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ママチャリに乗って氷室冴子のコバルト文庫を探しに~前段として・「1/2ブックセンター」型古本屋の興亡史

さあでは少し長期シリーズになりそうな、このある意味
自分にとっても黒歴史感漂う時代の回顧録をはじめてみる
ことにしましょうか。

と、その前に一通り時代背景として「綺麗に捨ててある
黄色い護美捨て場」がはびこる前の一時代を作った「中古の
古本屋」のモデルケース「1/2ブックセンターの歴史」を
概ね提示しておかないと、ここの一連で「ママチャリに乗って
中小の古本屋に出向く」行動パターンが理解出来ない人も
おそらくは出るかもしれないので。

把握しておきたいベースにあるのは、「1/2ブックセンター」
が札幌市の琴似で生まれ、ゼロ年代の終わり頃に札幌市東区の
古本屋で起こった本棚崩落に伴う女児死亡事故で概ねの歴史を
終えた、ということになります。

といふことで今日のBGMはあえて「るろうに剣心」で
使えるのに唯一貼らなかったこの曲にしますか。SIAM SHADEの
「1/3の純情な感情」。
 で、公式誘導もせずにただ無様に存在を消しただけか。
(これだから薬漬けソニーたっぷりの白川案件は)
ま、偲ぶにしてもクオリティはこちらの方が高いし、聴きたくも
なるのでBuono版で。

(まあ江別の野幌に「1/3ブックセンター」ってのもあったり
したわけで。ある時リサイクルショップか何かで、そこの
看板だけが流れモノで置いてあった時は寂しかったなあと)

(いわゆる「新型古本屋」に「郊外・大型化」のモータリ
ゼーションが来る前に一世を風靡した「1/2ブックセンター」
型にして中小・郊外・鉄道沿線型の古本屋をここでは指していると)

いくつかの文献で示されているとは思いますが、神田の古書店
街とは別軸で「1/2ブックセンター」が誕生したのは、街中から
JRで2駅の琴似駅と、地下鉄東西線大通から6駅のバスターミナル
を併設した地下鉄琴似駅の間に広がる道路型の商店街を有していた
札幌のベッドタウンにしてかつての琴似村から発展した西区の琴似
で誕生しました。

http://travelstation.tokyo/station/hokkaido/jrh/hakodate/kotoni.htm

一説によると住民の沿線人口とターミナル的な位置付けが
強かった琴似では人の往来も多く、手頃な読書時間を確保出来る
通勤・通学の往来人口をターゲットに、暇を持て余していた
主婦をアルバイトとして雇い古本屋として定価の半額で古本を
売るところからスタートした、と云われております。

琴似の古本屋は西区民センターの近くに2フロアを使った
大きな「1/2ブックセンター」タイプの古本屋をはじめとして
5-6軒、JRの琴似駅近くに元来の古書タイプも含めて3-4軒
の古本屋がありましたが、最も個性的なJRの琴似駅近くの古雑誌も
充実していた古本屋の真向かいに「綺麗に捨ててある黄色い護美
捨て場」がローラー作戦で介入し潰されたのを始めとして、
その「綺麗に捨ててある黄色い護美捨て場」とJRの琴似駅の
高架下沿いにある八軒側に元祖な形で残されている「1/2
ブックセンター」が僅かに残るのみかと。

なので私が「ママチャリに乗って氷室冴子のコバルト文庫を
探しに」札幌市内の古本屋を廻っていたのは大体ゼロ年代の
初めから終わりにかけて、で概ねコレクションをし終えた頃には
今度は「綺麗に捨ててある黄色い護美捨て場」巡りをセイコー
マートで出始めた2リットルのお茶と共にママチャリで向かう
時期へと移行していくわけですが。

で、もう一つ前段としては以前氷室冴子に関して捕捉・補足
のコメントしていたところは本文だけ残ってるんだっけ、と
参照のページを貼りつつ、そこからコメント部分をリライト
した上でより深く氷室冴子の著書に関して語って行こうかと。

で、最初はこれですかね。

20071228(Fri)
白い少女たち/氷室冴子/集英社コバルト文庫

コメントもわずかに復活しているようですが。
ここに付けてたコメントはこんなものでした。

2008/01/15 09:10
では折角氷室冴子ネタイイ、と言っておきながら言いっぱなしも
なんなので、このあたりから補足をば。

>ひどく生真面目で、陰気、と言っちゃうと言い過ぎだけど
>全体的に鬱々としたイメージが漂っている。
でも石田敦子よりかは高橋しん的な部分へつながる入り口に近く、
更にちゃんと辿れば、それが「中島みゆき的世界観」の源泉に近い
ことは容易に察せられる。
(氷室冴子と中島みゆきは共に70年代の藤女子大出身で、
しかも氷室冴子の父は元国鉄マン、しかも近くではケント・ギルバート
のようなモルモン教徒が出没するような土地柄で育った、といふ
経緯があるので、ああも鬱々とした感じになっとるわけで)
 倫理観とかが古臭いのはそのあたりもあって、そのあたりを客観的に
混ぜっかえしているのが「雑居時代」なのかな、と。
 それを振り切ったのは「少女小説家は死なない!」と漫画原作の
「ライジング!」で培われたイレコミの魂、ではなかったのかと。
(特に「ライジング!」は宝塚に従軍して作品書いていたようですし。
並みのバイタリティではないしがみつきであった模様)

>あ、そういえばあとがきがない。コバルトもまだこの頃はあとがき
>必須じゃなかったのか。
コバルトのあとがきの礎を築いたのはやはり新井素子と氷室冴子かな、
と思うところがあるけれど。ちなみに、初期のコバルトはもっと
文芸青春路線に近く(それこそ手塚治虫や石森章太郎が少女漫画誌に
書いているかの状況で)、晩年の川端康成とかでコバルト文庫で本を
出すようなある種の格調の高さがある文庫としてスタートしてた。
そのラインでいくところから一応氷室冴子が拾われたのが革新の
第一歩だったわけで。
 まあよりそれが先鋭化していくのは雑誌「コバルト」の創刊と、
「恋する女たち」映画化等に端を発するメディアミックス展開に
あるようで(ではまた氷室冴子ネタに関する補足はそのうち)。

20071228(Fri)
白い少女たち/氷室冴子/集英社コバルト文庫

ひとまず「雑居時代」はコミックス版が3巻本でどっかに
あったな。「ライジング!」はこないだ「#虫干しと天地返し」
のついでに7巻本を見つけたので、これは一回再読してから
氷室冴子の従軍日記に踏み込むことにしようかと。
 「少女小説家は死なない!」はにしざわみゆきの2巻本で
読んだ方が随所でわかりやすいんだっけ。サイドストーリーも
あるからそれも含めてそちらもおいおい。

といふことで1回目はおそらく上記の「白い少女たち」と
授賞作の「さよならアルルカン」に関して深くツッコもうかと。