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大河「麒麟がくる」の分析【第21回の感想】 桶狭間の戦いと“母の愛情”との深い関係

1560年、桶狭間の戦い。
「麒麟がくる」第21回では、桶狭間の戦いの背景には“3つの母の愛情”が深く関係していたことが描かれた。当記事ではその点に着目してドラマを分析する。

1、“信長”と母

信長はこの時27歳。
まだ小さな大名で何者でもない。これまで何をしても、父親にも母親にも褒められたことがなく、愛情に飢えた子であった事がここまで描かれてきた。

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「桶狭間の戦い」は、織田信長の人生にとってターニングポイントとなる戦だ。この日を境に信長は戦国時代の中心人物へとまっしぐらに走り始める。
雨上がり、奇襲をかけて敵将今川義元を見事討ち取り、帰路へつく信長は、道中に待つ明智光秀と落ち合う。「お見事でございました」と祝いの言葉を口にした光秀に、信長は、こう語りかける。

「褒めてくれるのか」
「これまで何を成し遂げても、誰も、褒めてくれなかった」

そう内層心理を打ち明ける信長に、光秀は「帰蝶様がお喜びになるでしょう」と声かける。すると信長は、表情を童のようにやわらかくして、満面の笑みをうかべ、

「帰蝶は何をしても褒める。いつも褒めてくれる。 あれは、母親じゃ」
「次は美濃の国を獲る。美濃をとって帰蝶を喜ばせてやる」

そう言い残すと、夕焼けの中、馬を進めた。
信長は、なんと、“帰蝶に褒められたくて”桶狭間を獲ったのだ。

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2、“家康”と母

青年、徳川家康(この時は松平元康)にとっても“母親の愛情”は、尊い。

家康は幼少の頃から親とは引き離され、あちらこちらで人質の身として過ごす。3歳の時から、16年間も母とは一度も再開が叶わず、生き別れたままであった。
もう10年以上も前だが、(帰蝶の嫁ぎ先の信長とはどんな男か見てきてほしいと斎藤道三に頼まれて)光秀が尾張へと忍び込んだ時に偶然、子供の頃の家康(当時は竹千代)と出会ったシーンがあったが、その時も竹千代は「母に会わせてほしい」と光秀にせがんだ。

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そんな母から、手紙(文)が届けられる。
桶狭間の戦いで家康は、先鋒を任され最前線の大高城へと本陣に先んじて入城した。手紙が届いたのは、その時である。

この戦は勝っても負けても良きことは何もない。
戦から身を引きなされ。母はひたすら元康殿に会いたい。
もはや道ですれちごうても“我が子”とわからぬ愚かな母であるが、この戦でわが子が命を落としたと聞けば、身も世もなく泣くであろう。

家康は涙する。手紙には母親の愛情が溢れている。

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この手紙の裏には信長がいて、家康に“今川から離反するよう説得”する内容でもあるが、母の愛情はそんな政とは無縁の“真実”である。家康にはそれがわかる。

直接的にはそうは描かれなかったが、家康は、最前線に居ながら、桶狭間で奇襲された今川義元本陣に、援軍を出さなかった。信長は、挟み撃ちに合わなかった。

3、“奇妙丸”と母

最後に奇妙丸にも触れておく。
出陣前、「帰蝶に合わせておきたい者がおる」といい信長は、急に、まだ赤子の奇妙丸を帰蝶に会わせた。のちの織田信忠だ。帰蝶に内緒で側室に産ませた子で黙って育ててきたという。「もし自分の身に何かあったら奇妙丸を頼む」と言い残して。帰蝶は、展開の早さを飲み込めずにいるが、信長は出陣してしまう。

信長は、帰蝶に“母のように”褒められたくて、大一番の「桶狭間の戦い」に勝利してみせた。
そして、同時に、義理の息子を与えて帰蝶を“奇妙丸の母親”にもしてみせた。

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帰蝶は、望まれるがままに“母のように”信長を慕い、そして褒めたが、奇妙丸を急に連れてきたりする信長の“暴走”には困惑する様子をみせた。涙をこぼした。
信長の実母は信長を恐れた。大切にしていたものを、ふいに壊してしまうと嘆き信長をこわがった。帰蝶は、信長の“母”として、信長をうけとめ続けられるのだろうか。「褒めてほしい」気持ちだけで今川を滅ぼしてしまえるような純真無垢の怪物を、飼い慣らし続けていけるのだろうか。

行く末に一抹の不安を陰らせながらも、桶狭間からの帰路には美しい夕陽が沈むのであった。

(おわり)

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