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映画感想 モータルコンバット(2021)

 モータルコンバット! 映画公式サイトによると、このシリーズは世界で“もっとも売れた格闘ゲームの一つ”……だそうだ。本当かしら?
 『モータルコンバット』は1997年に一度映画化したが……この映画、私見たかな……。見た記憶がないのだけど、当時から駄作映画・珍映画の誉れを受けていて、「ゲーム原作映画は成功しない」とよく言われる実例の一つとなった。とにかくも1997年版の映画は批評的興行的にも惨敗し、映画会社はシリーズを3本制作する計画で権利を取っていたが、その3作目を作る前に挫折。
 その後も『モータルコンバット』映画の企画はちょくちょく動いていたようだけど、2010年に入ってようやく進展をはじめ、2015年にジェームズ・ワンがプロデューサーに就任、2016年にサイモン・マッコイドが監督に抜擢、2019年に撮影がスタートし、2021年にやっとこさ完成。1本の映画ができあがるまで、長い長い物語があったわけだ。
 2021年に公開された本作は公開初日に900万ドルを稼いだわけだが……この時、併映されていたのが『鬼滅の刃 無限列車編』。たまたまそういうタイミングだったのか、同じカテゴリに入れられていたのか……。『鬼滅の刃』が640万ドルを稼いでいたので、『モータルコンバット』のほうが稼いでいる。
 本作は最終的に1億8000万ドルを稼ぎ出し、制作費が5500万ドルなので余裕の黒字(日本語Wikipediaには「1億」が抜けている)。
 批評集積サイトRotten Tomatoesでは54%が肯定的レビュー、平均スコアは10点満点中5.4。低い。低いが、1997年の映画と比較すると圧倒的に評価は高く、原作ファンも納得のクオリティに達していたし、興行的にも成功したので、今回の『モータルコンバット』をベースとしたシリーズが動こうとしている。
(ちなみに1997年版の評価は、肯定的レビュー4%で、平均点は10点満点中2.6)

 それでは前半のストーリーを見ていこう。


 1617年。日本のとある山奥に、ニンジャの隠里があった。そこにハサシ・ハンゾウの妻と息子、それから弟子達とともに静かに暮らしていた。
 隠里に怪しげな男達が現れる。男達は隠里のニンジャたちに襲いかかり、次々に殺していく。ちょうど水くみに出ていたハンゾウは悲鳴を聞いて駆けつけるが、その時には隠れ里のニンジャ達は全滅し、妻も息子も殺されていた。
 隠里の襲ったのはビ・ハンという名の刺客だった。ハンゾウはビ・ハンに戦いを挑むが、敗北する。
「この顔……忘れるな」
 ハンゾウはそう残してこの世を去るのだった。

 それから400年……。
 人間界に危機が迫っていた。次の武術大会に負ければ、魔界に支配される。だが古い予言によればハンゾウの血統が蘇り、新たな王者の一派が形勢される……ということだった。
 魔界ではチャン・ツンが予言が成就されないための策を練っていた。世界の武術家を暗殺し、モータルコンバットそのものが開催されなければ予言は実現しないし、魔界勢力の勝利ということになる……。チャン・ツンは人間界にビ・ハンことサブ・ゼロを送り込むのだった。

 人間界ではコール・ヤングが地下格闘技場で戦っていた。果敢に戦うがあと一歩というところで敗北してしまう……。コール・ヤングは最近、負け続けだった。
 そんなコール・ヤングのところに、ジャックスと名乗る男が尋ねてくる。「一つ聞きたい。そのドラゴンのタトゥーはいいな。個性的だ。どこで入れた」。コール・ヤングの胸に刻まれたドラゴンのタトゥー。それはタトゥーではなく、生まれついての“アザ”だった。
 そんなやり取りの後、コール・ヤングは家族とともにレストランへ行く。すると7月の夏だというのに雪が降り始める。しばらく不思議な現象を楽しんで見ていたが、唐突に雹が降り注いだ。サブ・ゼロが襲ってきたのだ。ジャックスがやってきて、コール・ヤングの家族を車に乗せて逃亡。
 しかし行き着いた先にサブ・ゼロが先回りしていた。車でも逃げることはできない……。ジャックスは「インディアナ州のソニア・ブレイドに会いに行け」と言い残し、1人サブ・ゼロに挑んでいった。
 ジャックスとサブ・ゼロの戦いは、サブ・ゼロの氷結の力によってジャックスの両腕が砕かれ、ジャックスの敗北で終わる。
 コール・ヤングはまず自宅に戻り、家族を残していくと、その足でソニア・ブレイドのもとへ行くのだった……。


 ここまでが前半25分のストーリー。

 前半のあらすじを見てわかるけど……「変なお話し」です。ヘンテコ映画なのよね、これ。
 まずいったいどういう経緯で人間界と魔界が武術大会をやっているのか、とか魔界の映像が出てくるのだけどイメージが貧相で「なんだこりゃ」ってなるしで……。ストーリーの展開もずっと「なんだそりゃ」がえんえん続く。そういう変なお話しですよ……という前提で見ないとついて行けないところがある。

 例えば冒頭のシーン。17世紀の日本が舞台になっているけど、なにもかもがおかしい。森の中だというのにやけに明るい。地面に木の影が映ってない(ロケ撮影ではなくセット撮影だ)。山奥にかやぶき屋根の家が一軒建っているのだけど、その前で奥さんが忍者道具であるクナイで家庭菜園をやっている。家の周囲にはたぶん護衛らしき人がうろうろしている。やたらと物々しい。
 こういうおかしな日本描写に厳しい真田広之が、そういう環境下で演技をしている。ということは、作っている方も「おかしな映画ですよ」と割り切って作っている。これは変な映画ですよ……と。
 実写映画の難しいところは、抽象度のコントロールができないこと。アニメであれば、「ルック」で映画のトーンを最初に提示することができる。重厚な作品であれば背景もキャラクターもリアルに描けば良いし、おかしなトーンの映画だったらキャラクターや色彩の抽象度を上げればそのトーンがすぐに伝わる。アニメであれば、作り手の「こういう映画ですよ」という提唱を絵そのものでできて、しかもそれが簡単に伝わるが、実写だとそれがちょっと難しくなる。実写は抽象度のコントロールがほとんどできないのが弱点。本作『モータルコンバット』のような映画の場合、「単にリアリティの欠く描写」と捕らわれる可能性のほうが高く、そこで真剣に見ようという意欲を削いでしまう。そこでこの映画の評価が分かれてしまったんじゃないかな……という気がする。
 でもこの映画が最初のシーンで示したかったのは、「これ、変な映画ですよ」ということ。変なできごとが延々起き続ける映画だけど、それを前提に楽しんで行ってくださいね……。そういう映画。

途中の寺院の中で、人間対悪魔界との闘争の歴史が壁画に刻まれているが、絵がコミックスタイルでフルカラー。こういうところでも「こういう変な映画です」ということを伝えようとしている。

 もとを遡れば、そもそも元のゲームも変なゲームなのよ。だって登場人物がみんな実写。格闘ゲームのキャラクターは得てして変な格好をしているものだけど、その変な格好を実写でやっちゃった。もうシュールの極みだった。
 ゲームの最後、決着に必殺技を決めたら、首が飛ぶ、体が真っ二つに裂ける……残虐描写は当時から問題になっていた。
 こういうところも表現が「漫画」であれば抽象度をうまくコントロールできるのだけど、しかし実写映像を採用しているのだから抽象度のコントロールができない。とにかくインパクトの強い描写……となるといきなり人体破壊描写になってしまう。いきなり過度な表現になってしまうし、しかもどこかシュールになってしまう。これは私からすれば「表現力の弱さ」だと思うのだけど……。
(残虐描写を使わず、工夫してインパクトのあるシーンを作れるか……が表現者の仕事でしょ。でも実写表現だと自由自在の表現ができない……例えば手から波動を飛ばしたり、腕が伸びたり……そういう表現をやればやるほどシュールになっていく。漫画だとそういうシュールな表現を飲み込むことができる。実写でやっちゃったから漫画表現を自在に使えないし、しかも「とにかくインパクトの強い表現を」で残虐描写に頼っちゃった。そこが表現力の弱さ)
 でもこういうあけすけな残虐描写はアメリカのキッズは大喜びだった。日本では「中二病」という言葉があるように、あまりにも大真面目に表現するのは恥ずかしいから、ちょっと茶化そうという意識がある。昔から格闘ゲームのキャラクターは変な格好をして変な舞台で戦うものだから、作り手もその世界観を別に大真面目に捉えていたわけではなく、自分でもちょっと茶化して表現しているところがあった。どこかしらにちょっと笑いを入れて、格好よく決めるところは決める。軽くふざけて、そのおふざけをカモフラージュにしてかっこつける……というのが日本的なやり方。
 一方のアメリカは、中二病的表現に躊躇いがないんだ。今も昔も中二病ど真ん中がアメリカ人(ハリウッド映画見ているとわかるでしょ)。変な設定、変な世界観を大真面目にやるし、その中での残虐描写を大真面目に受け止めるし。そんな中二病的な残虐性をポンとぶっ込んじゃった……それが『モータルコンバット』。
 そういう世界観を実写に置き換えれば突然重厚なリアリティが生まれるわけがなく。やっぱり設定やストーリー展開の全てが変。なんともいえないシュールな物語を、大真面目にやっている。それ自体がもはやコメディでは……というツッコミの余地がないくらいに真面目にやる。なのに別にギャグとして表現されてないから、頭の中の抽象度を調節できない人が見てしまうと「なんだこりゃ」ってなってしまう。
 これはこういう映画なんだよ! こまけーこといいから楽しんだもの勝ちなんだよ! ……そういう映画。

 そういう映画表現の話はもう横に置いておきましょう。そこを議論したって何もない映画ですので。
 やはり見所はアクション。やっぱりアクションそれ自体がしっかりできているから、見応えがある。

 まずはハサシ・ハンゾウ役の真田広之。相変わらず動きがキレッキレ。本編中、一番動いているんじゃないか……というくらいに体が動く。スタントマンとの連携がいい……というのもあるけれども、クナイをロープに繋いでからのアクションは本当に格好いい。
 この映画はかなりわかりやすいところがあって、動きの駄目な俳優はカットで切られまくる。例えばジャックスのアクションはパンチ1発ごとにカットが切り替わる。うまく動けてないからカット割りでアクションの駄目なところがごまかされてしまっている。

 動けていない人のもう一人がソニア・ブレイド。やはりパンチ1発ごとにカットが切り替わるし、ワイヤーアクションになるといつもカメラが背後に回る。本人アクションやってないんだよね。
 でもすごい美人。スタイルがめちゃくちゃに良いので、紅一点としては最高。あのウエスト、俺にもくれ……。

 動ける俳優さんといえばこの人。リュウ・カンを演じたルディ・リン。まず、この体見てよ。胴着を着ているときは着痩せしてひょろっとしているように見えるのだけど、服を脱いだらこのマッチョ。動きもキレッキレ。
 この人のアクションがあまりにいいので、Wikipediaでフィルモグラフィーを探ってみたけれど、映画出演はほんの数本しかない。あまり詳しく書かれておらず、どういう出自の人なのかよくわからなかった。
 リュウ・カンの相棒、クン・ラオも動ける俳優。演じるのはマックス・ハン。こちらもどういう人かよくわからないのだけど、とにかく動きが良い。主演コール・ヤングもいい動きができる俳優さんなのだけど、この辺りの脇役がキレッキレのアクションができるので、おかげで見応えあるアクションになっている。
 クン・ラオとコール・ヤングの組み手が変な特撮もCGも入っていないアクションなので、冒頭シーンの次に見応えのあるアクションかも知れない。

 もう一つ、この映画の良いところは“見せ方”。現象をどのように見せるか。サブ・ゼロがはじめに登場するシーン、レストランに雪が降って、次にテーブルが凍り始めて、さらに地面に落ちた氷が宙に浮かび始めて……それから雹になってバッと降ってくる。こういう段階を踏んで見せてくれるから、「それおかしいだろ」という前に、「おお!」と前のめりにさせてくれる。どこかマーベル映画的なスーパーパワーが発動したような瞬間にも見える。
 サブ・ゼロとジャックスの戦いのシーン、上画像では銃弾で攻撃しようとするが、しかし銃口が凍結してしまい、銃弾も破裂して飛礫となって飛び散ろうとするが、それも氷で固まってしまい……。こういう見せ方がしっかりしている。アクションの中で超常現象をリアリティたっぷりに見せている。
(ところでこのシーン、背景に必殺技コマンドらしきものが書かれている。原作『モータルコンバット』を知らないのでわからないのだけど……)

 こういうアクションで切れ味たっぷりに演出してくれる。しっかりしたリアリティ……俳優自身の身体芸を見せてくれる。ここで作品の質を支えてくれている。つまり、脚本家の腕ではなく、ほとんど監督の見せ方で持っている……といえる作品だ。
 それで物語はどうなのか……こっちは「こまけーことはいいんだ」というノリ。最後の最後まで「なんだそりゃ」といいたくなるシーンが続く。というか元々がシュールの極みなので、これでもうまく映画的な抽象度に変換しているといえる。
 なんにしても、1997年を代表する珍映画が見事なくらい大衆的な映画に化けた。元々のあの変なゲームを知っているだけに、よくここまでやったなぁ……と感心の映画。ちゃんと映画になっていたこと自体に驚きだし、凄い。頑張ったんだな……と感じられる1本だった。「良い映画」とは最後まで言わないけど。


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