見出し画像

駆け抜ける馬であること──映画「哀れなるものたち」(原題:「Poor things」)を観て

私も男の性器に股がって腰を振るとき、草原を駆け抜けて広がった世界へ飛び出していく馬になりたいと思った。

映画を観た後に色々なレビューを見たけれど、フェミニズム云々は私にはまだまだ力不足で(とはいえ、女が行き着く先はどんな女であろうと娼婦なのかなとは思ったりもした)、1番思ったことはこれだった。そしてこれを言葉にしたいと思った。
騎乗位というけれど、私自身が馬なんだと思う。

ほんでてっきり最後、将軍を解剖して死にかけのゴッドの脳を移植でもするのかと想像したけど、ヤギだったのでそこはジョークだった。

内容を語るには自分の頭の中ではまだ早いのかもしれないけど、あの内容を、あの世界観(映像とその色味、静かに水溜まりをちゃぷちゃぷと跳ねるような音楽)で描いているのが好かった。


冒頭に書いたように、彼女が腰を振るシーンはダーウィンが来た!で草原を駆け抜けるシマウマと錯覚してしまうほど自由に満ちていて清々しかった。それが本当に自由なのかどうかは、彼女自身(それはときに私たち自身)が決めるのだと思う。


先がどこであれ、私はどこかへ向かっていくことから逃げられないのかなと思ったりする。それはたとえ時間という流れがなくても、存在として。


そして最後に立ち返って考えるのが、この映画の原題「Poor things」について。
日本語訳では「哀れなるものたち」となっているけど、poorからは色々な意味が読み取れるなぁと思って、それらの意味をひっくるめて「Poor things」なのだと勝手に考えたりしている。だから私はできるだけ「Poor things」と表し続けたい。(本当はもっと考察するならば、途中で繰り返し出てきた貧しいスラム街の人々のこととも関連やそこから広げた妄想が出来そうだけど、妄想のままにしておいて、文字にしたくはない)



この記事が参加している募集

#今こんな気分

76,230件

#映画感想文

68,047件