はこの時期この
状況では自重するべきやな、と再確認した、といふ感じ、
ですかね。

それでも現在手元に来た氷室冴子の並んでいる本は
一応ここまで集まったと。こっからは基本的に読むモード
が中心になるかと。

・コバルト文庫
雑居時代(上・下)
(あとはコミックスの全3巻本を発掘すればいいと
→本棚見てたら全3巻本は見つかった)
(舞台札幌なので、馴染みの店や地名が良く出てます)
ざ・ちぇんじ!(前後編)
(前編は初版であるのを確認。こちらもコミックス版を
発掘することが不可欠、か。花とゆめコミックスでの
山内直美コミカライズ版は全4巻本か)
少女小説家は死なない!
(コバルト文庫の本では13冊目にしてほぼノンフィク
ションとも称される迷作)
(こちらはにしざわみゆきのコミカライズが全2巻で
あると思うけど、それは探すと)

あとは2種のカバーがある「恋する女たち」は片方が
サイン本なんだけど、それはこのシリーズの最後の方で
語ることになるかと。

ダンジョンまで行かずに見つかったこれらの本はわりかし
個人的にも面白いから手元に近いところに残っていた、
と思われる。

・コミックスから見つかったもの
蕨ヶ丘物語
(コバルトはしまわれてるけど、コミックスだけ(全1
巻だし)発見し再読完了。山内直美コミカライズでは
初めての本で1986年の刊行と奥付付いてる)

ライジング!
(こっちは宝塚に従軍するかのように書かれた宝塚ベース
の名作だけど、ノベライズ自体はなかったので脇に置かれ
がちではあるのだっけ。コミカライズしたのは藤田和子で
ワイド版も文庫版も確か全7巻本になっていたかと)

それと「冴子の母娘草」は既に発見している(単行本で)。
まあ知らないうちにSTVと誰を指しているとは言わないが
「ニジデスヨ」が日に日に嫌いにもなる魔性の教典ですが。

で、今日はこの中から「蕨ヶ丘物語」と「少女小説家は
死なない!」を紹介するターンかなと。

2-1.「蕨ヶ丘物語」


https://ebookjapan.yahoo.co.jp/books/207108/A000213439/

ま、久々に読んだのはコミカライズですが、一作目だけ
あって、妙に筆が滑っている感じ。ま、キャラの目の意志を
感じさせる部分がまあ強い。
 かつての印象としては大正ロマン編はやはりノベライズの
方がいきいきしてそちらを読んだ方がうきうきした印象だった
けれど、ライト・ミステリー編はやっぱりキャラ配置がわかり
やすくなる分こっちのコミカライズの方が読み易い、といふ
印象で、再読してもそれは変わらなかった。
 少し架空ではあるが、世界観としては「北海道の田舎の
かつてらしい評判と行動パターンの描写とありがちな・あるある
な感じ」はやっぱりどちらを読んでもなりに「そうそう」と
言える楽しさには満ちている、と。

1986年初版で定価は360円か。やっぱりその点で行くと
コミックスよりも安い価格設定が出来ていたジュニア小説の
中でもとりわけコバルト文庫の価格設定はリーブナブルに
出来ていて、かつ身近だった印象はあると。

2-2.「少女小説家は死なない!」

SSMGの日記の方にコメントしたのは本編の方ではなく多分
こっちの方か。

主人公のキャラクターと語り手の視点メモ
20080116(Wed)

上記のページは復刻されているけど、投下したコメント
部分はまあメモ残ってた分でこれだけ。

「少女小説家は死なない!」の語り手でもあった(不幸な)同居人の
名前は朝倉米子(あさくら よねこ)だったかと。
(とりあえず小説版探すの面倒なので、1994年版花とゆめコミックスの
2巻本(にしざわみゆき画)で確認しました。迂闊にファンレター
らしきものを出したばかりに居直り強盗な火村彩子センセに居座られて
しまう時、本名をフルネームで尋ねられるので)

主人公のキャラクターと語り手の視点メモ
20080116(Wed)

語り手の視点は「少女小説家は死なない!」だと
振り回される迂闊にファンレターを出し手しまった
ばっかりに、な朝倉米子の視点から描かれる作品。

小説版だと、ここになるのか。

「あのう・・・・・・」
部屋に入るためには、ドアの前に陣どっているその人に話し
かけなければならない。
「どなたですか」
「朝倉米子さん、でしょう」
「はあ、そうですけど」

氷室冴子「少女小説家は死なない!」p24

まあ何よりあとがきで作者自身が錯乱している感じが
すばらしい。

 ああ、こんなこと書いてると、私も不安になってくる・・・・・・。
 これは、ほんとうにフィクションなのだろうか。

氷室冴子「少女小説家は死なない!」あとがきp277

因みに手にしていたコバルト文庫は1983年刊行の初版
ではなく、1987年(昭和63年)7月に刷られた26刷、でした。
 いずれもこれらを支える購買層が存在していたことの
証拠でもあり、かつ少女漫画はなおも死んでいない繚乱期
ではあったので、まだまだ立場と定期収入の面で日陰な
一面のあった少女小説家はこの時期「花とゆめ」を中心に
コミカライズが盛ん、なのでした。
(まあ積極的にそうしたものを進取するあたりは最近の
「和菓子のアン」コミカライズとかあのあたりの奈辺まで
連綿として続いてる、とは思いたい)

細田さんは平然と言った。
「なんたって、今の時代、売れるのは漫画か週刊誌ですよ。
その週刊誌も、半分は写真というのでなきゃ受けない。つまり、
とことん活字は売れないんですね。そういう世相に背を向けて
小説書こうという人達です。どっか根性が普通じゃない。ぼくは
そう思ってますね」
「なるほど」
根性が普通じゃないという細田さんの意見には、全面的に
賛成なのよね。

氷室冴子「少女小説家は死なない!」p68

で、このうち写真誌はこの頃だと五大誌と言われてた
ワイドショーのお供で、この頃から牛耳り始めていたコンビニ
流通が拍車をかけたもの、だったっけ。最終的にFFが
生き残るくらい(「フラッシュ」と「フライデー」)だっけ。
 ワイドショーが陳腐と泥仕合を極めていってから、福山雅治
主演の「パパラッチ」を経て文春砲が炸裂していくまでには
雑誌の傾向として二転三転がまだあります。

 一応、ちゃんと読める日本語になっているのか。
 もの書きのはしくれに、ちゃんと日本語書いてるなんてのは、
思えばひどい言い方だけど、でも、それが実感だものね。
 おもしろいとか、よく出来てるというほどのことはないん
だけど、ともかく、読めるんだもの、感動よ!

氷室冴子「少女小説家は死なない!」p196

ま、火村センセの目指してるファンタジーは1983年時点、
ってことでいまいちピンと来てない記事も散見されたけど、
この頃は「ロードス島戦記」的なTRPG要素が薄くてまだ
洋画の「モモ」「ネバー・エンディング・ストーリー」辺りの
剣と魔法、少しだけのSFチックな「ファンタジー」だった
ように思う。そういう感じとミレニアムになるまでには成立
してた「スーパーファンタジー文庫」系の先鞭、みたいな
位置付けの「ファンタジー」、ってことでいいようには思う。

 懲りるとか、めげるとかいうことを知らない人達、それが
少女小説家よ。

氷室冴子「少女小説家は死なない!」p274

ま、結構この小説なりコミカライズ読むと映画の「特攻野郎
Aチーム」とか、漫画版の島本和彦「燃えよペン」のように、
かつて山田五郎が残した名言の如く「行き場のないやる気」を
貰えるような作品は稀有だったりするので、たまに読み返し
たくもなる作品なのが、やはり「少女小説家は死なない!」
なのですが。

一応次回は今週中に。「ライジング!」は一応手を付け
はじめているけど、でなければ札幌的ジャーゴン多めの
「雑居時代」から語ることになるのかと。


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