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「死ね」という言葉にはなれない言葉の逝き先と、工藤吉生の短歌に寄せて

「死ね」という言葉によって君の持つ説得力が自殺したのだ/工藤吉生

「死ね」という言葉を見るだけで心は静かに凍りついていく。全てはそれに集約されるのだから都合がいいし、色が渦巻いていた感情を「あ、これってこんな簡単なものだったんですね案外」ってストンと落としてしまうのだと思う。すなわち開き直りに似たそれ以上でもそれ以下でもない窮屈な、それでいて寛容な言葉のナイフで。ぐにゃりと刺された傷口に穏やかな血の海が広がっていくようで、私は嫌いだった。悲しくなったけど、きっとそれを訴えても「死ね」と言う人は開き直ったままのドアを閉めることも、壊すこともしないからそのままなんだと思う。だから他の何かに救いを求めるわけじゃないけどさようならしなさい、と心の母の声がする。
(ある人が、私はまだ一度も生まれたことがないんですよという顔をして歩きたい的なことを言っていたのを思い出す)

〈音楽は存在しない何かへの憧れである〉とフォーレは言った/工藤吉生

たとえ楽譜であってもそれは音楽の証明ではない。歌詞カードを見せてもそれはその曲の全てではないし、メロディーにしたって記号論だけでは説明がつかないし。この耳が聴いて、口ずさんで、踊るわたしたちはきっとどこまでも漂っていける気がしてくる。身体感覚、そのものって言えるかもしれない。イヤホンで何かしらの曲を聴いていると、その曲が終わるまでの永遠がそこに流れ続けていて“思わず”泣いてしまう。何をしたって本当には届かないから、憧れ続けているんだと思う。

夏までに秋までに死ぬ卒業をするまでに死ぬ死ぬまでに死ぬ/工藤吉生

この前の日記でも思ったこと。少女はいつも「いつか──○歳までに死ぬ気がする」って当たらない占い師みたいなことを言うけれど、それはきっと肉体的ではなく精神的な少女性の消失を意味する死ではないかと思う。そして本当にそのいつかが来て死んでしまったとき、「いつかになってしまったんだね」という傍観者としての私になっている。
死ぬまでに死ぬかぁ、と笑えば少女兼大人になれるでしょうか、いいえだれでも。



工藤吉生『世界で一番すばらしい俺』(短歌研究社、2020年7月)より

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