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9月の終わりに

 1年続いたバイトがようやく終わる。……しんどかった。
 バイト始めた最初の1ヶ月くらいはひたすら筋肉痛。仕事終わった後も腰と太ももが熱を持って痺れていたのを覚えている。
 そこそこ過酷なバイトで、私が1年務めている間に脱落していく人が結構いた。数日でいなくなる人もいれば、1ヶ月くらいいて、ずっと来る人かと思ったらある日突然来なくなるとか。他にも入院していなくなる人もいて、とにかく脱落者が多い。1年のうちにどれだけ顔ぶれが変わったか……最初の頃のメンバーを覚えていない。職場も脱落者が出る現状に慣れすぎていて、来なくなったら来なくなったで誰も気にしないような職場だった。

 それでも、ある意味働きやすい場所でもあった。なぜなら“面倒くさい人”がいなかったから。どこの職場にも必ずいる、何か問題が起きるとそのたびに怒鳴ってわめくタイプの人がほとんどいなかった。
 世の中の大抵の仕事は遅延なく作業が進行するように、合理的に、システマチックに作業手順が構築されていてそれに準じていれば問題なく仕事が終わるはずだけど、世の中はそういうわけにはいかず、小さな問題が起きるたびに「誰がやったんだ!」と大騒ぎしはじめる人がいる。
 どんなにシステムが高度に構築されていても、人間が問題を作り出してしまう。どんな時代であっても、人間関係が悩みの種だ(これは最後に残される人間の悩みでもある)。システムがどんなに優れていても、人間の側に欠陥があればシステムはすぐに瓦解するし、その時に人間の問題に手を加えることはできない。
 私の経験で一番ひどかったのは、「てめぇぶっ殺すぞ!」という“情熱的な”指導をやる人と組んだときだった(体育会系肯定派はこういのを“情熱的な指導”と呼ぶそうだ)。仕事内容には問題なかったが、私はその時、身の危険を感じて辞めることにした。
 大抵の職場というのは、仕事内容と一緒に面倒くさい人への対処法を心得ながら仕事を覚えなければならない。難しい機械の操作法を覚えるように、面倒くさい人の対処法も身につけなければならないのだ――が、私はこれが非常に下手でうまくいかないから、面倒くさい人とぶつかるとすぐに仕事を辞めてしまう。
 こういう面倒くさい人があの仕事場にはいなかった。だから仕事がキツくても1年続けようという気にもなった。

 ただ消耗するものが多かった。
 以前に『工場での仕事は時間が3倍に伸びている気がする』という記事を書いたが、これは本当だ。ずーっと時間が3倍に伸びているのを感じていた。このバイトをやっていた期間は1年間だったはずだが、3年いたような気になっている。絵を描いていたあの頃、というのが私の体内時計ではもう4~5年前だったような気がしている。実は1年しか経っていない、というのがどうにも信じられない。逆浦島太郎現象が起きている。私はこの1年のうちに相当に老けたと思う。外見的にも内面的にも。
 『工場で働いていると、感覚が鈍磨する。早く辞めたい』でも書いたが、ひたすら同じことを繰り返すベルトコンベア仕事は、次第に何かが摩耗するように感じていた。この仕事をはじめて初期の頃はまだ「もう一回イラストを描こう」みたいな意欲が残っていたが、今はそんなことほとんど考えられない。
 というのも私の体内時計では絵描きをやっていた頃というのはもう5年前という感覚だ。絵を描いていた感触がもう掌に残っていない。今から感覚を取り戻すとしたらどれくらい時間がかかる? 絵描きに戻る、戻らない以前に、もう戻れない可能性が非常に高い。それを考えると……もういいかな、という気になる。
 それに、工場で働いていると次第に身体感覚がロボット化していくのを感じる。私はオフモードに入りづらいタイプだ……と過去の記事では書いたものの、「入りづらい」とはいいながらも少しずつ少しずつオフモード状態が長くなり、身体感覚、感性のロボット化が進行していく。いろんな感覚が摩耗していく。特に創作の意欲、熱意という部分が集中的に削られていくのを感じる。
 体がロボット化し、ベルトコンベアの動きに合わせて体を機械的に動かし続ける。一日のうちのほとんどをロボットとして過ごしているから、次第にロボットとして不要な意識や意欲というものが削れて失われていくのを感じていた。それは芸術に対する意欲と感性だった。
 このあたりはリハビリでどれだけ取り戻せるか、にかかっているので、きっちりがっつり休むつもりでいる。

 何かしらのクリエイティブな仕事をしたいと思っている人は、工場での仕事は絶対にやってはならない。これは強く忠告しておこう。働いているうちに物作りの意欲をなくしていき、最後にはなんでそんなことをやろうとしたのか、わからなくなってしまう。そうなってしまうから、工場仕事はやめておいたほうがいい。

 それにしたって、この疲れはいつからだろう……。と考えたときに、そうだ、あれだ。コロナウイルスだ。
 “例のアレ”が広がり始めた頃、政府の緊急事態宣言が発令され、私の職場は通販食品を取り扱っているから尋常でないくらい忙しくなった。前にも書いたように、「正月が戻ってきた」ような状態に陥ってしまった。
 実際の正月は本当に忙しかった時期はせいぜい1~2週くらいだったし、その後「正月休み」という1週間の休暇があったが、緊急事態宣言の影響でやってきた唐突の繁茂期はまず1ヶ月、さらに影響がもう1ヶ月も続き、そのうえに休暇はなし。毎日ずっと残業。
 ……疲れるはずだ。
 あの時から今に至るまで、ずっと疲れっぱなし。その後は注文数も落ち着いたが、だからといって体力が回復するわけではない。

 個人的な影響としては、あの頃から世の中のいろんなことがわからなくなった。もともとニュースなんてそんなに見ない方だったが、あの頃を境に本格的に見なくなった。そんな余裕もなくなったし、興味がなくなった。噂によれば日本よりもアメリカのほうが“例のアレ”の状況が深刻なんだとか……ホンマかいな? どうしてそうなった??
 私の脳内ではいまだにダイヤモンドプリンセス号だ。なぜならあれくらいの頃に仕事が忙しくなったわけだから。結局、ダイヤモンドプリンセス号がその後どうなったかさえ知らない。

 そういう理由で、世の中の状況がいまいちピンと来ていない。コロナ鬱、なんて言葉があるが、「なぜに罹患もしていないのに鬱になる??」と理解ができない。マスク警察とかコロナ警察とかが何かと大騒ぎしているらしいけど、何が何やら。アニメでキャラクターが集まっている描写を見ても「不謹慎だ!」と発狂していると聞くけど……何を言っているのかよくわからない。
 知らない間に世の中が大きく変わっていて、これはいったいなんだろう、どういうことだろう……そう思っていたのだが、あるとき横尾忠則という画家がとある番組で話しているのを聞いて、ようやく腑に落ちた。
「コロナウイルスは死の恐怖だ」

 あーそうかそうか。やっと納得。みんな自分が死ぬのが怖いんだ。
 というかそういうものか……。普通に暮らしている人は、自分が死ぬ想像ってしないものなんだな。私なんてしょっちゅう、それこそ週1くらいで「死のうかな」くらいに思っているのだが。普通の人はそうじゃないんだ。
 コロナウイルスによって、病気になる不安とか、事故にあう不安とか、そういうのを一つ飛ばしでいきなり死の不安、死ぬかもしれない状況に直面しちゃったわけだ。その不安に耐えきれず、パニックを起こしているわけだ。

 それで鬱になったり、マスク警察やコロナ警察に陥るわけだ。あるいは感染した人を差別する、とか。
 前にも書いたと思うが、ある種の人は自分の内的な不安と向き合うことができない。不安の実態を他人に向けて、それを攻撃することで「自分の体内にその不安はない」と装いごまかそうとする。人は鏡を見ても自分の本当の姿を見ることができず、他人に自分の影を見いだす――というようなことを書いたと思う。面倒くさい人がなんで面倒くさくなるのか、というと、自分の内的不安を自分自身で受け入れて処理できないからだ。だから面倒くさい人は他人を攻撃するのをやめられない。

 でも気付いたとしても本音を率直言うわけにはいかない。だって面倒くさい人々に絡まれて炎上するのは真っ平ごめんだもの。そんなものに時間は消費したくないし、わざわざ絡まれにいくような愚は犯したくない。
 そのかわりに私はこの画像を各所に挙げることにした。

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 ご存じビーテル・クラースゾーンの『ヴァニタスの静物』(1630)。見ればわかるが画題は「メメント・モリ」。「死を忘れるな」
 この絵はずいぶん前に美術館で見付けて、それ以来のお気に入り作品だ。

 人はいつか死ぬ。自分も死ぬし、周りの人も死ぬ。それを忘れて、忘れた振りをしてごまかして逃げてはならない。逃避して周りを攻撃することによって解決したつもりになってはならない。ぜんぶ引き受けてその上で生きていこう。
 この画像を載せているのはそういうメッセージだが……見ればわかるだろうと思うので、わざわざここで書くまでもないか。

 バスから毎日町の様子は見ているけど、もともと寂れた町なので、コロナを経て特段変わったようには感じられない。もともと商店街の半分はシャッターが下りたままだったから、そのシャッターの数が1つ2つ増えていたところで気にならないというか、気付かない。
 定期券を買いに行ったときに、パチンコ屋が閉店になっているのに気付いたときには「ざまー見ろ」とは思ったけど。定年退職した後、パチンコで貯金を崩してしまってそれで働きに来るようになった……という話をバイト先で時々聞くことがある。そういう話を聞くたびに、パチンコはダメだな、と思っていた。
 私の住む町には「娯楽」というものがほぼなく(レンタルビデオ店閉店、本屋数店を残してほぼ全滅、カラオケ絶滅。あるのは住宅地だけ、の町)、パチンコがこの町にとって唯一にして最大の娯楽。その娯楽施設に毎日老人達が集まり、貯金と年金を吸い込んでいた。そういった状況が問題だとは誰も考えてなかった。
 ただ一方でパチンコをメインの娯楽に据えていた人々はどうしたのだろう、と気がかりでもある。ストレスの発散で人にぶつかっていなければいいけど。
 パチンコなんかやめて、コンシューマーのゲームをやればいいのに、とはいつも思うけど、ああいった手合いはパチンコのほうが格上の娯楽/文化と思い込んでいる節があるからなぁ……。

 そうそう、コロナ後に起きた謎が一つあって、近所のスーパーに勤めている人がコロナ後を境にがらっと入れ替わってしまった。あれがなんでなのかわからない。スーパーへ行けばいつもいたはずの人たちがコロナ後、一斉に見かけなくなってしまった。今スーパーに勤めている人たちはみんな新人。ベテランが1人もいない。これはなんでだろう? これは本当にわからない。
 あの完璧な接客スキルを持ったお姉さんにはもう会えないのかな……。

 1年が過ぎてようやく自由の身……と言いたいところだが、何も始まっていないし、何も進行していない。パソコンが壊れてしまったので、それを取り戻すために1年回り道をしただけ。以前よりアップデートされたものはあるにはある。パソコンには上等のGPUを入れたし、モニターは4Kになったし……いや、これもそれ以前の生活がダメすぎてもっと早く取り入れられるはずのものが取り入れることができなかった、という話。この1年の回り道は、無益で無駄だった。
 今後の予定は、とにかくも以前のような状態――極貧に陥って何もできなくなる状態だけは回避しなければならない。まずは金策。絶えずお金を得ること。以前は販売までの目標が2年先とか3年先とかで中期目標の設定がなかった。まずこれを1~2ヶ月に是正する。それから次の本命作品の制作に取りかかる。次の作品はきちっと人を集めて、ちゃんと売る。そして次に繋げる。
(今更だけど『ProjectMOE』20ページ単位の分冊で少しずつ販売していけばよかった。分冊ぶんは全部pixivで無料公開しちゃったから後の祭り)

 私にはもう後がない。物作りをやっていられるのはあと何年だろうか……。次の挑戦に失敗したら、私の人生は本当にここで終わり。金もなし、未来もなし。首を吊る以外に選択肢がない状況に陥る。次が私の人生にとって最後の挑戦になる。私の人生はずっと負け続けの負け人生だった。最後の1回くらいは勝ちたい。勝って終わりたい。


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