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読書感想 昨日までの世界

ファーストコンタクト

 現在のパプワニューギニアの首都ポートモレスビーには「空港」がある。そこにはたくさんのニューギニア人が行き交っている。かつての時代では顔を合わせることもなかったような部族、氏族同士が当たり前のようにすれ違っている。空港にはどこの国の空港と同じように、係員がいて、コンピューターを操作し、もめ事がおきたらただちに警察が飛んでくる。そんな空港には、それまでニューギニアにやってくることのなかった多くの国の人々が日々やってきている。

 話を今から90年前に戻してみよう。
 1931年。西洋人の探検家たちは、このニューギニアにおいて、まったくの未知の人々と“ファーストコンタクト”を果たした。ニューギニアに暮らす人々は、石器を使い、狩猟採取の生活をしていた。10万年ほど前、人類はアフリカを出て、そのうちの小さな部族がここに定住し、以来、彼らは“外の世界”の人々とは接触してこなかった。彼らにとっても同じく”ファーストコンタクト“だった。
 ニューギニアの人々は外の世界を知らず、どんな人々が世界で暮らしているかなんて考えもしなかった。ニューギニアの人々にとって、その小さな島での暮らしが世界の全てであった。その外の世界から、突如、来訪者が現れたのだ。
 その時の写真がこれだ。

 この老人は初めて目撃する西洋文明人に驚き、おののき、腰を抜かして涙を流している。後ろに見えている「足」は逃げだそうとしている若者だろう。
 ファーストコンタクトはニューギニアの人々にとって恐怖だった。今まで想像もしないところから、想像もしない人がやってきた……それは完全なる未知との遭遇だった。そんな遭遇をした時、人は決まって2種類の反応を示す。「恐れる」か「崇める」かだ。この老人や、集落の人々は西洋人の来訪は恐怖だったのだ。

 1930年から50年代まで、オーストラリア政府やオランダ政府は、ニューギニア高知に警邏隊を送り込んだ。その後も調査探索遠征隊や軍隊、学者、それから山師といった人々が、ニューギニア高知にやってきた。その結果、新たに100万人にもなる人々を発見した。
 おそらく人類史における、“最後のファーストコンタクト”である。この発見の前にヨーロッパ人は彼らの存在を知らなかったし、彼らもヨーロッパ人などは知らなかった。
(ただし、記録ではおよそ400年ほど前にヨーロッパ人はニューギニア沿岸までやってきて、現地人に遭遇した……とある。その時の経験はすでに忘れていたのだろう)

 このファーストコンタクトから50年ほど経った1980年頃、その当時は少年で、1980年代頃には60歳を越える年齢になった古老達は、当時の体験を鮮明に記憶していた。

 初めて西洋白人を目撃した時、私(語り手)は恐怖で頭が混乱した。我を忘れて泣いた。父が私の手を引き、私を高く伸びたチガヤの草むらに隠した。私たちは西洋白人が去るまで、そこでじっと隠れていた。
 西洋人が去ってから、私たちは集まり、話し合った。私たちはこの土地の外の世界のことは何も知らなかった。肌の白い人々がいるなんて、知らなかった。私たちは肌の白い彼らを生者の世界と死者の世界を飛び越えてやってきた人たちだと考えた。だから、こう考えた。
「そうだ、この男達はこの世の人間ではないんだ。だから殺すのはやめよう。だって、この男達は我々の親類縁者なんだ。亡くなった我々の親類縁者が白い肌になって戻ってきたんだ」
 肌の白い西洋白人は天から下りてきた「天空人」だ……と考える人達もいた。天空人である彼らが、地上人である私たちに会いに来た。だから肌の白い彼らを丁重に歓迎しなければならない。

 しかし誰もがそう思ったわけではなかった。ニューギニア人の中には、西洋白人を詳しく観察する者もいた。ヨーロッパ人たちは調査のために野営地を築くのだが、去った後に多くのものを置き去りにしていく。ゴミである。そのゴミを詳しく観察し、それぞれのものがなんなのか知ろうとした。
 それから、トイレの跡地から大便跡を発見した。その大便は、ニューギニア人たちのものと何ら変わらなかった。
 それに、天空人たちに性行為の相手に何人かの女性をあてがった。その女性から話を聞くと、天空人たちは男性器の形もニューギニアと一緒で、セックスの仕方も同じだった……という。
 この二つの報告から、ようやくニューギニア人たちはヨーロッパ人が“天空人”ではなく、ただの“人間”だと気付くに至ったのである。そういう認識がニューギニア人たちの間で広まり、やがて誰も西洋白人を恐れないようになった。

人間社会を定義づける4つのカテゴリー

 人間社会の構造は“人口”の多さで変質していく。その人口の多さは、文明が新たな局面に迎えるたびに、規模感が変化していくという法則がある。狩猟採取の時代ではごく小規模な人口しか維持できなかったが、農耕社会に入ると一気に人口が増えていった。鉄器製造法を獲得し、大型帆船を製造するようになると世界に向けて版図を広げ、様々な地域に入植していくようになった。その後産業革命の時代を経て人類は新たな局面を迎え、この発展系が私たちが暮らす現在である。今のところ、高度工業化社会が私たちが行き着いている到達点である。
 このように社会観が変化していくと、当然ながら制度も変わっていく。ごく初期の小規模血縁集団の頃だと全ての人が顔を合わせて話し合って制度を決めていくことができるが、人が増えていくとそんなことは不可能だし、そもそも誰が誰なのか、人の顔を覚えることすらできなくなっていく。すると階級が生まれ、政治は権威ある人たちが対話するものに変わっていく。
 そうした社会制度の変化をどのように区分けして、考えていくべきなのか。発達心理学では「乳児期」「児童期」「青年期」「成年期」というように区分けしているが、人間社会も同じように分類することはできないのだろうか。
 文化人類学者であるエルマン・サービスは次のように区分し、定義した。

 小規模血縁集団(バンド)
 部族社会(トライブ)
 首長制社会(チーフダム)
 国家(ステート)

 発達心理学が「乳児期」「児童期」のように簡単に区別できるものじゃない……という批判があるように、人間社会も簡単に分類できるようなものではない。人間社会には様々な段階が存在するし、学者達にも分類しづらい局面もまた存在する。上の4つはの区分はシンプルすぎ、別の定義の提案もあるが、さしあたってここでは4つの区分でお話を掘り下げていく。

※ エルマン・サービス アメリカ合衆国の文化人類学者。1915年~1996年。エルマン・サービスが人間社会の4つの区分を発表したのは1962年。

 小規模血縁集団とはもっとも小規模で単純な社会である。数十人ほどで構成され、ほとんどの場合は一つの血縁集団/家族に属する。
 移動型の狩猟採取民と、焼き畑農業の小規模部族はだいたいがこの小さな集団で暮らし、この集団の中で伝統を作り守ってきた。
 小規模血縁集団は人口が少ないため、全員が顔見知りで、議論の場では全員が参加して話し合うことができた。そのために政治的指導者などは存在しない。経済活動の専門家もおらず、生活に必要な技術はみんなそれぞれで持っているのが当たり前だった。1人1人が持っている「富」の大きさも、だいたいみんな同じくらいである。

 部族社会は小規模血縁集団よりも規模が大きく、形態も複雑な社会である。成員は数百人ほどになるが、まだ全員が顔見知りでやっていける規模感である。部族社会になると、その中に「氏族(クラン)」と呼ばれる血縁集団を入れ込んだ構造になっていく。氏族間では「交換婚」がよく行われるようになる。
 部族社会になると人口規模を維持していくために、生活の形態は農耕あるいは牧畜を営むようになる。ただし生物的生産性の高い環境(つまり、すごく自然が豊か、ということ)では、狩猟採取民のまま部族社会をやっていける場合もある(アイヌ民族や北アメリカ太平洋北西部沿岸の先住民など)。
 小規模血縁集団が移動型であるのに対し、部族社会は定住型である。牧草地や漁場近くに村を築き、ほぼ1年中定住する。季節移動する遊牧民形態の部族社会もある。
 部族社会も小規模血縁集団と同じように、全員が顔をつきあわせて話し合いで物事を決めることができる。そのために政治的指導者が希薄。経済活動の専門化も進んでない。
 なかには弱いリーダーとして機能する「ビッグマン」と呼ばれる人も部族社会の中にいる。ビッグマンとは権力者ではなく、人を説得したり、人柄の魅力で社会を導く人のことである。

 次の段階に入ると、複雑に組織された首長制社会となる。人口は一気に数千規模。経済活動の専門化が進み、食料生産に携わる者、物を制作する職人集団などに分化する。すると自ずとモノ作りは先鋭化していく。さらに政治の専門化も進んで行き、首長やその親族、官僚といった専門職を養うために、食料の生産性を上げて余剰作物を生み出し、それを貯蔵するようになっていく。
 人口が数千人になると成員全員が顔見知りというわけにはいかず、全員が一堂に会して話し合ったりもできなくなる。すると直面する問題は、顔を知らない者同士がどのように同じ社会の一員であると認識できるようになるのか……ということである。そのために、首長制社会では共通のイデオロギーを持つために、首長の神権的地位から派生した共通の政治観・宗教観をアイデンティティとして保持することが多くなる。また強力な指導者を置き、その指導者に権力を預ける場合がある。
 首長制社会のイノベーションは「再分配」である。個人が直接物々交換するだけではなく、首長が食料と労働という貢ぎ物を集め、その多くを首長に仕えている兵士、聖職者、職人に再分配するのである。再分配とは、機関や制度を維持するための「課税システム」の初期形態といえる。こうやって集められた富は、一部は庶民に還元される。飢饉の時は民のために食料が分配されるし、それ以外の時でも民のために施設や道路を建設していかなければならない。
 首長制社会では小規模血縁集団や部族社会には現れなかった“制度化された”格差社会が出現する。“家系”という概念が生まれ、首長の権威は世襲されていく。「階級」の概念が生まれて、首長から奴隷までの間にいくつもの階級が作られ、人々は階級に応じた暮らしをしていく。

 首長制社会の後に出現したのが、国家社会である。
 国家が出現したのは、紀元前3300~3400年頃とされる。古代メソポタミアにおいて、ウルク市が「都市国家」の形態を備えた。これが最初の国家である。抗争と支配によって「国家」は形作られていったが、その国家という形態によって、周辺他部族や同規模の都市国家と対抗し、また他都市国家と対話の切っ掛けも作った。
 国家になると、職業の階層化と専門化が進み、常設の軍隊も整備される。不平等はより徹底され、富の格差はより大きくなっていく。当然ながら国家になると人口規模が大きすぎるために人同士は顔見知りではなくなっていき、同じ街に住んでいるのに顔も名前も知らない……ということが普通になっていく。そうした社会では交易を簡素にするために貨幣経済がより深く浸透し、知らない者同士でも手軽にサービスが得られるように整備される。
 文明も洗練されていき、国家になるとまず鉄器をはじめとする金属器を製造し、生活も金属器に依存するようになっていく。文字や数学も発達し、娯楽文化もここから生まれていく。
 国家は絶大な権力を内側にも外側にも発揮するので、手に入れたい土地があったら住民ごと征服し、奴隷に変えていくし、国家として魅力がなければ放逐する。そのため、国家社会が生まれた後の小規模血縁集団や部族社会は貧しい土地に追いやられがちであった。

 小規模血縁集団が大人数を抱えることは原理的には無理だし、大人数を抱えたまま、小規模血縁集団や部族社会のような合議制社会のままでいることもできない。コミュニティの成員を増やそうと思ったら社会の形態そのものを変えないといけないし、増えたら新しい社会形態に変わっていかねばならない。そういう意味で、社会の形態が変わっていくことには一定の合理性がある。

 現代の世界に多様な社会が共存しているのは、環境による違いがあるためである。政治の中央集権化が進み、社会成層が増えていったのは、人口が増えたためであり、それを推進したのは農耕と牧畜による食料生産の増加と集約化である。
 ところが栽培化や家畜化ができる野生の動植物の種類というのは非常に少ない。一つの地域で生産できる農産物と家畜には、バリエーションの限界がある。また大きく生産できる地域と、そうではない地域との間に格差が生まれる。こうした場合の格差を是正し、余剰の食糧や労働力をシェアし、さらに技術や知識も共有していこうというとき、国家を成立したほうが圧倒的に有利であった。
(もしもどこかの「県」が独立国家になり、周辺の県に対して鎖国した場合、得られる農産物の種類には限りがあるので、その国民の栄養は偏っていくことだろう)
 どんな社会を作れば安全に豊かに暮らしていけるのか、どんな組織であれば生き残っていくために有利であるのか……人間はより良いと思える選択を採っていく。その結果として、小規模血縁集団は部族社会に変わっていき、首長制社会に変わっていき、そして現代、国家を作るようになっていった。
 その代償として得たのが格差社会だ。1人1人の幸福感の小さな社会である。きっと最下層に置かれた庶民からしてみれば、小規模血縁集団や部族社会のほうが幸福は大きかったかも知れない。しかし全体として見れば国家であったほうが有利だ。そのなんともいえない矛盾や葛藤を抱えているのが、現代の我々が属する社会なのである。

テリトリー、境界の考え方

 文明社会において人は移動の自由は制限されない。どこへ行くにも「通行手形」なんてものはまず要求されない。国境を越える際にはパスポートが必要になるが、「制限」というほどのものでもない。
 しかし小規模伝統社会においては、これは普通のできごとではなかった。
 鳥好きおじさんこと、ジャレド・ダイアモンド……じゃなかった、文化人類学者であるジャレド・ダイアモンドの体験談を紹介しながら、小規模伝統社会における「境界」の考え方を掘り下げていこう。

 その当時、ジャレド・ダイアモンドは鳥類調査のために、とあるニューギニアの村を訪ねていた。その村の南には、今回調査することになっている尾根がそびえていた。
 到着翌日、村人数人を案内人にして、尾根に続く小道を登っていた。小道は山の中へ入っていき、その先で鬱蒼とした原生林へと潜り込んでいた。森の中をしばらく進んでいると、雑草が生い茂る小さな畑のような場所があり、畑のど真ん中に廃屋がぽつんと建っているのが見えた。人が住んでいる気配はない。
 道はその小屋でT字に分かれていて、右手には尾根伝いに続く踏みならされた小道があった。その小道からさらに進み、尾根の北側の斜面を、キャンプの設営場所に選んだ。ここまで案内してくれた村人が住んでいる村があるほうの斜面だ。
 尾根を越えた反対側の斜面は、緩やかな谷になっていて、背の高い木々が茂る森になっていた。谷底から渓流のせせらぎも聞こえる。眺めもいいし、野鳥観察には絶好の場所だ。そこでジャレド・ダイアモンドは北側の斜面をキャンプ地にし、南側の山を調査したい……と村人に告げた。
 しかし村人らは首を横に振った。このあたりは非常に危険だから、野営地は武装した大勢の男達で守らなければならない……という。というのも、尾根の向こう側にいる人々は危険な人々で、我々の敵だ……という。彼らとの関係は穏やかではなく、遭遇したらその場で戦闘に陥るかも知れない。
 この尾根が領土の境界線になっていて、尾根の北側が我々の土地。南側が危険な敵の土地であるという。南側の民は悪い連中なので、道の途中にあった廃屋を憶えているだろうか。あれは南側の人々が勝手に建てたもので、小屋を建てることで北側にも少し領有権があると主張しているのだ。
 ニューギニアで軽々に危険を冒すわけにはいかない。時と場合によっては遭遇と同時に、問答無用に襲われる可能性だってある。狩猟採取民は現代人と違って、はるかに身体能力が高い。戦闘になれば危険だ。ここは文明社会ではない。よそ者はほっといてくれない。ジャレド・ダイアモンドは村人らの護衛を受け入れることにした。
 すると村から20人の男性がやって来て、しかも全員が弓矢で武装していた。さらに小道から外れて、尾根の南側斜面に踏み込んではならない。その時点でテリトリーに侵入したと見なされる。南側斜面に流れている川の水も汲んではならない。水はふもとの人々にとって貴重な資源だから、無断で汲むことは窃盗に当たる。それで仕方なく、水は北側斜面のふもとから、毎日汲み上げることにした。
 ところが2日目、南側の邪悪なる民と遭遇することになる。森の中の小屋にいるところで、南側斜面から気配が上がってくるのに気付いた。
 戦闘になるかも知れない……その瞬間は不安でおののいた。
 ところが村人は「心配ありませんよ」と軽く言うのだった。私たち北の民は、南の民が村までの小道を下っていくこと、そこから交易のために海岸まで歩いて行く権利を認めています。ただし南側の民は、小道から離れて、木の伐採や食料採取することは認められていない。ただ小道を歩くだけなら、北の民の土地を通っても構わないのです。それに実は、北の民の男が2人、南の民の女と結婚していて、交流もあります。
 つまり、北の民と南の民は純粋な敵対関係にあるわけではなかった。緊張感を孕んだ停戦状態のような関係にある。ただ、森の中の小屋のように、係争中で未解決な事案も存在する……ということだった。

 北の民と南の民の関係は複雑で、この両者が時々戦争しているというのは本当だった。だがいつもそうというわけではない。海岸へ行くために相手の土地を通り抜けるくらいの権利を認め合っている。ただ相手方の土地に入って、水や木や食料を得ることは禁じられている。ただ森の中の小屋のように、係争中の出来事もあれば、他の件でも合意に達せず、暴力沙汰に発展することもある。
 時々、北の民と南の民は花嫁を差し出し合ったりする。花嫁を差し出すのは、戦争が起きないようにするための保険のようなものだった。
 後に南側の民と交流することもあったが、なんのことのない、普通の人々だった。北側の民とよく似ているというか、ほとんど区別が付けられないくらい、同じ顔の人たちだった。そして南の民も、北の民について「悪魔のような人たちだ」と言うのだった。

 伝統的社会においては土地の境界は明確に区分され、境界を定期的にパトロールし、土地の共同利用をまったく認めない。北の民と南の民というふうに境界が接している場合は、土地の所有権を巡って争いが起きることがしばしばある。
 その一方で、隣接集団の誰もが自由にアクセス可能で、互いに明確な境界を規定しない場所も存在する。
 ニューギニアの山の民のように、土地の境界線を決めて、外部の者に土地の利用を一切認めないという部族は世界中にたくさんある。アラスカ北西部の先住民族、イヌイット系のイヌピアト族、アイヌ民族、オーストラリア北西部のアボリジニなどだ。
 ニューギニア高知のダニ族は畑を作るが、隣接する別のダニ族の畑とのあいだに、占有者不在の非耕作地をもうけて、そこを境界としている。そのそばに、高さ9メートルにおよぶ木造の見張り櫓を建てて、この見張り櫓に人を一人置いて相手側領地を監視している。このダニ族は、自分の占有領域を「ここまで」とはっきり認識している。
 だがどの部族も同じように境界を定めているのかといえばそうではなく、境界を曖昧にしている部族もいる。こうした部族にとっての「占有域」とは、集団の中核域があり、そこから離れるに従って少しずつ領土の意識が希薄になっていく……という感覚のようである。
 前者である領域を明確に分けているグループは、隣接集団が自分の領土内を通り抜ける許可を頻繁に与えている。通り抜ける人は、土地の所有者に返礼品を送ることがある。後者の占有域を曖昧にしているグループはもっと人が占有域に入ってくることを許可している。水や食料を求めて人が入ってくることさえも許可している。

 アフリカのクン族は占有域を明確に決めていない部族である。クン族は8人から42人程度の小さな小規模血縁集団で生活していて、土地の占有域を「ノレ」と呼んでいた。ノレの領域はだいたい260平方キロメートルから650キロ平方メートルあたりだ。
 調査隊と一緒に、クン族の人とともに占有域を歩いていたが、特に目印もないので、しばらく歩いていると果たしてそこが自分たちの占有域なのか、誰にもわからなくなってしまったという。
 クン族がノレつまり占有域を曖昧にしている理由は、複数の同族集団のあいだでノレの域内に存在する生活必需資源を共有する必要があるからだ。アフリカのクン族の居住域であるカラハリ砂漠には水資源が乏しく、どの集団も「ウォーターホール」という水場を大事にして、その水場の側で過ごさなければならなかった。
 カラハリ砂漠では年間降水量が年ごとに変動し、予想を付けづらい。年によっては多くの水場が枯れてしまう場合もある。
 こんなふうに水場が枯れてしまう可能性があるから、同族集団がいつでも許可を求めることなく占有域に入ってくることを許している。カラハリ砂漠という環境上、明確な境界線を決めて他部族が入ってくるのを排除していたら、最悪の場合、全員共倒れ……ということもあり得る。部族全体の危機という時は助け合いだ。
 クン族には相互互助の精神があるから……ということよりも、もしかしたら頻繁に水場が出現したり消滅したり……という環境で、水場は枯れてしまうとそこは守るに値する土地ではなくなってしまうから、ということもあるのかもしれない。その一方で、一つの部族では処理しきれない資源を突然得てしまうということもある。大きな資源を得てしまったときに、他部族を排除し、友好の芽を摘まんでしまうと、来年、自分が危機に陥る可能性がある。カラハリ砂漠では来年も同じように水を確保できる……というわけではないからだ。クン族が領域への侵入を許している理由は、そういうところにもありそうだ。

 小規模集団の社会では、集団の内でも外でも、移動の自由は制限されている。このような社会では、人は、自分の友人か、敵か、それとも見知らぬ他人かで分類される。
 「友人」と分類されるのは、自分と同じ小規模血縁集団に属する人々や、自分の血縁集団と友好関係にある近隣の血縁集団の人々のことである。
 「敵」に分類されるのは、自分の集団と敵対関係にある近隣の血縁集団や村落の人々ということになる。
 「見知らぬ他人」とは、自分が属する小規模血縁集団との関係や接触をほとんど持たない、遠く離れたどこかの集団の人間である。自分の村の成員でもなければ、友好関係のある村の成員でもなく、敵側の村の成員でもない人たちのことである。小規模血縁集団においては、見知らぬ他人に遭遇することは滅多になく、ふだんは考える必要のない相手である。
 もしも道すがら「見知らぬ他人」に遭遇してしまった場合、まず「自分たちに危害を与えに来たに違いない」と考える。なぜなら、見知らぬ誰かの土地に入っていくことはそれなりに危険を伴う行為であり、その危険を冒して入ってきたのならば、何かしらの魂胆があるに違いないからだ。略奪か、そのための斥候か……小規模血縁社会の人々はそう考える。
 実際に森で全く見知らぬ小規模血縁集団の人と遭遇したとき、まず猛烈に警戒される。略奪者か、盗人か、人さらいか、そのいずれかも知れない……と警戒され、いきなり戦闘態勢に入る。そうした危険があるから、未開民族のいる森の中では、熟練した地元の案内人なしに歩き回るわけにはいかないのである。

 小規模血縁集団は成員数が数百人程度であるから、全員が互いの顔と名前を知っている。どこの誰と誰とが血縁・婚姻関係で、養子縁組で繋がっているのか……といった細かな個人情報を誰もが知っている。
 彼らのいう「友人」に分類される人の数は、自分が属する小規模血縁集団にいる「友人」と、近隣の友好的な小規模血縁集団にいる「友人」を合計すると、1000人を超える可能性がある。そのなかには、実際には会ったことのない人も多く含まれている。
 もしも領土外で見知らぬ他人に遭遇してしまったとき、どのような事態になるのか。自分が1人で相手が複数なら自分が逃げ、こっちが複数で相手が1人であれば、相手が逃げる。双方同じくらいの人数であれば、双方がそっとその場を離れる。
 通常であれば気配がした時点で逃げるか逃げないかの判断をするのだが、だしぬけに遭遇してしまったとき、どうするのか。こういうとき、双方その場で座り込み、自分は何某という者で、どこの誰の親類縁者であって、その人はこういう血縁・姻戚関係で繋がっている……と滔々と口誦する。その結果、知っている名前があれば、その場で収まる。しかしとうとう知っている名前が出てこなければ……こやつはなぜ域内に入り込んだのか、侵入者か! ということになる。

 現代では「友人」といえば、「感覚が合うから友人になる」という感じだ。趣味嗜好・考え方が一致するから友人になる……というのが一般的だ。
 ところがこれは小規模血縁集団の世界では一般的ではない。
 こんな話がある。
 とあるニューギニア人のヤブと、イギリス人のジムがいた。ヤブはジャレド・ダイアモンドのアシスタントをしていて、そこにイギリス人のジムが訪ねてきた……という格好だった。ヤブとジムは会ってすぐに意気投合し、以降はずっと一緒に行動し、別れ際にジムは「もしも私の町に来ることがあったら尋ねてください」と言った。
 その後、ジャレド・ダイアモンドはヤブに「ジムを訪ねるのか?」と尋ねると、ヤブは腹立たしげに「なぜ?」と答えた。そんなことは意味がない。訪ねたところで仕事を回してくれるわけでもない。もちろん、「友情」なんかのために会いに行くつもりもない……とそう答えた。
 彼らにとって「友人」とは知っている人であり、自分と同じ一族に属する人たちのことであって、その「友人」とは「友情」というもので結ばれた関係性ではない。という以前に、「友情」という概念が彼らにはない。これはヤブが特別な感性の持ち主というわけではなく、小規模血縁集団の世界では当たり前のことだった。

 以上が小規模血縁集団世界における、テリトリーの考え方だ。彼らは「土地」とう概念をかなり明確に持ち、その領域がどこまでかを明確に認識している。知人や友人という考え方は、土地の概念と付随して考えられている。それが彼らなりに合理的なことだからだ。一方で、「友情」という概念を持ち合わせていないのは、彼らの社会の中において意味がないからだ。

事故に対する賠償の考え方

 パプワニューギニアの道で、マロという男が運転する車に、ビリーという少年がはねられた。マロは地元の会社で雇われている運転手だった。ビリーを載せていた公営のスクールバスは、マロが運転する車の反対車線を走っていた。ビリーはスクールバスを降りて、道の反対側にジェンジンプおじさんが迎えに来ているのに気付いた。ビリーはスクールバスの後方から飛び出し、道を横切ろうとした。そこに、マロの車が突っ込んだ。ビリーは数メートル吹っ飛び、数時間後には亡くなった。

 アメリカでは重大な交通事故を起こした場合、事件の当事者は現場に留まらなくてはならない。ところがパプワニューギニアでは事故を起こした場合、運転手はその場に留まらず、即座に移動して最寄りの警察へ向かうように指示されている。
 なぜならば、事故現場に居合わせた人々によって「報復」を受ける場合があるからだ。さらに悪いことに、マロとビリーは異なる部族集団に属していた。これはマロとビリーとの間だけの問題だけではなく、最悪、部族同士の抗争の切っ掛けにすらなりかねない。マロ個人だけではなく、バスに乗り合わせた人も報復の対象になる可能性もある。だからマロは、ただちに事件現場から離れて、警察の助けを求めなければならない状況であった。

 私たちの世界では大きな問題が起きたとき、責任や賠償といったものは個人ではなく、それよりもっと大きな公的な組織によって話し合いが行われ、解決される。しかしニューギニアのような伝統的社会においては、人々は国家政府や司法制度の助けを借りず、独自の方法で諍いを平和裏に解決する。人類が国家を作り上げたのは5400年前であるし、その直後ただちに近代的な司法制度が生まれたわけではないから、多くの問題は国家政府や司法制度の助けなど借りずに解決してきた。かつての社会では我々もニューギニアの人々のように問題解決に当たっていたはずだ。
 ニューギニアのユニークさは、現代では「国家」を獲得しているにも関わらず、人々はまだ前時代的なやり方を採っていた。

 事故の当日、マロの上司であるギデオンは、すぐに「報復が来るかも知れない」と従業員達に明日は出社しなくてもよい、と連絡を入れた。会社の敷地内は塀で囲まれていて警備員に守られているが、わずか90メートル離れたところには彼の家族が生活する住居がある。会社ももちろんだが、その家にも不審者を近寄らせないようにする必要があった。
 そんな警戒態勢で事故の翌日を迎えたのだが、会社の裏側に男達が何人か立っているのが見えた。男達は死んだ少年の父親と、その友人達であった。
 少年の父親は、話し合いに来たのだと言う。だが実際はどうなのかわからない。しかし話し合いに来た、という相手を追い返すわけにはいかない。ギデオンは少年の父親を、会社内に招き入れた。
 少年の父親は話す――今回の事故が故意ではないことはわかっている。騒ぎを起こすつもりはない。息子の葬式に少しばかりの援助をしていただきたいのです……という話だった。
 少年の父親が帰った後、ギデオンは知人のヤギーンという男に連絡を取った。別の地域の部族だったが、今回のような交渉を何度か経験している男だった。ヤギーンは事故の話を聞いて、交渉を引き受けてくれた。
 さっそくヤギーンは地区長と話をして、翌日にはビリー少年の父親と会うことにした。話では、ビリー少年が車にはねられる瞬間を目撃されていたから、事故自体が故意のものではないことはわかっている。少年の父親はそこは納得している。しかし部族の者達全員が納得しているわけではない。部族の仲間達を納得させるための、相応の賠償金が必要だ……ということになった。そこで決められた賠償金は1000キナ(300米ドルに相当)。
 話し合いの数日後、ギデオンとヤギーンはその他の何人かを伴って(マロは報復の恐れがあるため参加しなかった)、ビリー少年の居住区へ入っていき、葬儀に参加した。
 葬儀では少年の父親とギデオンが話し合い、心からの哀悼の意を示し、しめやかに進行していったのだった。

 その後、事件から1年半ほど過ぎて、ようやくマロとビリー少年の裁判が開催されることになった。ここで初めての公式な審理である。マロは法廷に出廷したのだが、担当判事が別件で予定が重なったために、審理は3ヶ月延期となってしまった。3ヶ月後、マロは再び法廷に出廷したが、またしても判事が出廷できずに延期。こんなふうに延期が繰り返され、2年半後、ようやく判事が法廷に姿を現したのだが、その時の法廷に証言者になるはずの警察が来ておらず、それを理由に判事が控訴を棄却。これにてビリー少年を車ではねた事件は、公式には“終了”ということになってしまった。
 これはニューギニアという特殊環境の中でこうなった……という話ではなく、アメリカでもしばしば起きている話である。裁判はとにかくも時間が掛かる。しかも理不尽な終わり方をする。これはどんだけ進んだ国であろうと、同じであった。その間、当事者の気持ちは宙にぶら下げたままになる。

ウガンダ地方における、伝統的な紛争解決の一例。伝統的社会においては、裁かれる人も、裁く人も、弁護する人も、すべて顔見知りである。こういった社会においては、心情的な“しこり”を残さぬよう、話し合いで解決が模索される。

 マロとビリー少年の一件からわかるように、伝統的賠償プロセスは、紛争や係争を迅速かつ平和裡に解決することを目的としている。それにより当事者を心情的な面で納得させ、両者の関係性を回復させることに重きを置いている。
 ニューギニアの社会は、基本的には当事者はほとんど顔見知りか、縁遠い人であっても名前だけでも聞いたことがある……という関係性である。この社会では、完全なる見知らぬ人……ということはほぼない。事件を起こすのは知り合い同士であるし、その事件を解決するのも知り合い同士……ということになる。
 ここが私たち社会と違うところで、私たち社会では事件を起こすのは知り合い同士もあれば、まったくの見知らぬ他人同士ということもあり得る。事件が起きて、警察がやって来て、証拠が集まれば法廷で……となるが、この段階に入っていくと、ほとんどが見知らぬ人々である。警察も弁護士も検事も知らない人。見知らぬ人々に事件を委ね、自分の行く末を委ね、事件が終了となったら以降、顔を合わせることもなければ、名前も忘れてしまう。
 このプロセスの中に情緒が入っていくことはほぼない。
 マロとビリー少年の事件では、遺族と直接交渉し、話し合いで賠償はいくらか、という決め事をして、葬儀になったらお互い涙を流しながら自分の気持ちを打ち明け合う。ここまでのプロセスは非常に迅速で、お互い納得のうちに事件が完了させられることになった。
 と、こう書くと伝統的社会の賠償システムは理想的に見えるが、マロとビリー少年の一件のように、いつも話し合いがうまくいくわけではない。話し合いがうまくいかず、戦争だ、報復だ……と大きくこじれるケースだっていくらでもある。ここから血で血を洗う抗争にもつれ込んでいくケースもある。そういう事例を考えると、先進国のシステム化された制度のほうが良いともいえる。
 またシステム化されているから……という利点もある。例えば伝統的社会では、事故や事件が起きたとき、当事者同士で話し合って、賠償はいくらか……と決める。その賠償額に確固たる“基準”なるものはない。例えばある事件で賠償として豚20頭もらったが、別の似たような事件で豚40頭を得た……という人がいたら、豚20頭しかもらえなかった人は「不公平だ」と感じるかもしれない。
 しかし現代は賠償ルールもシステム化して、こういう事件では「禁固○年、もしくは罰金いくら」と決められている。誰も損した、とか思うこともない、公正なルールになっている。現代の司法システムには“感情”なるものはく、被害者の心情に寄り添うということもないが、そういう利点はある。

 個人による“報復”という話を聞くと、いかにも伝統的社会というような、「私たちよりも劣った社会性の人々が……」みたいに考える人もいるだろう。
 こんな事件もある。
 1993年、教会の子供サマーキャンプの指導員だったダニエル・ドライバーという男が、6歳の少年ウィリアムを含む3人の少年に対して性的猥褻行為をしていた。やがて事件となり、ダニエル・ドライバーは逮捕された。
 加害者が逮捕され、裁判が始まるのだが、審理は遅々として進まない。あるとき、ウィリアム少年の母親であるエリー・ネスラーが法廷内でダニエル・ドライバーの頭部をめがけて、拳銃を発砲した。頭部に5発。ダニエル・ドライバーは即死だった。
 これが1993年の「エリー・ネスラー事件」である。
 報復は私たちのような進んだ社会の中では起きない……そう考える人も多かろうと思うが、実際には“報復事件”はたくさん起きている。
 エリー・ネスラーの行為について、アメリカでは国民を二分するほどの大論争になった。エリーを母親として称賛する人々がいる一方、行き過ぎた行動だった、と批判する人々に分かれた。

 さて、エリー・ネスラーはどうして法廷による公的な裁きを待てず、自らの手で裁きをくだしてしまったのか。それは一つには裁判システムがあまりにも遅い……というのは一つあるだろう(しかもまともに審議されず、“終了”してしまうケースもある)。もう一つは、現代の司法は「心からの謝罪を求めない」という性格にもあるように感じられる。
 先進国では警察も裁判もシステムとして機能する。事件が起きた、すると警察がやってきて、証拠を集め、その後法廷が開かれ、その事件であれば禁固○年、あるいは罰金いくら……と判例が詳しく整理されている。そのシステムに則って粛々と進められるのが、私たちの司法システムだ。
 このシステムの中で、当事者同士が顔を合わせることもなければ、話し合うこともない。個人の立場や権限はお上に没収されて、個人の手が及ばないところで事件は決着……ということにされるが、その過程において当事者の心情は無視されてしまう。加害者から被害者への謝罪なんてものは、一言もない。お上が「これにて一件落着!」と宣言したところで、それが当事者にとって納得できるものかどうかは、別問題だ。司法システムが「終了!」といえば事件は終了ということになるが、当事者の心情的にはどこかくすぶるものを残してしまう。
 エリー・ネスラー事件にしても、システムに則ってダニエル・ドライバーが収監されたとしても、エリー・ネスラーの気持ちは納得できたか? 納得できなかったから、エリー・ネスラーは拳銃を持ち出して、自分で裁きを下したのではないか。またシステム通りに裁定が下されも、数年後ダニエル・ドライバーが刑期を終えて釈放される。その時、人々はかつてと同じようにダニエル・ドライバーを受け入れるだろうか。受け入れるとしたら、その以前と同じ社会ではなく、それまでダニエル・ドライバーをまったく知らなかった別の社会……ということになるだろう。
 ニューギニアでは事件が起きた場合、事件終了後も両者が友好的な関係でいられるように……と双方働きかけて、解決に向かおうとする。それは「賠償金いくらで解決」というものではなく、心情的に納得できる落とし所を探る……ということにある。
 ニューギニアのような社会でそうするのは、一つにはいったんこじれると終わりなき抗争に陥る(最悪、ジェノサイドまで発展するケースもある)……と双方理解しているから、ということもある。

1966年6月に起きた部族間戦争の写真。この時、125人が虐殺される。この死者数は部族人口の5%にあたる。人数は少なく感じるが、割合で見ると世界中のどの戦争よりも多くの死者を出している。

 私たちの“進んだ文明社会”の中ではあらゆるものがシステマチックに運用されている。娯楽も、食べ物も、司法制度も、すべて綺麗に整えてある。しかしそこに人間の情動はほとんど反映されていない。あくまでも「システム」の世界だ。一方の部族社会では全て人間が顔見知りという中で、それぞれの人が自ら手を加えて、社会を運営させている。部族社会では人間自身が社会の主役になっている。それが時に大きな間違いを犯し、陰惨な抗争に陥って、その先にあるカタストロフに向かう危険はいつも抱えている。そういう意味で部族社会は非常に脆弱な世界だ。だが1人1人が意義をもてる社会があるとしたら、まだ社会がシステム化されていない小規模血縁集団や部族社会の世界ではないだろうか。

本の感想文

 『文明崩壊』で知られる鳥好きおじさんことジャレド・ダイアモンドが長年のパプワニューギニアでの研究の末にどのように考えたのか、またパプワニューギニアの社会をどのように見ていたのか――が本書である。
 現在のニューギニアはきちんとした「国家」になっている。国家として国際的に認められているし、中央政府が存在し、裁判所と警察もあって、西洋社会と同様の社会が構築されている。しかしニューギニアは1930年代までまだ小規模血縁集団の世界だった。まだ「鉄」すらなかった。
 人類が「農耕」を発見したのは、今から1万2000年前だ。「国家」が成立したのは紀元前3400年前。「鉄器」を利用し始めたのは紀元前1400年頃。「産業革命」が19世紀。ライト兄弟による現代的な「航空技術」を発見したのが1903年。世界初の「コンピューター」の登場が1946年……。
 1930年代、国家も鉄器も持っていなかったニューギニア人たちは、突如西洋人と遭遇し、国家を作ることになったのだった。ニューギニア人たちは人類が1万年かけてようやく手にした近代文明を、わずか50年ほどの間に手に入れてしまった。それがあまりにも急速すぎる変化だったので、ニューギニアの文明社会はやや“建て付け”の悪いところはある。例えばマロとビリー少年の事件は、結局のところ司法制度に頼らず、昔ながらのやり方で当事者同時の話し合いで解決している。現在でもいろんなところでニューギニアは「かつて」と「近代」が混在する、かなり奇妙な社会になっている。
 しかしニューギニアにとって、「小規模血縁社会」や「部族社会」は『昨日までの世界』であった。きっと今でもそういった時代を“直接の記憶”として持っている人々はいるだろう。そしてその『昨日までの世界』とは、私たちにとっても同じようにいえる。私たちの現在は高度工業化社会の中に生きているが、ほんの少し前まで「小規模血縁集団」や「部族社会」の世界だった。
 日本でいえば戦国時代を終えて平和な江戸時代に入った後も、村と村は断絶されていたし、事件が起きても法廷システムはたまに回ってくる裁判官(八州廻り)の訪れを待たなければならない世界だった。そんなものは待っていられないから、結局は当事者同士が話し合ったり、その土地の顔役というべき人に頼ったりしていた。マロが事件の解決をギデオンに委ねたのと同じように。
 かつての私たちがどんな姿をしていて、どのような考えをもっていたのか、ニューギニアの人々を観察していくことで見えてくる。ニューギニアは私たちが文明を獲得する以前の社会観を知るための、絶好の、最後の機会であった。

 こうした部族社会の話をしていると、いかにも私たちより知能的に劣った人たちの話……のように思い込む人もいるかも知れないが、よくよく観察を続けると私たちの社会とそう変わらないことに気付く。それに、小規模血縁社会の人であれ、部族社会の人であれ、身体の構造や大脳の大きさが変わっているわけではない。この話は10万年前の人類と比較しても、ほとんど変わってない(それどころか、現代の我々のほうが体は小さくなり、脳も小さくなっている……という報告もある)。
 その一つに領土にまつわる話だ。「境界の考え方」では山の尾根を挟んで、北の民と南の民がお互いの領地がどこまでなのか……という問題が未解決のまま係争中だった。
 お話を国家レベルまで引き上げてみると、こういう話は世界中のいくらでもある。私たちの身近な話でいうと、北方領土、竹島、尖閣諸島がある。もしも部族社会の人たちを嗤えるというならば、日本が抱える領土問題はとっくに解決できているはずだ。

 事件が起きたときに第3者が取り持って話し合いをする……という話も、国家レベルではよく起きている。本書の中にある例だが、ズデーテン地方を巡ってドイツとチェコが双方「我こそはあの領地の主だ」と言い争っていた。この問題に対してイギリスとフランスが間に入り、戦争が起きないよう外交圧力をかけつつ、紛争解決に向けて和解が図られた。
 文明社会の中にいると、部族社会の人々や社会は私たちとかけ離れているような気がするが、視点を国家レベルに引き上げてみると、実は意外と“部族社会的”なやりとりをしていることに気付く。国家の中は文明というシステムがまんべんなく敷設されていて、人々はその上に乗って安全に暮らせていけるわけだが、国家の問題になると実はそのシステムの埒外になる。すると国家はいかにも部族社会的な立ち回りで領土を主張したり、紛争を解決したりする。文明システムの一歩外に出ると、私たちはいつでも部族社会的な思考で物事に接しようとするのだ。
 ところで、国家間同士の話し合いが解決できなかったときはどうなるのか? それも部族社会と同じ展開となる。“戦争”である。

 ただ、こうやって読み進めていくと、かつての社会と今とが決定的に違っていることに気付く。それは「感情」の問題だ。マロとビリー少年の事件では、当事者が話し合いを持ち、最後には涙ながらにお互いの心情を打ち明け合い、納得ある和解に至っている。これが現代社会だと、感情面の問題は無視されやすい。心情的に納得できるかどうかは別問題として、この事件であれば禁固○年で賠償金いくらが妥当……となっている。当事者の心情だけを置いてけぼりにして、「終了!」ということになってしまう。それは全ての人に公正で平等に与えられている一つの“恩恵”であるといえる。どんな事件でも、警察という“事件解明のプロ”が被害者を保護し、解決に全力を注いでくれる。裁判になって得られる賠償金が少なくて、損した……とか誰も思わない。私たちは文明のシステムという恩恵を受けているが、ただ心情面だけが無視されてしまっている。
 小規模血縁社会や部族社会は基本的にすべてが人が決めている。人が運営している。すべてのシステムに血が通っている。たとえば流通システムは人が舟を漕いで一つ一つ物を運んでいて、その運んでいる人が病気になった、とか年を取って引退だ……となったらその流通システムはその瞬間消える。非常に不安定だ。だが舟を漕いでいる人は、交易をしている人の顔を1人1人を見て知っている。
 あそこの村にあの品が不足しているな、と気付けば舟を漕いで運んでいくし、別の村に何か事件が起きた、というときはまたそこで必要になるものを運んでいく。これが現代社会的な「運送システム」になってしまうと、そういう都合で仕事したりしない。誰かが数値として「1000コ」と入力したらトラックに1000個の品を詰んで運ぶだけだ。トラックの運転手が運んだ先の街の様子がどうなっていて、どんな人が住んでいるか、なんて何も考えない。

 本書にこんなエピソードが紹介されている。
 ジャレド・ダイアモンドのもとにマフクという若者が働いていたのだが、仕事で稼いだお金でミシンを一つ買いたいと考えていた。そのミシンを買って人々の服を直す仕事をしたい。そうやって得たお金でいい暮らしをしたい……とマフクは考えていた。
 ところがこの考え方は「自分本位だ」と親戚たちの怒りを買うことになる。ニューギニアのような社会では、親族関係や地縁関係という帯びたいが固定化されている。もしも服修理の仕事を始めるとしたら、その顧客はほとんどが顔見知り、あるいはほとんどが血縁者だ。その血縁者からお前は金を取ろうとしているのか――というふうに怒られたのである。
 服を修理するというなら、無償ですべきだ。無償で人助けをすれば、彼が助けを必要としたときはみんなが助けてくれる。そういう時のために、人々にサービスを売るのではなく、恩を売るべきだ。
 ……という話は「仕事に対しては正当な対価を」が合い言葉になっている現代とはあべこべの話だ。どうしてこういう考え方になるかというと、全ての人が顔見知りの社会だから……ということがある。全ての人が顔見知りでしかも人情で繋がっている。そういう社会だからこそ、お金よりも人情を大切にせよ……と人々は考えている。
(私たちの社会は顔見知りが全くいないから貨幣経済が導入されている)

 私たちの社会ではあらゆるものがシステム化し、そのシステムに介入するためにお金を払う……という仕組みになっている。その過程で、誰かとコミュニケーションを取ったり……ということはない。私たちはどんな田舎でも、1000人近い人々と同居して暮らしているはずだけど、実際に接している人の数は非常に少ない。
 私たちは便利な移動手段を持っているけれども、車や電車といった乗物というファクターを外して考えると、移動半径は驚くほど小さいはずだ。みんな毎日学校や職場に通っているだろうが、その過程にあるものとまともに接している……という人は少ないはずだ。そしてその先で接している人も少ない。私たちは大いなるものに守られて暮らしている……と考えているが、よくよく考えるとずいぶん孤独な生き方をしている。
 部族社会の人たちは顔を合わせたことのない人であれ、1000人近い人の名前を知っており、それらを「友人」と呼んでいる。私たちの社会で、1000人近い人と関連を持っている人が、果たして何人くらいいるだろうか。ほとんど皆無ではないだろうか。
 お金だけの生活をすればするほど、人情と接する機会が減る。お金を払えばありとあらゆるサービスを得られることができるが、その先にある人情と接することはない。お金だけで関係性は終わってしまう。毎日通っているコンビニの店員と交流が生まれるというケースもない。
 しかもお金で得られるものは、だいたいできあいのもので、誰がどのような苦労を抱えて作った物かなんて何一つ考えない。ただ消費するだけだ。
 そう考えると、私たち社会はずいぶんと虚ろな世界の中に生きているんだな……と考えてしまう。それに私自身には何の能力もない。小規模血縁社会では全ての人が生きるための基本的なスキルを持っていることが前提となる。私たちの大半は、そんなスキルを持たず、消費社会をぼんやり生きてしまっている。私たちは生物種として劣化を続けている。私たちの生き方はこれで正しいのだろうか……と『昨日までの世界』を読みがら思うのだった。

 話はここから延長して、私たちは間もなく新しい革命――AI革命を迎えることになる。産業革命以来の「革命」で、この革命以降、私たちの暮らしはまた一段階新しいステージに入っていく。だがここで私たちは大きな問題に直面しなければならない。
 産業革命が画期的だったのは、全ての人に平等に労働が与えられ、平等に賃金が得られ、平等に同じ品質のものが得られる……ということだった。全ての人が平等に豊かになれる(はずの)システムの発明……それが産業革命だった。
 AI革命の恐ろしいことは、これまで工業化社会を支えていた“人手”がまるごと不要になることだ。全部ロボットが代わりに働いてくれる。流通もだいたいロボットでやってくれる。ごく普通の、平均的な能力しかない人は、仕事を得ることができない社会だ。
 するとどうなるかというと、産業革命以前の手工産業時代あるいは職人時代に逆戻りになってしまう。つまり、一部の特別な能力を持った人だけが、訓練を受けることによってようやく仕事が得られる時代だ。そういう機械では再現しづらい職人仕事、アーティストだけが仕事を得られる世界になっていく。
(そういった社会に本格的に入っていくならば、「ベーシックインカム」が導入されるはずだが……。一部の高い能力の人とロボットだけで産業が成立するはずならば、あとの人は働く必要がなくなる。そこで問題になるのは、アイデンティティの問題だ。仕事を持たない人は、「社会」を獲得できず孤独に陥る。孤独に陥ると「我は何者か」というアイデンティティの規定に問題が生じる。この孤独をどう解消していくか……が一つのテーマとなる。まず、そういう問題が起きている……という自覚するところから未来人は苦労することになりそうだが。というのも、そういう心理的問題が起きている、ということを認識するのは、かなり大変なことだからだ。現代のニートの問題でもすでに起きているのだが、そういう問題からニートというものについて語っている人がほぼいない……ということが認識の難しさを物語っている)
 ただそういった時代に入っていくと、一つ期待している面もある。一方では全てがAIとロボットが作り出す「システム」の世界がある一方、もう一方で濃密な人間同士の社会が復活するんじゃないか……。人間の能力がよりクローズアップされる社会に戻るというならば、そういう時代に戻るということもあり得るかも知れない。
 もちろん、私はおおらかに「手工産業時代の復興」だなんて考えてはいない。すでに現代起きていることだが、私たちは、自分たちがどのような社会の中で生きているのか、無感覚に陥っている。以前から私が書いていることの一つに、「人間の認知能力はたいしたことがない」。例えば国家にまつわる仕事をしてる人の意識の中に、「国民」は存在しない。一方の私たちは「国家」という大きな物をうまく考えることができない。考えることができないから、大抵はカリカチュアして考えている。
 もっと身近なお話に縮小して表現すると、現代人はすでに側にいる他人がどういう気持ちでいるのか……とかほとんど考えなくなっている。我々の社会は人があまりにも多いし、友人の1人2人はなくしても別で作れやいいや……くらいに軽く考えている。小規模血縁社会の人々は身近な他人と関わって頼って生きていかねばならないから、すぐ側にいる人の心情は慎重に見る。この差は非常に大きい。
 AI革命以降の時代に入ると、より世界がどのようになっているのか、大半の人は考えなくなっていくだろう。だいたいロボットやAIが作り出している社会がどのように作られ、どんな欠陥を抱えているかなんて、誰も考えないし、それについて考える人は「変わり者」の扱いを受けるだろう。考えること自体が「おかしい」という時代に入っていく。そこで著しい「思考の劣化」が現れてくるかも知れない。思考力の劣化を抱えたまま、手工産業時代の思考に戻っていく。未来人は物事の見方や考え方にバランス感覚を失っていくのではないだろうか。
 そういう時、人は小規模血縁社会よりもさらに劣化していくのではないだろうか。もしも人間が著しく劣化し、劣化していることに気付かないまま、文明のほうがある日突然崩壊したら……人間は生存していくことができるのだろうか。


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