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11月1日 私たちの世界はギロチン台なしでは理想社会には行き着けない

 暇なときに、何気なく読んでいたニュース記事に、「民主主義はギロチン台を使わず政治家を変更できるシステムだ」……みたいなのを見て、ああ、そうだよなぁ……とか思う。

 18世紀のロココ時代のシンボル的な存在といえば、フランス国王ルイ16世のお妃様、マリー・アントワネット。マリー・アントワネットはオーストリア王女の1人として生まれてきたが、政略結婚によりフランス国王に嫁ぐことになる。まあ素行には少しは問題あったが、王族としての務めはそれなりにきちんとこなしていた。
 ところが1789年7月14日、フランス革命が起きて武装した市民が王宮へとなだれこんできた。マリー・アントワネットとルイ16世はともに逃亡しようとしたが、間もなく発見され、拘束され、幽閉される。
 その後の1793年10月16日、マリー・アントワネットはギロチン処刑され、その首の周囲で人々は「共和国万歳!」と叫んだ。フランス王族最大の栄華とどん底を同時に体験した、不遇の女王であった。
 こうしてフランス王族は途絶えて、かつて王族がいた……という痕跡だけが残される。

 ロシアにもかつて王族がいた。ロマノフ王家というのだが、20世紀に入った頃にはすでにその権力にもほころびが見え始めていた。そんなときに1904年の日露戦争で日本に敗北したことで、亀裂は決定的になっていった。民衆は王家に反抗するようになり、王家はその民衆を軍力で制圧する……という関係性へと陥っていく。
 ロマノフ王家内部にもほころびが現れていた。最後の王となるニコライ2世になかなか男児が生まれず、やっと生まれたアレクセイは血友病。血友病とはほんのちょっとの出血だけで血がダラダラと溢れて、そのまま死に至ってしまう病気だ。かすり傷でも死んでしまうような状態だったので、長生きはできまいと言われていた。

ロマノフ王家 左からアナスタシア、アレクセイ、アレクサンドラ、マリア。

 第1次世界大戦の最中、レーニンが提唱する「共産主義」思想がロシア内部に広がっていく。なぜロシアで「共産主義」というヘンテコな政治思想が生まれて、それが多くの人に支持されて今に至ったのか、というと抑圧的な帝国主義というものがあって、そういったものへの反発だった。歴史というのは基本的にその前の世代のカウンター、次世代はその前の世代のカウンター……という繰り返しで、極端から極端へと揺り動かされていく。“ちょうど良い”ところに収まることはない。
 やがてロシア革命が起きて、ロマノフ王家は全員拘束され、監禁され、最後には銃殺刑となった。1918年7月17日のことである。血友病だったアレクセイもこのときまで生きていたが、あと少しで14歳……というところでこの世を去ってしまう。
 こうしてロシア王族も歴史から姿を消してしまう。

ロマノフ王家が銃殺された地下室。銃弾の跡が壁に残る。

 不思議な話だが、ロマノフ王家が銃殺刑になった後、その1人が生存している……という噂がまことしやかに広がっていった。それがアナスタシア・ニコラエヴナ生存伝説だ。「アナスタシア生存伝説」は映画にアニメにゲームにいろんなところに題材として扱われたから知っている人もいるだろう。
 でも噂は噂。後にエカテリンブルク近郊の森でニコライ2世一家の遺骨が発見されたが、この中にアナスタシアの遺骨も発見された。生存していたはずがなかった。
 しかしこういう噂が広まり、信じられていたことに、人々に王族への憧れや、王族がいた時代への郷愁のようなものが残っていたのだろう。疎ましいと思って打倒した王族に対して「これで良かったのか」とか、「あの時代も悪くなかったなぁ」……そんな思いが人々の意識にあったのかも知れない。

 現代の平和な時代を生きている私からすると、なにも殺さなくても……という気がするが、歴史というのは非情なものだ。もしも生かしておけば、やがて王族だった人たちのもとに人々が集まり、その次なる政権を転覆させてやろう……という勢力になる。後の懸念要素を排除するために、前の権力者は1人残らずこの世から消してしまった方がいい。歴史はこれまでそうやってきたのだし、20世紀の最初の頃というのはまだそういう歴史の非情さの残る社会だった。
 それに、心情的にいっても殺さねば収まるものではなかった。フランス革命のときは民衆の抑えようもない怒りがあって、その怒りは当時諸悪の根源と思われていた国王・王妃の2人の首を叩き落とし、広場に晒さねば気が済まないものだった。
 ロマノフ王家銃殺も、長年のロシア国民の怒りというものがあって、できる限り無残な殺し方をして、さらにその死体をそのへんの森に投げ捨てるような殺し方をしないと収まらないものがあった。
 大きすぎる怒りは、それくらいの殺戮がなければ収まりはつかないものなのである。そういう怒りが「革命」を引き起こすわけだから。

 そんな時代の大きな変遷があったのに関わらず、権力の座から降ろされたとはいえ、現代の日本にまだ皇室が残っていてくれてよかった。

 さて、なんやかんやあって、私は達は無事、平和な時代に到達することができた。国の指導者を国民の1票で選ぶようになり、そのプロセスで暴力沙汰が起きることもなければ、変な不正も入り込むこともない(選挙システムに不正入りまくりな国は一杯あるけども)。平等で公正なシステムで国の指導者を選び出し、なにかあっても平和的にその座から引きずり落とすこともできるような状態になった。
 そんな社会を手放しに素晴らしいものと言えるか……というと……。
 政治の世界を見ると、国会の中でも外でも日々どうでもいいような言い争いが日々繰り広げられている。「それ重要か?」というような話で貴重な時間が無駄に消費されていく。マスコミは政治上の重要な討論についてまったく取り上げず、政治家のどうでもいいような発言の一つ二つを切り取って喧伝し、そこから言った言わない論争で何日も引きずり続ける。
 そこにあるのは、度し難いくらい下らない「足の引っ張りあい」の世界だった。
 国民1人1人に平等に1票を入れる権利がある。一見すると良いことのように聞こえるけれども、政治をよく理解していない、政治に関心のない人たちにまで1票が与えられるようになり、するとどうしてもポピュリズム政治に陥っていく。つまり、人気があるかどうか、好感を持てるかどうか……判断材料がそれしかなく、「政治そのもの」が重要視されない世界になっていく。実際、この数十年支持率が上がったり下がったりする要因は、政治問題ではなく、その時々でマスコミが何を話題にしているかどうかで決定されている。私たちの大多数はその程度にしか物事を考えられないから、どう考えても無能な政治家に信じられないくらいの支持率を与えてしまったりしたことがある。
(2009年、「史上最も無能内閣」である鳩山由紀夫内閣発足時支持率70%越え。歴代2位の支持率。これがポピュリズム政治の結果。米誌『タイム』は何を勘違いしたのか、「世界で最も影響力のあるリーダー100人」に選出してしまう)

 では投票権を政治を理解しているであろう高学歴エリート達のみに渡せばいいのか……とそんなわけはなく、高学歴エリートはプライドが異常なほど強いので、連中は自分の権勢を強固にするためならなんでもやらかす。高学歴エリート達を中心とした格差社会がより強力になり、さらに「インナーサークル」を作り始めることだろう。こういう側面に関しては、高学歴エリート達はどこまでも動物的な行動を取る。あと日本の場合、高学歴エリートほど、親中派左翼がやたらと多いってのもね……。
(インナーサークル 力や影響力や情報を持っている閉鎖的な一団のこと。特徴として外部からの批判を許さない)
 現代人は「個人主義は素晴らしい」という時代を通り抜けた後の世代だから、大金を儲けてもそれを「世のため人のため」に使うということは絶対にしない。現代の成功者はただひたすらに自分の欲望を満足させるためだけにしかお金を使わなくなっている。そういう意識でしかない現代の成功者に権力を与えるのはなかなか危ない。
(戦前の成功者は、儲けたお金で学校や病院を作ったりしていた。「個人主義」ではなく「世のため人のため」という意識がまだあった時代だった)
 結局、民主主義の世界というのは、1人の強力な指導者がいないかわりに、ひたすらえんえん、誰かが誰かの足の引っ張り合いをし続ける世界にしかならなかった。
 現代の選挙制度は確かにギロチン台も銃殺刑もなく政権交代できるけれども、「理想的な政治制度」とはとうてい言えないようなものだった。

 だからといって、昔あったような王政や帝政がいいとは言わない。王政や帝政といったものはもう過去の時代に封じられたものだ。今さらそれを掘り返す意味がない。
 かといって現代の民主主義が素晴らしいものとは言えない。強いていえば、“まだマシな制度”というくらいものでしかない。
 ならば王政でも帝政でも選挙制度でもない、“まったく新しい制度”について提唱せねばならないが……。そんなのはそうそう思いつかない。現代の民主主義の欠点は誰もが気付いていることだが、しかしそれをひっくり返すような新しいアイデアを提唱する者がいない。世界を見回しても提唱者が出てこない……ということは、現代人はその次にあるであろう、「新しい時代」がどんなものであるか、誰も明確なイメージを持てていないということだ。現代の民主主義が刷新されるのはまだまだ当分先の未来だろう。

 中国とロシアは表向きには選挙制度のようなものを装っているが、実質1人による強権的による独裁国家が成立しようとしている。姿を意図的にぼかしているが、昔ながらの王政を復古させよう……という意識があるように思える。といっても、あの体制がこのままの形で何年も続くわけはない。
 習近平&プーチンおじさんが引退だ……となったとき、平和的にその権勢が子孫に移される……なんてわけはない。あれだけの巨大な体制を作り、世界に対して挑発的に態度を取っているような一つの権力が、時期が来たからと平穏無事に別の人に交代……というわけにはいかない。あの体制が崩れる……というような時が来ると、またどうにもならない流血が……ということになるんだろう。当事者にしても引くに引けないような状態だ。
 国内で革命が起きて昔の王族のように断頭台に首を晒すか。それとも国外の誰かに暗殺されるか。未来予測はできないが、習近平&プーチンおじさんは子や孫に囲まれて平和的にこの世を去る……という人生の終わり方はしないだろう。それこそかつての王族や帝政が崩壊したときのような光景を再現するだろう。
 その時、私は「なにも殺さなくてもいいじゃないか」……とか言えるのだろうか。

 じゃあどういった仕組みを作れば、私たちは日々をかき乱されることなく、平穏な暮らしができるのか。
 考えるヒントは山ほど提示されている。現代の民主主義システムのどこが問題なのか、誰もが知っている。だったらそれをどう修正していけばより良くなっていくか、考えることはできるはずだ。ようはそこを考えようとするかどうか、だ。
 ただ問題なのは、次世代の制度・思想というものは、基本的には現代に対するカウンターから生まれる。そこで極端から極端へと揺り動かされていく。“ちょうど良い”ところに収まることはない。美術の世界では極端な技術主義の世界から、極端なくらいヘタウマを尊ぶ世界へと揺り動かされてしまった。
 経済の世界では保護主義的な仕組みから、グローバリズムやネオリベラルの世界に一気に振れて、一部の稼げる者だけが大金を手にして、その他大勢の人々が貧しくなる世界になっていった。それでグローバリズムやネオリベラルはやばいぞ……ということになって、また保護主義的な仕組みに戻そうという動きが出ている(日本以外の国では……日本だけはいまだに高学歴エリート達は「グローバリズムだ!」とか言っている。それを推し進めているから、日本の企業がどんどん海外に買収されちゃってる、という状況になってるっての)。
 前の制度が否定されるとき、強烈な感情の問題が、革命の引き金になっていく。するとカウンターだ! ということになって、前世代のあらゆるものが否定されてしまう。
 極端から極端へ揺り動かされていくから、“ちょうど良い”ところには決して収まらないのが人間だ。そこには感情的な問題も巻き込んでいく。国王・王妃の生首を広場に晒して「万歳!」と叫ぶような感情が、その前の時代を否定し、極端な揺り動かしへと突き動かしていく。
 現代の政治制度の欠点が指摘され、さてその次なる制度がなにかしらの理想の元に掲げられたとして、きっとそれは極端な制度なのだろう。それで、欠点が見つかるとまた極端な揺り戻しが起きる。“ちょうど良い”というところに着地できない(良かったところを残す、ということができない)。それぞれの良いところ取り……とかいう中途半端なことができない。
 そんなこんなで、私たちは理想社会に行き着くことができない。そんな不毛な歴史をこれからも紡ぎ続けていくのだろう。


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