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8月13日 工場で働いてると、感覚が鈍麻する。早く辞めたい。

 工場で働いていると、感覚が鈍磨する。早く辞めたい。

 工場でベルトコンベアに合わせて動き続けるということをしていると、人間が次第にロボット化していくのを感じる。このあたりの話は前にも『工場での仕事は時間が3倍に伸びている気がする。』で話した。
 一緒に働いている人はベルトコンベア仕事をずーっと続けると次第に意識がぼんやりする現象を感じているようだ。よくいう言葉だが、「あれ? いつのまにここまで進んだんだっけ?」とか「1週間早く過ぎているような気がする」とか。みんなそういう話をよくする。記憶が飛んでいるんだ。いや、記憶というか、意識が飛んでいる。前にも話したが、私はこの現象を「オフモード」と呼ぶことにした。

 養老孟司先生曰く、「人間はいつも意識があるわけではない。大半の時間を人形として過ごしている」。
 私はこの「人形状態」になることを「オフモード」と呼んでいる。ベルトコンベア仕事をしている間は特にオフモード状態に入りやすい。実際、まわりのおじさん達をじっくり観察していると、ぼーっとしていることが次第に次第に多くなっている。目の前でモノが動いて接近しているのに、直前まで気付いていないことも結構ある。わりと若い人でもオフモード状態になって動いているから、積み荷を運ぶ場所が変わっているのに気付かず、同じ場所に運び続ける、というミスをよくするようになる。

 私はというと、どうやら性質的にオフモードに入りづらいタイプらしく、8時間労働だったら8時間分の時間の重みを毎日ダイレクトに感じている。だから一日一日が非常に長く感じているし、一週間はもっと長く感じている。周りの人が言うように「1週間が早い」という感覚がまったくない。1週間が長く、だからめちゃくちゃにしんどい。

 たぶん人間によってオフモードに入りやすい、入りにくいタイプの2種類がいるんだろう。前に子供の頃はずっとオンモードで、年とともにオフモードの割合が多くなり、それで時間の感じ方も短くなるのだ……という仮説を示した。でもおそらくは子供の頃からオフモードに入りやすいタイプというのは割合としているのだろうと思う。こうしたオフモードに入りやすいタイプの人は、ひたすら同じことを繰り返す工場での仕事も向いているんだろう。

 このあたりの考え方は、これからの社会、どう生きていくか、という話にも繋がってくる。
 というのも、これから仕事の多くは優秀なロボットやAIが現場仕事を担うようになる。私が今やっているような仕事も、いつかはロボットが中心になっていく。そうすると人間の役割はロボットが運んでいる内容が正しいか、目で見て確認してチェックリストに印を付けるだけ……みたいになる。実際、Amazon工場がそうなっている。
 楽なお仕事。でもこういう仕事ほどオフモードに入りやすい。意識がぼんやりして、時間が飛ぶような感じがするだろう。

 そうすると人間の機能や感性はどう変わっていくのか。確実にいって低下していく。だって何もしないでロボットのように時間を過ごすだけになっていくのだもの。それで人間の能力がよりめざましく進化していく……なんてことがあるわけがない。
 よく「ゆとりのある生活をすると人間の能力・感性が進化する」という意見があるが、そうはならない。むしろその逆で、未来の人間は人類史に例がないくらい馬鹿になっていく。
 ロボット化し、同じことを繰り返すだけになり、その人間が持っているかも知れない能力や感性や才能が磨かれることはなく、むしろひたすら繰り返しの時間の中で摩耗していく。
 未来ではそういう仕事のほうが世の中での大半になっていく。だから理性・知性の格差が仕事の選び方でものすごく変わってきてしまうだろう。

 馬鹿な人間ロボットと、優秀な本物ロボットがともに暮らす未来……。そういう未来像を、私は最近抱いている。
 そうなることに焦りや危機感を持つ者と、なんとも思わず受け入れてしまう人、これが成長したときの人間像を分ける切っ掛けになるだろう。

 でもそういう“楽なお仕事”を好んで選んでしまう人はきっと多いはずだ。だって、つらい思いなんか誰だってしたくないもの。誰しも勉強したいとか、努力したいとか、そういうふうに思わないものだ。楽ができるんだったら、楽できるほうを選ぶだろう。楽なほうを選ばないなら、その理由が必要になるはずで、普通に暮らす間はそういう理由を見いだすことができないだろう。
 私みたいに小説を書いたり、絵を描いたりはわかりやすいが、そういうモチベーションを持っていない人にとって、「努力すること」は何の意味がないことだから、ただつらいだけで成果が出ることもないだろう。

 私ははっきりと、こういう工場での仕事は向いていないタイプだ。なにしろオフモードに入らないのだから、時間の重さがきつい。前にも書いたけど、毎日毎日、時間が3倍に間延びして感じられる。仕事内容が退屈な上に、オフモードに入れないから時間が延びて感じられる。このキツさは私の同じ仕事をして、しかもオフモードに入りづらいタイプの人間じゃないと共感し得ないものだ。
(オフモードに入りやすいタイプの人なら「なんだ楽じゃん」と思うだろう)

 でもふと思うこともある。こういう工場仕事をやっている間は、感性が摩耗するように感じられる。どういうことかというと、映画を見ても何となくぼんやりしている。アニメを見ても楽しめない。ぼーと見てしまって、色んなものを見逃してしまう。
 ああ、疲れてるんだな。疲れているだけだろう。そう思っていた。

 でも違うということにふと気付いた。
 気付いたのはつい先日だけど、あれは20代の終わり頃の話。
 私はゲームソフトを買うと、RPGならレベル99まで上げるし、アイテム回収率は100%まで集めるし、アクションゲームならハードモードクリアまで繰り返しプレイする。そこそこゲームをやりこむタイプだった。
 ところが20代の終わり頃……その当時も工場で忙しく働いていたのだけど……急にこれができなくなってしまった。ふと「しんどい」と思ってしまった。
 それ以来、ゲームはとりあえずエンディングまで進んだら終了。難易度はノーマルどころかイージーモード。ゲームで無理ができなくなってしまった。
 そうするようになったのは、「ああ、年だな」と当時は思っていた。「ゲーマーはゲームで自分の劣化を知る」……当時はそのように語っていた。

 いやいやそうじゃない。そうじゃなかった。そうじゃない、ということについ先日気付いた。
 本当の理由は私も工場仕事の毎日でロボット化が進んでしまったのだ。ロボット化して、色んな感性や能力がその中で摩耗してしまったから、無理ができなくなってしまったのだ。
 ゲームというのは正直なもので、その人間の劣化をはっきり突きつけてくれる。「今日調子が悪いな」と思った日の『Splatoon』は大抵ひどい戦績になるし、調子がいい日だと勝ちまくれる。感覚で自分の体に尋ねるより、朝起きて一発目でゲームをやってみたほうが、自分のコンディションがわかったりする。
 ゲームで頑張れなくなったのは「もう年だから」ではなく、感性そのものが摩耗しているからだ。ゲームははっきりとその実態のほうを示していたのだ。私はそのことに気付かず、「年齢のせい」と勘違いしていた。でもそうじゃなく、ロボット化が進んでしまってセンサーが鈍くなり、本来捉えられるはずの色んなものを見逃すようになっていたのだ。だからゲームが下手になったし、難しいシーンで粘れなくなっていた。映画もアニメも楽しめなくなっていった理由もそれだ。

 ああ、早く工場仕事を辞めなければ。気付いてしまったから、早く辞めたほうが良い。
 数年前……あれは漫画を描き始める前の話だが、その時も工場仕事をしていて、工場仕事が終了した後リハビリ期間を入れず、疲れた体のまま無理して漫画制作に入ってしまった。今にして思えば、あれはマズかった。非常にマズかった。
 本来ならリハビリ期間を入れて、感覚が戻ってきたタイミングで次の課題に移るべきだった。でも当時はいろいろ焦っていた。焦りすぎて無理に無理を重ねてしまった。その結果、どんどん駄目になっていった。どんどん体が壊れていった。作品はもっと駄目になって、誰も見向きしないゴミとなってしまった。2014年から足かけ5年掛けた試みは何の成果も出せずに終わってしまった。全て無駄になってしまった。無意味な5年間になってしまった。
 同じ失敗は繰り返してはならない。

 それで、今もだいぶ焦っている。こんなことをやっている場合ではない。早く小説を書かなくては。絵を描かなくては。私は他にもう一つ、次にやろうと考えているものを準備している(まだ詳細を発表できない)。それを早く早く出さなきゃ、と考えている。でも現状は毎日ベルトコンベア仕事でひたすらにもどかしい。しかも疲れている。

 工場仕事を続けていると感性が鈍磨していく。ロボット化していく。早く辞めなくては。私の感性が完全に死んでしまう前に。私には残さなくてはならないものがある。このまま終わりたくないから。



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