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映画感想 エセルとアーネスト ふたりの物語

 “何でもないこと”が尊い。

 高名な絵本作家であるレイモンド・ブリッグスがこの世を去ったのは2022年9月。彼が制作した『スノーマン』や『風が吹くとき』といった作品を知らない者の方が少ないだろう。その彼が自身の両親を主人公にした絵本『エセルとアーネスト』を出版したのが1998年のこと。第1次世界大戦後のなんでもない夫婦の幸せを描いたこの作品はイギリス国内でベストセラーとなり、英国ブックアワード最優秀イラストブックオブザイヤーを受賞することとなった。
 そのベストセラー絵本を映画化したのが本作『エセルとアーネスト ふたりの物語』だ。
 監督を務めるのはロジャー・メインウッド。アニメーターとして『スノーマン』や『風が吹くとき』『さむがりやのサンタ』といった作品に関わり、『まちねずみジョニーのおはなし』『たのしい川辺』『リトルプリンセス』といった作品で監督を務めた。『エセルとアーネスト』の監督を務めたのは、レイモンド・ブリッグス作品と縁の深い立場にあったからだった。2018年9月24日、65歳でこの世を去る。
 主演のエセルの声を担当するのはブレンダ・ブレッシン。カンヌ国際映画祭女優賞やゴールデン語ローブ賞を受賞した女優だ。アーネスト役を担当するのはジム・ブロードベント。英国アカデミー賞助演男優賞、そのほか多くの大ヒット映画にも出演経歴を持つ。エンディング曲を務めるのはビートルズのポール・マッカートニー。イギリスを代表する錚々たる制作陣、俳優たちで制作されたのが本作である。

 それでは前半のあらすじを見ていこう。


 1928年のロンドン。メイドのエセルは、毎日家の前を自転車で駆け抜けて、こちらに手を振ってくる男性に、手を振って返していた。でもその男性の名前すら知らない。あの男性は誰なのだろう。わからないけど、エセルはあの男性が来るのを毎日心待ちにしていた。
 そんなある日、お屋敷の呼び鈴が騒がしくなる。裏口のドアを開けると、そこにはあの男性が花束を持って立っていた。
「俺、アーネスト」
「ええと……私はエセル」
 陽気なアーネストに対し、ぎこちなく挨拶をするエセル。それからアーネストは「俺と映画に行こう」と誘うのだった。
 アーネストとの関係は最初からうまくいって、すぐに仲が良くなった。エセルは将来の相手はアーネストと決めて、仕事を辞め、彼を両親に紹介する。
 次に2人の家を買う。825ポンド……低所得者にはなかなか厳しいお値段だ。しかしアーネストは楽天的に「1955年には俺たちのものだ」と言うのだった。
 家の中は電気が通っていて、トイレは水洗。古いものもあるけれど、新しいものばかりだった。「なんて贅沢なんだ」――古い時代を過ごしていたエセルとアーネストには何もかもが目新しく輝いて見えた。
 結婚し、新婚生活が始まる。ガランとした空間だった家の中に少しずつ家具を持ち込み、少しずつ賑やかにして行く。しかし肝心の子供はなかなかできないのだった。
 世の中的には少しずつ陰気な空気が紛れ込んでくる。ドイツではヒトラー内閣が成立。イギリスでもヒトラーの『わが闘争』が出版される。
 そんな最中、とうとうエセルは妊娠する。結婚してから2年経ってのことだった。
 エセルが出産を迎えたのはとある冬の夜明け前。雪が降っていた。その時アーネストは牛乳配達の仕事をしていた。仕事をしている最中、ふと自分の家を見上げると――明かりがついている。家の前に見慣れない車……。アーネストはハッと察して家の中に飛び込む。するとすでに赤ちゃんは生まれた後だった。
 医者から言われたことは「2人目は無理です」ということだった。エセルは38歳だったし、初子も難産。もし2人目なんて言ったら、エセルの命が危うい……。もっと家族が欲しかったのに……。アーネストは残念がるのだった。


 前半22分はエセルとアーネストが出会い、結婚し、夫婦生活が始まり子供が生まれるまで。幸せの絶頂期が描かれていく。
 この後なにが起きるかというと、子供は生まれたものの、それからすぐに第2次世界大戦。子供――レイモンド・ブリッグスが5歳の時だった。一番かわいい時期なのに、子供だけを疎開で田舎に送り出さなければならない。ロンドンの街は空襲で破壊され、夫婦は困難な時を過ごすのだった。

 エセルとアーネスト……ごくごく普通の男女の、普通の恋愛の物語だ。最初からそう紹介されているように、この2人が歴史事件に関わったり、ヒーロー的な何かを成し遂げたり……ということはない。本当に普通の物語。美男美女ですらない。この時代に何万人もいたであろうイギリスの夫婦のお話が描かれていく。
 エセルとアーネストの出会いが描かれるのは1928年ロンドン。お話しを見ているとずいぶん簡単な動機で恋愛が始まって、結婚までトントン拍子に進んで行ったように見えるけれど、1928年はエセルは33歳。アーネストは28歳。実は晩婚だった。
 こんなに楽天的な男女ならもっと早い時期に恋愛しているのでは……という気がするが、1914年から1918年に第1次世界大戦があった。エセルが19歳の時、アーネストが14歳の時だ。14歳と19歳の時で一番恋愛が楽しい時期に戦争があって、戦後もいろいろあったと考えられるから、それでお互いに結婚の時期を逃していたと想像される。

 第1次世界大戦はエセルとアーネストにとってもトラウマだった。青春期を破壊されただけではなく、エセルは弟を、アーネストは兄を喪っていた。2人にとって「前の戦争」はついこの間のこと。戦争を知っているからこそ、忌避感も強かった。

 ごくごく普通の、なんでもない平凡な夫婦の物語……だが背景を見るとなかなか興味深い。第1次世界大戦後の世の中は、急速な変化を迎えている時期だった。
 結婚を前にしてエセルとアーネストはまず新居を購入するのだが、その新居というのは電気が通っていて、水洗便所のある家。「電気と水道」が通っていることに驚き、「なんて贅沢なんだ!」と感激する。この時代では電気と水が通っていることが「未来的な暮らし」と考えられていたのだ。

 その一方で古い時代のものも残されている。キッチンはストーブ。暖房と調理器具を兼ねていた古い家具だ。しかも燃料は石炭なので、煤まみれ。この頃は「ガスレンジ」が憧れの対象になるほどの最新式の家具だったようだ。

暖炉もやや古い。画面を見てわかるように、石炭を燃やしている。薪ではない……というところで少し新しい世代の家具なのだろうけど。

 第1次世界大戦を経て、時代の意識が急速に変わろうとしている。一組の夫婦が上等の家具を一式所有できる。共同の便所や共同の風呂ではなく、一家族につき一セット所有できる。急速に物質主義的な時代に、急速に個人主義の時代へ向かおうとしていた。

 ちょっとエセルについて掘り下げていこう。
 エセルの実家は11人兄弟。昔の労働者階級にありがちな「とにかく一杯生んで、働き手を増やそう」という考え方があった時代だ。それに生んだ子供たちみんなが健康に育つとは限らない。11人兄弟だが、1人は赤ちゃんのうちに、もう一人は2歳で死んでしまっている。子供1人1人が確実に育つとは限らない……だからたくさん生む。そういう感覚がまだ残っていた時代だ。

 エセルはメイドとして働いていた。本場イギリスのメイドである。
 イギリスには「階級」意識が今も残っている国で、成功している人はメイドを雇うのが当たり前。メイドとして働くのは当たり前の感覚がある。エセルはメイドという立場を「卑しい身分」とは決して考えておらず、お金持ちに仕えていたことをプライドとして持っていた。
 それにエセルは「労働者階級」に対しやや差別的な視点を持っていて、息子が「長靴が欲しい」と言っても、「あれは労働者階級の履き物だからダメ」と反対していた。「長靴が労働者階級」という感覚は不思議だけど、当時はそういう考え方もあったのだろう。
 これも「階級」の意識がまだまだあったから。エセルは最後まで労働者階級に対する冷ややかな視点を持ち続けてしまう。

 こちらの場面は赤ちゃんが生まれた後、アーネストのお母さんが家を訪ねてくるシーン。お母さんはラジオの音を聞いて「それを切っておくれ。こっちの話を聞かれちまう」と言う。アーネストのお母さん世代には、まだ「ラジオはこっちの声を聞かれる」という偏見があったのだ。そんなお母さんを、エセルとアーネストは失笑してしまう。
 お母さん世代は古くさくて、自分たちは最先端の考え方で生きている……。エセルとアーネストはそのつもりだった。

 ところが息子ブリッグスから見ると両親の考え方は古くさい。
 例えばこの場面。仕事から帰ってきたお父さんが台所で体を洗っているのを見て、「風呂場で洗えばいいのに」と言う。しかしアーネストは家にお風呂がなかった世代の人。ちょっと汚れたくらいなら風呂に入るまでもない。台所で充分……という考え方。それが息子のブリッグスからすると「信じられない!」という感覚になる。
 エセルとアーネストはその時代における「最先端」の考え方や暮らしをしている……というつもりが、もう息子の世代では古くさくなっている。

学校のトイレが家のトイレと違うよ! ……と大慌てで家まで帰ってきてしまうブリッグス。

 やがてブリッグスは育ち、美術学校に通うようになる。しかしエセルとアーネストは美術学校に反対。まずいって、エセルとアーネスト世代には「美術の仕事」……といわれてもピンと来ない。美術学校に行ったところで仕事なんかないぞ……と不安になる。せっかく高等中学に合格したのに、そのまま名門大学に行って欲しかった。大学に行けばその後の就職先が確実にある。息子の「安定した職業」を願うなら、美術学校に反対するのは、この時代の親にとって当たり前の感覚だった……が、実はブリッグスの時代になるとそれも古くさい感覚。逆に大学に行ったところで就職先があるわけではない。エセルとアーネスト時代のリアルな感覚、ブリッグス時代のリアルな感覚にすれ違いが起きていた。

 戦争が終わってやっと平和な時代がやってきた。戦争の間、息子を田舎に疎開させて、一緒に暮らすことができなかった。ようやく息子との幸せな暮らしができる……と思ったのに、起きるのは世代間のすれ違い。
 息子ブリッグスは第2次世界大戦後の「個人主義」の時代の感覚に入っていた。集団が忌まわしきものと否定され、個人が尊ぶべき……と考えられた時代。ブリッグスは近所づきあいも避けているので、近所のおばさんに「おはよう」と言われても無視。個人の自己実現に邁進するのだった。

 戦中の様子。5歳の息子をたった1人で機関車に乗せて、送り出さなければならなかった。
 この機関車に乗るシーン、なにげなく隣に座ったおばちゃんがブリッグスの面倒を見ているが、あのおばちゃんは赤の他人。1人で機関車に乗る子供を見て「疎開するんだな」と察して面倒を見て上げてる……という場面。この時代にはよくある光景だったのだろう。

戦争の最中、時々は夫婦で息子に会いにいっていた。息子はすっかり「田舎」の少年になっていた。

 戦争が終わるのは映画が始まって50分ほどのところ。終戦を祝って道に出て近所の人たちと歌って踊って浮かれている。
 戦争が終わった頃、レイモンド・ブリッグスは11歳。エセルとアーネスト夫婦はレイモンドの5歳から11歳……という貴重な時期を一緒にいられなかった……という悔いを残してしまう。

 それからやっと息子との幸せな日々に戻れる……かと思いきや、その日々は短く、あっという間にすれ違いが始まってしまう。第2次世界大戦後でまた世の中的なものの考え方が変わってしまい、エセルとアーネストの感覚が古くさくなってしまう。
 男が長髪にするなんて信じられないし、女がミニスカートを穿いて髪にパーマを当てないなんて信じられない。でもこれがブリッグス時代の当たり前の感覚。時代感覚のすれ違いで、親子の関係は遠ざかっていく。

 世の中的にもどんどん変化していく。肉やチーズの配給がどんどん削られていく。個人主義の時代に入っていくが、それは「自己責任社会」でもある。頑張れば運良く大成功が得られるかも知れないが、最低限の社会保障もない。「個人で勝手にやってね」という感覚。
 いい仕事が得られなくてご飯が食べられない……のは自己責任。そこまでは政治は面倒見ないよ……という。
 アーネストは牛乳配達の仕事をやっていて、出世には興味がない。毎日牛乳を配っている仕事だけで満足している。戦前は牛乳配達の仕事でもごく普通の労働者階級くらいの給料を得られていたけど、戦後は一般的な労働者階級以下の給料になってしまう。自己責任社会に入っているから、いい給料が欲しかったらスキルアップしなくちゃダメ。給料に不満があるんだったら転職。転職して資格を取ってキャリアアップ。それをやらないのは自己責任でしょ……という時代へと向かって行く。そういう時代観のなか、アーネストは取り残されてしまう。
 やがて大人になったブリッグスは週に1回の美術学校の仕事に就くのだけど、その週に1回の仕事でもアーネストよりも給料が上。社会状況は「個人を尊ぶ」……とスローガンは格好よく聞こえるけど、昔ながらの労働者を軽視し、「普通の人」の暮らしほど苦しくなっていく時代に入っていく。

 息子との関係に悔いを残していた……どこでそれがわかるのか、というとこの場面。
 エセルがお婆ちゃんになって車椅子生活になっている。道路を挟んだ向かい側には、戦争前には喫茶店があった。「次に来たときは親子であの店に入ろう」……しかしそれが果たされることなく戦争。街のあちこちは爆撃されたし、息子はずっと疎開していたし。戻ってきた後もいろいろあって忙しかったし、やっと生活がよくなってきたと思ったら息子は美術学校に行ってなんだかわからない格好をし始める。
 本当はもっと親子の時間を過ごしたかった。それが老夫婦になったときに、ふっと沸き上がった悔い。

 ブリッグスも年を取るにつれて、だんだんそのことがわかってくる。若い頃は自分のことしか考えられず、「自己実現したい」という想いで生きてきた。自分勝手だった。でもそれが両親を寂しがらせていた。それがわかってきて、だんだん両親と一緒にいるようになってくる。
 ……もしかすると、その想いがこの物語を描く切っ掛けになったんじゃないか……そんなふうにも感じられる(……これは私の想像だけど)。

 イギリス版『この世界の片隅で』と言われがちな作品。実際、その通りな作品。『この世界の片隅で』が好きな人なら絶対に観るべきだし、感動できる作品であることは間違いない。
 『エセルとアーネスト』が『この世界の片隅で』を参照した……というわけではなく、たまたま似たようなテーマに行き着いた……ということだろう。ただ共通点は多い。ごく平凡な夫婦が戦争に直面する……というお話しもそうだけど、それ以上に作風が似ている。絵やお話を見ると情緒たっぷりに描かれているのに、一方で妙にドライ。

 例えばこの場面。戦争が終わってみんなが浮かれているのに、その中1人、暗い顔をしている男がいる。この男性は息子を戦争で亡くしている。こんな場面をわざわざ入れている。何もかも明るくハッピーだったわけではない。色んなところに不幸があった。そんないくつもあった不幸をくぐり抜けて偶然得た幸福の物語……。
 こういう妙に冷徹な視点でわざわざ「水を差す」ような場面を入れる。こういうところが『この世界の片隅で』の感性に似ている。

戦争が終わった日の夕暮れ。しみじみと「生きていて良かった……」と感慨にふける。「生きていて良かった」それがなにより――この感覚が2人にとっての基本だった。

 お話しもとある平凡な夫婦の幸福な一生の物語……に見えて、実はそこまで幸福というわけではない。まず戦争があったし、息子とのすれ違いを経験している。それに、普通に暮らせていたのに、戦後少しずつ貧しくなっていく過程が描かれている。たくさん困難があったし、悔いも残している。
 でも無事に老人まで生きて、最後には同じ年に2人揃ってこの世を去った。ドラマなんて何もない。ただひたすらに平凡。でもそんな平凡こそがなにより尊いじゃないか。なんでもないことが、もしかしたら一番輝いているのかも知れない。そんな2人の物語に、ブリッグスはスポットライトを当てたかったのかも知れない。


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