見出し画像

読書感想文 海賊の経済学

この記事はノートから書き起こされたものです。詳しい事情は→この8か月間に起きたこと。

 18世紀。海賊船の上はホワイトだった。

 東インド貿易がはじまった18世紀ごろは、インド洋には海賊たちがウヨウヨいた。実際どれだけの海賊がいたのか不明で、「控えめに計算して1000人」と言う人もいれば、「3000人」と言う人もいる。とにかくも1000人以上。結構な数で海賊がいたというのは間違いない。

 海賊といえば……で連想できるイメージはたくさんある。
 強欲かつ独裁的な船長の下、凶暴なあらくれたちが船に乗っていて、誘拐されてきた奴隷たちが強制労働させられ、海賊たちは金銀財宝を独占している……。
 こういったイメージの多くが、小説などの物語の中で作られたものであって、実像はだいぶ違う……というのがこの本のテーマだ。

 海賊の話をする前に、当時の一般商船がどんなものだったかの話をしておこう。
 18世紀の商船は、船長を頂点に置く絶対君主制だった。下っ端の水夫には何の権利もなく、強欲な船長によって給料も食料もピンハネされ、さらに憂さ晴らしの暴力を受けることもあった。顔の整った水夫は、強姦されることもあった。また船長たちは、積み荷を着服することもあった(だから商人たちが船便を依頼するとき、身内の船長を選びたがっていた)。
 一般の商船は給料が低く、食事もまともなものをもらえないし、憂さ晴らしの暴力で死ぬこともあった。が、船長は償いもしない。暴力での死者は、事故死として処理された。
 一般商船の甲板の上は、ブラックどころではないひどい環境だった。

 一方、海賊船はどうったのだろうか。
 海賊船で船長を決めるとき、基本的に投票制だった。船長選挙(?)になれば、船員たちの前で言葉巧みに演説をぶち、自分が船長になったらどんな利点があるのか、アピールした。
 船長を選ぶときは、全ての船員に一人一票が割り当てられた。驚くべきことに、黒人にも一票が認められていた。
 しかも船長は、いくらでもリコール可能で、船長に相応しくないと判断された時点で解任となったり、追放させられたりした。ある船の上では、一回の航海で12回も船長が変わったという。
 船長の下には、船長が職権を濫用しないように、クオーターマスターという役職を置いた。クオーターマスターは中間管理職だが、船内の警察、裁判官の役割を持ち、船内の規律を船員たちに守らせた。場合によっては船長よりも権限を持ち、船長はクオーターマスターの承認がなければ何も実行できなかったという。

 海賊にも「海賊憲法」と呼ばれる法律があり、まず船長は投票で決める。負傷で体の一部が欠損した者には――例えば右腕を失ったらスペインドル銀貨600枚か、奴隷6人。左腕なら銀貨500枚か、奴隷5人――一定の保険金支払いがあった。
 戦利品は全員で平等に分配。船長とクオーターマスターには2人分の給料が当てられる(ちなみに一般商船の船長は、水夫の4~5倍の報酬を得ていた)。着服は絶対に認められず、船長であっても帽子一つ手に取っただけで規律違反ということになり、追放された。
 また船内でのケンカ、博打は禁止。女性への強姦は発覚した時点で死罪。
 海賊船上の法律はうやむやにされたり、形骸化されることなく、きちんと運用されていたそうだ。

 黒人の取り扱いについても触れておかねばならない。18世紀当時は黒人はまだ奴隷貿易の“商品”であった。人間として扱われていなかった。だが海賊船の上では、黒人も他の船員と同じように権利が認められ、平等に報酬を得ていた。先ほど、「驚くべきことに黒人にも一票が認められていた」と書いたのは、当時の黒人には投票権もなかったからだ。黒人が海賊船内で重要なポジションについていた、という事例もある。

 こんな時代にあって、海賊船は規律正しい民主的な社会が作られていた。
 しかし皮肉も皮肉、海賊たちの本職は「略奪」だ。一般商船よりも海賊船の方が労働環境が良かった、というのが何とも不思議な話だ。

 ここまで労働環境に差があったら、誘いかけられたらつい乗り換えたくもなる。
 海賊といえば一般商船から水夫を誘拐し、強制労働させるというイメージがあるが、実際には強制労働は海賊の方も避けたかった。
 なぜならば、モチベーション問題につながる。強制されて手抜きされると困る。さらに反乱を起こされる危険性。脱走の危険性もあった。
 脱走がなぜ危険かというと、脱走者は間違いなくイギリス海軍かスペイン海軍に通報する。完全武装した軍艦が来たら、海賊といえどひとたまりもない。海賊船がマウント掛けられる相手というのは、せいぜい一般商船までだ。
 それでも海賊が強制労働させたがる場合というのは、能力の高い水夫だ。高い航海技術や、医療の技術を持った水夫は、海賊も誘拐や強制してでもほしがった。

 海賊といえば髑髏マークの海賊旗だ。これを「陽気なロジャー」と呼ぶ。
 「ロジャー」の名前がどこから来たのか不明だが、悪魔い古い名である「ロジャー老」から来ているという説がある。
 髑髏マークの海賊船が本当にあったのかというと、本当にあったのだが、しかし帆に大きく髑髏マークが書かれていたということはない。そんなものを掲げていたら、水平線に現れた時点で「あ、海賊だ」と気づかれて逃げられてしまう。海賊船は早く進めるように改造しているのだが、限界というものがある。
 これは駆け引きだ。まず商船に怪しまれないように、ゆっくり近づかなければならない。じわじわと距離を詰めていき、今だ! というタイミングで海賊旗を掲げる。

 では、ならば海賊旗自体、掲げなければ良いのでは? いや、海賊旗を掲げることに意味はあった。
 海賊たちはしばしば、乗り込んだ船で拷問を行うこともあったそうだ。拷問の上に惨殺することもあった。そしてその後、残りの船員たちをあえて逃がした。
 そうすると、陸の上で「海賊たちがいかに恐ろしいか」が尾ヒレ付きで拡散していく。これが狙いだった。
 「海賊の怖さ」が共有されたら、捕まったらその時点で抵抗するより、積み荷を差し出したほうが穏便に済ませることができる、と商船の側が考えるようになる。海賊旗はそのためのサインだ。「抵抗するな!」というサインだ。商船側にとっても「もう駄目だ!」と戦意をなくさせるためのものだ。

 海賊たちは、実は争いを好むほうではなかった。平和主義だから――ではなく、戦いになったら船員か船のどちらかが損傷する。リスクを抑えるために、争いを避けた方が双方にとって賢明だ、と考えるのは自然だ。
 「海賊が恐ろしい」という評判が広がれば、特に目立った略奪や拷問もしなくていい。一つ大きな噂が広がると、他の海賊もこの評判にフリーライドできる。実際、戦闘の経験のない海賊も結構いたそうな。
 当時、海で最も恐れられていた海賊の黒ひげは――本当かどうかわからないが――一度も人を殺したことがなかった……という話もある。

 海賊旗にそんな効果があるのなら、一般商船も海賊旗を掲げればいいのでは?
 いやいや、そうすると巡回しているスペイン艦隊に沈められてしまう。
 一方のスペイン艦隊は、しばしば海賊船を掲げるイタズラをして、商船を脅していたそうだ。

 海賊船の乗組員というのは、多くがもともとは一般商船にいて、そこでの環境にウンザリした者たちだった。だから海賊船の活動は、しばしば私利的な復讐のために活動し、場合によっては復讐を合言葉に一致団結することもあった。
 悪いことはするものではない。巡り巡って自分のところに返ってくる。
 しかし、一方でこんな話もあった。
 海賊たちは商船に乗り込むと、まず船長を拘束した。そのうえで船員たちに船長の評判を尋ね、クソ船長だとわかったら即処刑した。
 だがここで、例えばこんな声が船員たちの中から上がったら、
「お慈悲ですから船長を殺さないでください。これほど良い人はおりませんから!」
 こういう声が上がると、船長は処刑を免れることができた。
 それどころか、人望、人徳ある船長だとわかると、海賊は人を殺さず、物を盗ることもなく、船長に贈り物をしたという。海賊から上等な船一隻贈らえたという船長もいたそうだ。
 日頃の行いは大切だ。

 まとめとして。
 どうして海賊たちは無法者集団であるにも関わらず、ここまできちんとした規律を守り、統制のとれた集団になれたのだろうか。
 筆者はその理由を「強欲ゆえに」と説明した。
 海賊たちは強欲だったからこそ、お宝をきちんと平等に分配した。お宝の独占を巡って争いになれば、かえって損をする。だから規律正しく、平等に分配した方が、安全に取り分を獲得することができる。
 黒人の取り扱いについても、モチベーション問題や逃亡のおそれを考えると、平等に扱ったほうが得だという判断からだ。黒人に平等に分け前を与えたのも、やはりモチベーション問題だ。
 本書に書いてあるが、例として乗組員が80人でそのうち黒人が20人だったとしよう。海賊は平等にお宝を分けるから、黒人のぶんをピンハネをして、白人60人で分配しても、得られるお金は1.67%くらいのプラスでしかない。その程度のプラスしかないんだったら、黒人にも平等に分配した方が、モチベーション問題や逃亡問題の解消になる。
 海賊たちは別に先進的な民主制を意識していたわけでもなく、人種差別から解放されていたわけでもない。強欲であったからこそ、結果的に規律正しい組織になった……というだけだ。小さな船の上で、船員と船長の格差もさほどなかったから、現場の何が問題で、どうすれば良いかも明確にわかった。これが大きな組織になるほど末端の声が届かず、トップは腐敗しやすい。だが小さな船で、全員が無法者ということが、かえってほどよい緊張感が生まれた。海賊の規律正しさは、この時代の偶然が生んだ産物だった。
 本書に書かれていない話だが、私の想像では明文化された海賊憲法が成立するまで、多くの失敗と試行錯誤があったはずだ。その帰結として、自分たちが安全で確実にお宝を手に入れるためには、船上の労働環境をホワイト化させていったほうが手っ取り早いという考えに至ったんだと思う。
 現代にも海賊はいる。だがインドネシアやソマリアに出没する現代の海賊は、まったくの別種だ。なぜなら彼らは、もともと犯罪者だからだ。18世紀海賊はもともと堅気だった。この差は大きい。
 現代の海賊はもともと犯罪者という中で、定期的に愚連隊を結成して、略奪や誘拐で身代金を要求する。仕事が終われば別の悪事をしに行くだけだ。18世紀海賊とは全く違う。

 海賊たちは18世紀はじめ、イギリス海軍が本格的に海賊殲滅を掲げて軍艦を派遣するようになり、姿を消した。海賊はいないにこしたことはないが、現代にいたるまでありとあらゆる伝説と、創作のインスピレーションを与えてくれた。そんな海賊たちが全滅してしまったのはなんだか悲しくもある。いや、絶滅したからこそ“ロマン”が残った……とも言えなくもないか。
 もう一つ、本を読んでいて思ったことは、そもそも一般商船での労働がブラックすぎたことが海賊増加の原因だったんじゃないか、ということ。海賊殲滅に必要だったのは武力ではなく、労働環境と賃金問題の改善だったんじゃないだろうか。……という課題は、18世紀ヨーロッパではなく、現代日本にこそ必要なことだが。

 一応念のための話として、海賊船が真っ当な社会を築けたのは、海賊船という特殊環境であったためだ。今回の話を聞いて、「なにもかも自由経済に任せればよくなる! 自由にすればホワイト企業が増える!」という考える人が出てくるかもしれないが、それだけはない。それは今の社会を見ると、すぐにわかることだろう。

 ところで本書冒頭には、こんな不思議な言葉が掲げられている。
「アニア、愛してる。結婚してくれますか?」
 なんだこれ? 何かの引用だろうか?
 そうではなく、筆者がガールフレンドに向けた、極めて個人的なサプライズメッセージだったようだ。
 このサプライズがどうなったか……「ググればわかる」と後書きにあったからググってみたが、残念ながら情報自体が古いらしく、いくらスクロールしても答えは出てこなかった。結局、サプライズが成功したかどうかは、わからないままになってしまった。


この記事が参加している募集

読書感想文

とらつぐみのnoteはすべて無料で公開しています。 しかし活動を続けていくためには皆様の支援が必要です。どうか支援をお願いします。