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9月25日 アルバート・ハワードと『農業聖典』のお話し。有機農法はいかにして生まれたか?

 今回はアルバート・ハワード卿について話をしよう。

アルバート・ハワード(1873~1947)

 アルバート・ハワード。イギリスで1873年に生まれ、1947年にこの世を去る。植物学者であり、農学者でもあった。彼の功績でもっとも知られているのは1940年に出版された『農業聖典』だ。ハワードは「有機農法」の提唱者であり、彼の代表的な著作『農業聖典』は80年経った今でも普通に手に入れることができ、現代でも信奉者を増やし続けている。有機栽培農家の本棚には必ずアルバート・ハワード卿の本があるというくらいだ。農家の間では「究極の偉人」として崇められている存在である。

 アルバート・ハワード卿の生い立ちを見てみよう。イギリス、シュロップシャーのビショップスキャッスルで生まれる。成長してケンブリッジ大学の生物学科を専攻し、1896年には植物病理学の卒業証書を取得する。

 1905年、ハワードはインド政府から農業顧問として招待される。もともとはインドの農民に農業指導をするために招聘されたわけだが……逆にハワードはインドの伝統的な農法の虜となり、研究対象とする。
 この当時、ガブリエル・マッセイ&ルイーズ姉妹を助手としていたが、1905年姉のマッセイと結婚する。しかしマッセイは1931年に死去してしまうので、その妹ルイーズと再婚することになる……と、ちょっと待てい! さては姉妹丼を楽しんでやがったな。ちくちょうめ! 羨ましいぜ!
 それはさておき、ハワードは間もなく「インドール法」と呼ばれる堆肥の製造法を編み出す。これが有機農法の基礎となった手法であり思想である。

ユストゥス・フォン・リービッヒ(1803~1873)

 ここでちょっと横道に逸れよう。
 ハワードが生まれるずっと前に、ドイツの科学者にユストゥス・フォン・リービッヒという人がいた。この人は「農芸化学の父」と称され、化学肥料の手法を生み出した。
 リービッヒが1840年『化学の農業および生理学への応用』という著作の中で植物の生育に必要な化学的成分はたった3つであるとした。
 それはNPK――すなわち、窒素、リン、カリウムである。

 リービッヒの影響力は絶大で、それ以前の伝統的農法があっという間に廃れ、化学肥料に場を譲ったというくらいだった。今日でも農家達はなにかを栽培しようとしたら、真っ先にNPKの3文字が書かれた白い袋を大量に買う。農業の在り方を現在に至るまで根底から変えてしまった人物だ。
 Wikipediaを見るとユストゥス・フォン・リービッヒの日本語記事はあるが、アルバート・ハワードの日本語記事がない……というところでどちらのほうが支持されているかがよくわかるだろう。

 リービッヒは1873年にこの世を去るわけだが、まさに同じ年に生まれたのがアルバート・ハワードだった。ハワードが大学に行き、農学を学びはじめた頃にはすでに「化学的なもの」こそ先進的であると誰もが信じ、研究者は畑に出ず、研究室で試験管やフラスコを相手に研究していたというくらいだったそうだ。
 ハワードがそういうものから見切りと付けたのは、インド政府から招聘されたことが切っ掛けだったが、結果的に当時はすでに「古くさいもの」と見向きもされなくなっていた伝統的農法を注目する。
 当時の科学者は化学薬品で雑草と害虫を排除しようとしていたが、インドの伝統的農家ではむしろ害虫と思われていたものを働かせ、雑草を取り除かせていた。畑の中の自然環境を適切に維持していれば、人間がアレコレ手を出さずとも、作物がすくすく育っていく……ということを発見する。それどころか、作物が病害に強くなっていくことにも気付く。

 ハワードのもう一つの発見が「箘根箘」である。箘根箘は作物の根に寄生し、ショ糖を奪い取るが、その代わりに土中の栄養を作物に与える。箘根箘が付いたほうが作物は栄養豊かになり、さらに病害にも強くなる。箘根箘という微生物がいる土や作物がよい畑であるといえる。

 ちょっと余談になるが、科学というのは宗教である。科学者やその信奉者は「宗教やオカルトではない!」と怒るだろうが、人間の精神はどちらかといえば「宗教」に傾くように作られている。
 現実の世界に間違いなくそこにあるのに科学が「ない」といったら、存在しないことになる。ずっと存在しない扱いされていたものが、あるとき科学者が「ある」といった途端、人々はそれを存在するものとして扱う。科学者がどういう判断を下すかで、その対象を貶めたり、崇拝したりする。どうしてそうなるのかというと、人間の精神がそのようにできているからだ。
 例えば味覚の中に「旨味」というものがあるのだが、この旨味を感知できるのは東洋人だけだった。1913年に小玉新太郎が旨味を発見し、発表するわけだが、西洋では総スカンだった。なぜなら西洋人には旨味を感知する味蕾がなかったからだ。日本人なら誰もがわかる鰹出汁の味が西洋人にはわからなかたったわけだ。2000年に入って、グルタミン酸受容体という味蕾が発見されたことにより、旨味が実在するものだと世界的に認知された。こんな例は世の中に山ほどあるのだろう。

 さて、アルバート・ハワードが提唱した有機農法だが、すぐには広まらなかった。むしろオカルトの扱いだった。作物をより良くするのは農場周辺の環境全体が大事なんだ……という考えは当時の化学者からすると失笑の対象だった。『農業聖典』は技法書というより哲学書ではないか……みたいにいわれていた。
 科学者達が信じていたのは、科学の力で害虫をいかに排除し、必要最低限の化学肥料で作物を育てられるか……だった。ハワードの理論が化学的にも正しい……と証明されるのはずっとずっと後の話だった。

 結局はリービッヒが提唱した化学農法が世界を制することになる。日本の農家もほとんどが慣行農法を採用し(化学農法に基づいた手法を「慣行農法」という)、ビル・ゲイツをはじめとする慈善活動家たちは後進国に化学農法を押しつけがましく推奨している。化学農法を実践すれば収量が倍増し、飢餓からたちまち脱することができる……と“進歩的な人々”が喧伝する。
 ところが化学農法にも問題があった。除草剤で雑草を排除し、NPKのみで作物を育てると、確かにはじめはすくすくと育つ。しかし5年ほどで生育が思うようにいかなくなる。土から養分がなくなってスカスカになり、作物の育ちも悪くなっていく。土壌に播かれた化学肥料、とりわけ窒素は土で受け止められなくなり、周辺の環境を汚染していく。農場周辺の森が枯れていくし、その森の実りを口にする動物たちも健康を悪くしていく。さらに窒素は地下水として染み出していき、川に流れ、海に流れ、大量のプランクトンを発生させることになる。大量のプランクトンが発生すると魚が呼吸できなくなり、死体が水上に浮かぶ……という光景が現れるようになる。
 そんな土で育てた作物は実はさほど栄養がない。健康志向の強い人たちはおそらく野菜を多く食べると思うのだが、残念ながらスーパーマーケットに並ぶ現代の野菜には、昔ほどの栄養素はない。作物の栄養は土中の栄養を吸い上げて成立するものだが、その土中に菌がいない状態になると、作物にも栄養が渡らないという状態になる。NPKによる農法は土中の菌を殺し尽くし、とりあえず作物らしきものを生育させるだけだった。
 先進国から化学農法を押しつけられた後進国は、軒並み環境が破壊され、飢餓が増える……という結果が出ている。
 先進国の人々も、たぶん昔ほど身体は健康ではない。作物には昔ほど栄養が乗ってないし、家畜も農薬たっぷりの作物を食べさせられて育つのだから、その肉には栄養が載ってない。商品の裏面に乗っている栄養一覧どおりの栄養がほんとうに入っているのかどうかも疑わしい。現代人の肉体も精神も弱くなっていくはずだ。そもそも栄養のないものを食べているわけだから、体が丈夫になるはずがない。

 化学農法の問題点や限界は、最近に限らず数十年前から何度も何度も報告されている。ところが人間は一度選択すると、なかなか変えることができない。問題に気付きつつも、農家はNPKを畑に撒いて作物を育てようとする。
 科学者達は化学農法の問題から目を逸らし、解決するのではなく、科学の力でさらに新しい問題を積み上げようとする。それが最近では遺伝子組み換え作物だ。畑に強烈な農薬を撒き、その農薬まみれの土の中でも育つ種子を開発する。確かに作物は育つといえば育つが、栄養はまったくなく、それどころか作物の中にどっさりと農薬が残留している。
 たぶん末端の消費者は「野菜は栄養豊富だ」と思ってほうれん草や大豆を食べたりするのだろう。しかしそこに栄養はなく、口に入れているのはほとんど農薬……ということになる。
 知っていれば誰も食べなくなる。だからマスコミは知ってても報道しない。

 そうした化学農法の問題に気付いていても、だからといってすぐに有機農法だ……というわけにはいかなかった。実は「化学農法か有機農法か」という議論は定期的にあったそうだが、毎回勝利するのは化学農法だった。有機農法は主張が曖昧だし、ちょっとファンタジーっぽい。「作物を育てるのに周囲の環境も同時に大事」……なんて話はまるで『風の谷のナウシカ』みたいだ。科学的に見えない。“いい年した大人”が信じるにはメルヘンすぎた。
 1970年頃のアメリカにおいて有機農法を始めるのは、代々畑を引き継いできた職業農家たち……ではなく農業などまったくの素人のヒッピー達だった。しかしそもそも農業の素人のうえに体系だった手法もなく、指導者もいない有機農法を実行するのは難関だった。大手食品メーカーも農務省も有機農法に対し冷笑的だった。ヒッピー達はハワード卿が数十年前に出版した『農業聖典』を片手に、いつか必ずうまくいくと信じて畑と向き合ったのだった(どうやら大半は脱落したようだが)。

 日本も遅れて昔ながらの伝統的農法を取り戻そうとしている。
 遡ること1981年。愛媛県今治市に「有機農業推進協議会」が発足する。作物を従来のように不特定多数のユーザーの売るのではなく、地産地消、つまり生産・流通・消費をすべて地域内で徹底させるやり方を提唱する。その主な提携先は――学校給食だ。
 しかし有機作物を子供に食べさせる……ということにすぐに誰もが納得したわけではない。まず有機野菜は虫食いだらけだし、形も大きさも不揃いだ。私たちはスーパーマーケットで形も色も綺麗に揃っている野菜を見慣れている。ああいった野菜が当たり前だと思っている。そこに見た目が不格好な有機野菜は、一見すると「安全な食品」には見えなかった。親たちは難色を示したし、栄養士も眉をひそめていた。
 だが見た目が不格好な野菜こそ、実は味も良く栄養豊かな食品なのだ(……『キテレツ大百科』でも同じこと言ってたなぁ)。辛抱強く交渉を重ね、ようやく有機作物による給食が1983年に実現することになる。
 その結果どうなったか? 子供たちの免疫力が明らかに強くなり、全体の病欠率が格段に減った。良い土、細菌一杯の土で育った作物は食べる者に強力な栄養を与えるのだった。
 給食を地域で育てた有機栽培に――この運動はいま全国中に広がろうとしている。

 ところでちょっと面白い話を見付けた。
 有機農法の問題点といえば「雑草」だ。農薬を使わないと、作物の周辺に雑草が旺盛に茂り、雑草に土の栄養分が持って行かれるから、ひたすらに草むしりをしなければならない。実家が酪農家で有名な漫画家・荒川弘は子供の頃から畑の草むしりに動員され、「農薬使えー!」と発狂していた。
 しかし本当の「抑草」は人間があくせくして働く必要はなく、自然の力に任せればよい。
 例えば田んぼの場合、疎植にして田んぼにカエル、クモ、タニシを投入すれば、その昆虫たちが雑草を駆除してくれる。そうすれば人間が草むしりをする必要はなく、病害虫被害も起きなかったという。
 何が面白かったかというとこの話、『天穂のサクナヒメ』でやっていたことだった。こんなところであのゲームの農法が正しいことが証明されてしまった。やっぱりよくできてたんだな……あの作品。

 有機農法か化学農法か……は現在も世界中で対立している。
「有機農法は科学的じゃない。化学農法には問題があるかも知れないが、さらなる科学の力で解決するはずだ」――やっぱり進歩的な科学者ほどこちらの考え方だ。有機農法は古くさいし、化学的に見えない。大学で科学をしっかり学んだ者ほど、こういう考えになりがちのようだ。
 それに若い人はやはり「新しい技術」に習性的に飛びついてしまう。最近ではDNAに直接ハサミを入れて編集できる「クリスパーキャス9」だ。そういう新しい技術を導入すれば、現在の問題などあっという間に解決する……科学者ほどそう信じてしまう。

 一見すると科学的に見えない。自然との共生なんて、感傷的なファンタジーだ。宮崎駿のアニメに夢中になるのは子供たちだけだ。大人はより高度に発達した科学にこそ目を向けるべきだ。
 だが昔からやっていたものの中にこそ、大事なものが眠っているかも知れない。そういうものは農業だけではなく、いろんなものに当てはまるかもしれない。昔からあるものを「古くさい」と言わず、改めて見返してみるとどうだろうか。最先端のものを追えば追うほど、見えなくなるものもあるかも知れない。自分は「頭が良い」と信じている人ほど、要注意だ。


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