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あつまれどうぶつの森 島滞在日記6月&7月 後編(おまけコラム)

おまけコラム どうぶつの森と文明人の悲哀

 下の画像は別の島へ行ったときのものである。木々が全て伐り倒され、切り株になっている。釣り上げてしまったタイヤは不要品だからそのまま放置。島での活動が“終わった”瞬間の場面だ。

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 前作でも島に行くことはできたが、今作で別の島へ行くことは少しニュアンスが違う。素材の収集のため――石や粘土、木材を収集するために島へ行く。いわゆるの“素材島”だ。だから島から帰るときはだいたい上のような画像の有様。草木は刈り取られ、花は一輪も残されず、木は全て切り倒され、虫やサカナは根こそぎ収集されてしまう。後に残ったのは荒涼とした緑の土地だけ……。これははっきり“略奪”の光景である。

 こうした光景は最近のクラフト要素のあるゲームではおなじみの風景で、『ドラクエビルダーズ』でも同じように「素材島」と呼ばれる場所へ行き、そこの資源を根こそぎ取り尽くし、持ち帰っていくということが行われる。私もいくつかの素材島を破壊に破壊しまくって、土や砂を持ち帰ったものだ。
 とはいえ、所詮はデジタルゲームなのでゲーム中での略奪はその中だけで自己完結し、場面を切り替えるとさらっと自然は回復する。自然破壊の深刻さをゲームの中で知ることはほぼない。
 しかしその破壊が現実世界であると考えた場合、どんな状況が考えられるのか。どうして私たちは破壊と略奪を行うのか――そうせずにはいられないのか。それを考えていこう。

イースター島 16c86

 ジャレド・ダイアモンドの著作『文明崩壊』には様々なエピソードが紹介されているが、ここでは同じような「島」の物語であるイースター島の一篇を紹介しよう。

 イースター島にポリネシア人が入植したのは西暦900年頃と言われている。これはイースター島に残されている木炭やネズミイルカの骨を炭素年代測定法にかけて割り出した数字で、おおむね信頼のおける数字であろうと言われている。
 言い伝えでは最初の入植者はホトゥ・マトゥアと呼ばれる首長で、妻と6人の息子、いくつかの親戚達とともにイースター島に入植したと伝えられている。だから始まりはごく少数だ。
 イースター島は小さな島で、面積は163㎢。位置はポリネシア・トライアングルの東端に位置し、もっとも近い有人島まで直線で2000㎞。まさしく絶海の孤島と呼ぶべき島である。
 そんな島に、最盛期には1万人ほどが住んでいたとされている。この数字は推測であり、説を唱える人によって大きく変わるので、実際にはどの程度の人間が住んでいたのか判然としない。おそらく1万人ほどだったんじゃないか、というくらいに捉えていたほうがよい。
 この小さな島に、西暦900年頃、ホトゥ・マトゥアが親族を連れてやってくるのだが、その時のイースター島は島中に椰子の木がみっしりと生えていた。その当時のイースター島は亜熱帯性雨林の島で、椰子の木と鳥たちに満たされた、自然豊かな島であった。特に椰子の木は充分に育っており、世界最大である直径2メートルのものも化石として発見されている。
 イースター島の自然を見たホトゥ・マトゥアと親族達は、豊かに育った椰子の森と鳥たちという豊富な食料源を見て、そこで暮らし続けていくことができるだろう、と考えた。
 ところが――それから500年後。西暦1400年頃にはイースター島から一切の木が消えてしまう。イースター島に入植した人たちが、全ての椰子の木を切り倒してしまったのだ。
 島から全ての木が消えてしまう。すると何が起きるか。
 まず建材に必要な木がなくなり、木造の家がなくなる。次に舟を作る材料がなくなるので、漁に出たり遠出することもできなくなる。さらに木材を使っての煮炊きもできなくなる。
 最初に書いたように、イースター島は小さな島で、周辺2000キロは島影なしの絶海の孤島である。そんな島で、木がなくなってしまったらどうなるか? 
 答えは誰にでもわかる。“食料を得る手段がなくなってしまう”だ。

 そこからイースター島住人の地獄が始まる。イースター島は島周辺の海底が急激に落ち込んでいるので、素潜りで採れるものというものが限られていた。実際、貝塚には魚類や貝といった食料はほとんどなく、海の幸の恩恵には与れなかったようだ。イースター島にかつていた鳥たちは、人間が入植してきたことによって一斉に逃げ出してしまった。イースター島の東方、フェルナンデス諸島に鳥たちの繁殖コロニーがあるが、同じ骨がイースター島からも発見されていることから、かつてはイースター島が繁殖コロニーだったと推定されている。この鳥たちを食料にすることも、イースター島の人たちにはできなかった。
 ではイースター島の人たちは何を食べていたか。サツマイモ、山芋、タロイモ、バナナ、サトウキビを栽培し、唯一の家畜は鶏であった。この鶏を飼うための石造りの小屋がイースター島には大量に残されており、「モアイ」というユニークな存在がなければ、イースター島は「鶏小屋の島」と言われたであろう、というくらいにたくさんある。
 しかしこれだけの食料ではイースター島の食糧不足、栄養不足を補うことはできなかった。イースター島の人々はタンパク質不足を補うために何を食べたか――そう、人間である。人間自身が最終的な食料源になったのだ。
 イースター島にはこんな怖い言い回しがある――「おれの歯の間にはお前の母親の肉が挟まっているぞ」。

 そんな食料クライシスの最中、イースター島の人々は何をやっていたか。モアイ像を作り、あるいはモアイ像を破壊し合っていた。
 モアイ像はもともとは身分の高い先祖を敬うために作られ、建てられたものだ。だが食料クライシス状態に入った頃になると、その意味合いはどこかしら狂気じみたものへと変わっていく。
 人々は日々モアイ像を彫り、建て、別の部族のモアイを襲っては倒し……を繰り返す。その最中、モアイ像は次第に次第に巨大化していく。ラノ・ララクと呼ばれる採石場には切り出されたまま運ばれることなく遺棄されたモアイ像が397体も残されてるが、最大のものとなるとおよそ20メートル、重量270トンにも及ぶ。
 モアイ像の製造と運搬は1600年頃には終了されたとされているが、その時代のものが今も残されている。ラノ・ララクから集落への道という道にモアイ像が横倒しに遺棄され、台座に建てられていたであろうモアイ像もことごとく突き倒され、首がへし折られている。そういうモアイ像が合計393体もあるそうだ。その足下を見ると、下敷きになって死んであろう人の骨もいまだに残されているという。

 1722年4月5日。オランダの探検家ヤコブ・ロッヘフェーンが航海中に未知の島を発見する。イースターの日に発見されたことから、“イースター島”と呼ばれることとなる。
 双眼鏡で見たイースター島は小さな砂の塊にしか見えず、そこに人が住んでいるとは思いもしなかった。ところが行ってみると人がいる。生存者がいたのだ。その姿は小柄で、痩身で、おどおどとしてみすぼらしかった――そう伝えられている。食糧危機の地獄の中で、どうにかこうにか生き延びた人たちだった。
 こうしてイースター島の人たちの受難が終わったかというと、そうはならなかった。ヨーロッパ人がやってきたことにより島に天然痘が流行し、さらに白人達は「頃合いのいい奴隷が見つかった」と島住人に手錠をかけて連れ去り、方々の鉱山で使い捨てにした。イースター島はその後も崩壊の危機、歴史から消える危機にずっと直面し続けることになる。今でもイースター島の先住民が生存していることは、ある意味の奇跡といってもよい。

 このエピソードはジャレド・ダイアモンドの『文明崩壊』に描かれているとあるサンプルの一つとして紹介されている。“とある”とはタイトルにあるように「文明崩壊」のエピソードサンプルである。

 『文明崩壊』という本を大雑把に要約すると、人間と自然のバランスの話である。人間が生活して行くには天然資源が必要で、その天然資源とは自然を破壊して得られるものである。自然は時間が経てばゆっくりと回復していくものだが、その回復スピードを越えて人間の数が増え、自然を消費するスピードが速くなってしまうと、一気にカタストロフが起きる。
 人間の数がある程度までならば自然を消費しきってしまうことはないが、自然(森・海)が持っているキャパシティを越えて人間の数が増えた途端、カタストロフが起きる。このバランスは天秤のようなもので、人間の数や自然を消費する文明のグレードが一定域以内なら問題ないが、ある一定域を超えた途端、天秤がかたんッと一方に傾いてしまう。
 イースター島のエピソードは文明崩壊の一つのサンプルで、ポリネシア人が入植した最初の時期、というのは椰子の木がみっしり生えていて、非常に自然豊かな島だったと考えられる。ところが500年かけて島住民は1万人近くまで増えてしまい、1万人の食・住をまかなうためにどんどん森林伐採が進んでいき、とうとう最後の1本までも切り倒してしまった。
 『文明崩壊』にはいくつものエピソードが紹介されているが、基本的にはどのエピソードもパターンは同じである。人間が自然の回復力を越えて増え、切り尽くし、取り尽くして一挙にカタストロフに至る。『文明崩壊』が紹介するエピソードはこの繰り返しで、人類はこの愚行を色んな場所で何度も繰り広げていたと考えられる。
 しかし、この教訓はなかなか後世には伝え残されることはない。なぜなら当事者が絶滅してしまうからだ。無人になった集落だけが残され、後に発見された人たちは「どうしてここの人たちは姿を消してしまうのだろう」あるいは「こんな奇妙な建造物を残した人たちはいったいどんな人たちだったのだろう?」と一つのミステリとしてのみ語り継ぎ、そこから本当に語るべき教訓を読み取ることはできない。本当に恐ろしいのは食料クライシスに陥って絶滅した、という歴史であるはずなのに。

 こうした文明崩壊の恐怖は私たち日本人も例外というわけではない。
 かつてただの荒れた湿地帯に過ぎなかった板東を徳川家康が、どうしてむしろ嬉々として開拓に乗り出したかというと、その当時の日本、いや関西地方は森林伐採が深刻なレベルまで進んでいたからだった。江戸時代、神戸港に訪れた宣教師達は禿げ山となった六甲山を見ている。関西やその周辺の土地をもらっても、もはや未来はない。だから徳川家康はむしろ荒れた原野にこそ未来はあると考えていた。
 現代は日本の山や森はそこそこ豊かさを取り戻しているが、戦国時代の過剰な伐採により、国土が荒野になる可能性もあった。
 そのサンプルとするべきなのかどうかわからないが、ギリシアの現在がそうなっている。ギリシアといえば荒涼とした山々を連想する人は多かろうと思うが、あそこは以前は鬱蒼とした森だったらしい、という話を聞いたことがある。ギリシアの自然崩壊がどのように進行して、あのような荒涼とした土地になったのか私はよく知らないが、おそらくはかつてのギリシア文明崩壊と天然資源の枯渇とは関連があるのだろう。
 日本は戦国時代が終結し、太平の時代が来たから過剰な森林伐採の進行を止められ、その後200年~300年かけて森を取り戻したが、少し間違えれば日本の山々もギリシアのような荒涼とした土の山になっていた可能性がちょっとある(江戸の街も基本的には木造建築なので、今度は関東地方で猛烈に森林伐採が進行したが)。そうなれば日本の歴史はそこでいったん崩壊し、空白期間が生まれていたかもしれない。

 徳川家康が未来を夢見て開拓した江戸は東京と呼ばれるようになり、人だけでみっしり満たされているような状態になり、そこに残されている自然といえばお弁当箱の中に添えられたブロッコリー程度のもの。「自然」とはとても呼べないような添え物だけがそこにある状態となった。自然の破壊は完璧な状態で完了し、その破壊は周辺の土地へと向けられるようになった。

東海道五十三次 二川・猿ヶ馬場 歌川広重No.035-1

 歌川広重 『東海道五十三次』二川・猿ヶ馬場
 上の絵は愛知県の三河にある二川を描いた作品だ。現代では緑豊かな森がある三河だが、歌川広重が旅して絵にした1832年の時代では森がほとんど枯渇しかけていたのではないかと推測される。

 これが現代における新しい形の自然破壊である。自然の破壊が自分たちの視野の外に出て行ってしまい、その自覚を持てないことにある。家を建てるために、何かを食べるために自然が破壊されるのだが、その実態を私たちはほとんど見ることはないし、認識することはないし、それを仰々しく伝えるテレビのニュースを見ても大抵は無関心か「うぜー」くらいの印象しか持てない。
 イースター島での文明崩壊はおよそ163㎢の小さな島の中で自己完結的に起きたが、現代の自然破壊は地球規模で起きている。どこかの森を切り払い、どこかの食料を取り尽くし、どこかの鉱物を根こそぎ取り尽くし、こうして地球人類はいつのまにか70億人だ。『サピエンス全史』によれば人類全員をはかりに乗せると総重量3億トン。もし人類が飼っている牛や豚や鶏などの家畜をはかりに乗せるとおよそ7億トン。それ以外の全ての野生動物をまとめてはかりに載せると1億トン以下。もはや人間と人間の家畜が地球生物の全てを圧倒するほどまでに殖えてしまった。
 その人数規模で自然破壊を進行させてしまっている。しかし見えないからこそ自覚できない。しかも“より豊かな暮らし”を求める過程で自然破壊のスピードはどんどん加速されている。この速度で自然破壊が進行していくと、いつかイースター島の悲劇が地球規模のものになる。地球上の全ての木を1本残らず切り倒す日が来るかもしれない。その時代が来ないよう、私たちにできることはただ祈るだけだ。

皆伐伐採

 皆伐伐採の実態。皆伐伐採とは、文字通り木を根こそぎ刈り取ってしまうことである。先進国の材木問題を解決させるために、地方で森が切り崩されている。

 ここで話を変えよう。
 とりとめなくなっているように見えるが、ちゃんと着地するのでご安心を。ついでにいうと今回のコラムのテーマは自然破壊とそれを糾弾する意図はまったくなく、その理由について。“なぜそこまで破壊を求めるのか”の理由を『どうぶつの森』の中で見つけようという話である。
(そもそもデジタルゲーム内でのできごとを現実の自然破壊に結びつけて話をするのは不毛極まりない)

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 『あつまれどうぶつの森』が始まった当初は手つかずの無人島からゲームがスタートする。その最初の時というのは島中が秩序なく木々が一杯に茂り、下草ももっさもっさと生えていて、しかも危険な毒虫もいたりとまさに原生林の風景であった。
 それがプレイヤーの手で少しずつ雑草が抜き取られ、木が伐採され、最初は粗末なテントだったがやがて立派な家が建ち、レンガ敷きの歩道が整備され、橋が架けられ、街灯が夜を照らし、住居が秩序だって並べられ、こうなるともはやあの原生林の面影はどこにもなく、島に立派な町が誕生している。
 このゲームが始まった当初は、「自然豊かな島での自由気ままな暮らし、自然との戯れ、ゆるやかなスローライフ」が語られていたのに、実際はどうだ。ゲームが始まると私たちは島をいかに豊かにしようか、華やかにしようか、そのことばかり考え、ひたすら邁進し続けてしまう。私たちはどうにも「豊かな自然」や「スローライフ」よりも「管理された世界」のほうを望んでいるようだ。

 こんな風景を見ていると、私たちはとある映画を連想してしまう。ダニー・ボイル監督『ザ・ビーチ』である。公開は2000年、主演はレオナルド・ディカプリオ。

 『ザ・ビーチ』のあらすじを紹介すると、タイに一人旅でやってきたリチャード。その旅先の宿で、ダフィという男と出会い、男から「伝説のビーチ」の噂を聞く。そこには美しい自然があり、人々は日常のしがらみから解放され、自由気ままに過ごすことができる夢の楽園だという。
 その噂を聞いたリチャードは幻のビーチを探し、間もなく発見することになる。そこには確かに美しい砂浜と豊かな森があり、人々は気ままでゆったりな暮らしを送っていて、その風景はまさにエデンの楽園のように感じられた。
 リチャードは伝説のビーチでの暮らしをしばらく楽しむが……次第にそこに住む人々の「歪み」が見えてくる。
 自然豊かな島で気ままな暮らしをしているようで、実際には物質に依存している彼ら。魚を調理するのに匂いが我慢できないとゴム手袋を買ってきたり。鮫に襲われて重傷人が出ると、テントに置き去りにしてみんなで無視する。統率者のサルはこの「楽園」を守るためにあらゆる手段を使おうとする。おまけに「楽園」のすぐ側には農民キャンプがあり、そこでは大量の大麻が栽培されていた。
 彼らは美しい自然の中で過ごしているが、決して自然と“共生”しているわけではなく、ただ“消費”しているだけだったのだ。しかも結局のところ物質に依存していて、定期的に町へ行って工業生産された便利な道具とエンターテインメントを買いに行かねばならない。自然を犠牲にして道具を作っているのでさえない。まやかしの「自然との共生」「スローライフ」だった。

 この映画は人間のある種の本質と業を的確に表現している。人間は自然とともに生きることはできない。自然を消費することしかできない。美しい自然がそこにあったとしても、結局のところ自然と一体になることはできず、物質に依存し、自然を消費して生きていくことしかできない。「美しい自然」なんてものが側にあったとしても、せいぜいネイチャードキュメンタリーを見ている感覚でしかない。
 豊かな自然? スローライフ? そんなのは真っ平ごめんだ。私たちが欲しいのはコーラとハンバーガーと最新のビデオゲームだ! ……と、口にしないが本音はこうだ。誰だってそうだろう。
 私たちがもしもそういう場所へ行ったとしても、流行のファッションで身を固め、3分おきにスマートフォンでInstagramに新しい投稿が来ていないかチェックし、ガイドの案内に従ってお定まりのツアーコースを巡り、観光案内に書かれているとおりの感想(「人生が変わったわ!」)を言うだけだ。
 私たちは文明社会の中に生き、その生き方を変えることができない。なぜなら人間だからだ。そして人間は人間自身で管理された世界や意識の中にいないと、精神を安定させることができないのだ。

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 人間と自然は決して共生することはない。なぜなら人間はありとあらゆるものを“外部化”しなければならない生き物だからだ。
 なぜ人間は自然を退け、人工の町を作るのか。なぜ食べ物をそのまま食べず、元の食品がなんだかわからないくらいにまで手を加えて装うのか。現代の食べ物は動物の肉であってもそうであるとわからないように店に並ぶ頃にはきちんと腑分けされ、ラッピングされ、ほとんどの人々はそういった加工済みの食品ばかり食べている。それらの元がなにかしらの動物や魚であると認識していない人も今はそれなりにいるようになった(つまり何を食べているのか知らないし、気にもしていない)。なぜ人間は華やかな衣装に身を包み、少しでも社会に合わない格好、時代に合わない格好を恐れ、合っていない格好をしている人が町にいたら嘲笑の対象にするのか。
 人工の町はどこまでも広がり、道路はきちんと整備され、街灯が夜の町を照らし、空を見上げても星が見えないくらいに明るくなり、自然といえば道の端に点々と添えるように常緑樹が立てられているだけ(しかもこの樹木は電線と絡むので、定期的にカットされる。両立しないものが、同じ場所に立ってしまっている)。そういった町が今や世界の隅々にまで広がっている。
 なぜそういった世界を作るのかといえば、繰り返しになるが人間は自分の意識を外部化し、時としてそれが自己実現の手段にする、かなり特殊な生き物であるからだ。“街”とはなんであるかというと、単に道が作られ、家が建てられている場所を指すのではなく、人間の意識を具現化させた場所を街と呼ぶ。人間が脳の中で夢想したもの、想像したものを具現化したものを“街”と呼んでいる。“街”とは虚構を具現化させたもののことで、人間はその中でしか生きることができないし、その中にいないと不安を感じて生きていくことができないのだ。
 そのために人間は森を、自然を破壊し続ける。自然を破壊し、破壊し尽くしても手を止めることができないのだ。

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 かつて人間も森で過ごしていた頃があった。森を側にして生活している時代があった。その時代の人間は常に不安を感じていた。森という人間が管理できない世界の向こうに、何があるのか。森の暗がりの向こうに何が潜んでいるのか……。だから人は森を恐れ、恐れるからこそ森を神として敬っていた。
 科学文明はその生活を根底から変えてしまった。森を破壊し、自然を遠ざけ、文明を地球の隅々まで広げていった。それができるなら、せずにはいられない。人間の本能のようなものだ。
 今や人は森に神がいたなんて信じていない。誰一人。そういうのはオカルトの世界だ。だが恐れだけは薄らぼんやりと残っている。だからこそ“森の向こう”という不可解な闇を徹底的に取り払おうとする。科学がそれができるようにしたからだ。人間はその恐れの根源を自覚することなく、「それはオカルトに過ぎない」と言いつつ、恐れの根源を取り除こうと行動をする。
 街の中でなんだかわからない人、不審な人を見かけた瞬間、人々は“森の向こう”の感覚にふっと揺り戻される。だからこそ不審者に不安を感じる。街も人間も、全て管理されている状態こそが、人間にとっての理想なのだ。
 森で暮らしていた時代の不安は、遠い昔の、原始人時代の話ではない。現代人の精神はその時代から地続きで繋がっている。だから今でも執拗に道を拡張し、家を建てて、街を膨張させ続けている。
 人はなんだかわからないものを恐れる。知らないものを恐れる。だから徹底して管理した世界――街を作り出す。自然を排除するために、街から暗部を取り除こうとする。コミュニティの中によくわからない人がいたら取り除こうとするし、あまりにも異端や新しすぎるものもやはり取り除こうとする。ほとんどの人が“平凡なもの”を好むのはこういう理由だ。

 それで人間は満足したのかというと、決してそうではない。なぜなら人間は自身の成熟のために“自己実現”を達成せねばならず、その“自己実現”がなんであるかというと、自身の脳内にある意識、イメージを現実世界に具現化することを言う。街という絶対管理された世界にいて満足できるか、というとそういうわけにはいかず、“自分”という刻印がそこになければならないのだ(これが今回のテーマの中では一番大きいかも知れない)。
 人は自身の内面世界にあるものを何かしらで形にして、そのものに囲まれていないと満たされない、精神の安寧を得ることができない。そのための努力を人は惜しまない。ほとんどの人の一生はそのためにあると言ってもいい。
 このために自然の徹底した破壊を厭わず、島に残っている最後の1本まで木を切り倒してしまう。自然やそこから得られる恵み以上に、自分の居場所を作ることのほうが優先順位が上なのだ。このためなら、自然をいくら破壊しても、危機意識を持っていても、破壊したいという衝動を抑えることができなくなる。イースター島の人たちは、きっとその木が「最後の1本」と自覚していたはずだ。しかし切り倒してしまった。想像に過ぎない話だが、自己実現を優先したからではないか。
 私だってこういう話をしながら、高額なパソコンをつい先日購入したばかりだ。なぜそんなものを買ったかというと、このパソコンで自己実現したいと思ったからだ。他に理由があるとすると、パソコンがないと現代社会において何一つ自己の有り様を示すことができないからだ――つまり“存在しない人”になってしまう。その恐れがあったからだ。

 現代においてこの行動の何が怖いかというと「破壊」の意識を持たずに実行できてしまうことだ。破壊の実態が見えなくなってしまうから怖い。都会人は何の気もなしに、欲しいものを得るために気軽に自然破壊をオーダーする。
 どんな人も固有の“自分の居場所”を求めるから家を求める。汚部屋と言われる部屋の住人も、ある意味でそれがその人間の心象世界の具現化だから、おそらくは居心地の良さをそこに感じているのかも知れない。
 特に“アーティスト”と呼ばれる人は、これが極端な形で出てくる。例えばイギリスの巨匠リドリー・スコットは豪邸に住んでいるが、靴跡や泥を持ち込むのを嫌って屋敷内は土足禁止だし、家のドアはほとんどが真鍮や金でできているが指紋跡が付かないようにハウスキーパーにきっちり磨くように厳命している。リドリー・スコット当人は超忙しい人なので月に2、3度しかこの豪邸に帰ってこないが、帰ってきたとき何をしているかというと、ひたすら庭掃除だという(この掃除というのがまた完璧なものだという)。
 リドリー・スコットはそれでも満足いかないらしく、家の前の通りも自分好みに変えられないだろうか、と日頃から言っているそうだ。世界的アーティストとなると背負っている業もなかなか深いようである。
 世の中にははっきり2種類の人間がいる。ただ働いてお金を得るだけで充分という人と、「どんな仕事をしているか」ということ自体にこだわるタイプの人だ。後者のタイプはお金をいくらもらえるか、という価値基準を持たず、仕事の内容そのもののほうにこだわりを持つ。なぜならそこに自己実現のテーマが置かれているからだ。そのこだわりが強い人ほど、破壊よりも自身の手先から創造されるものに意味を持たせようとする。おそらくこういうタイプほど、容赦のない破壊を実行していくことだろう。

 話は『あつまれどうぶつの森』に戻ってくる。
 『あつまれどうぶつの森』は島の中身を細かく整理することができるようになった。住民の家の場所や、施設の位置。橋や坂道の場所、木が立っている場所、これまでのシリーズでできなかったこと、本当はやりたいと思っていたこと、のほとんどができるようになった。
 そうするとほとんどのプレイヤーは自分の納得がいくように、好みに合うようにひたすらカスタマイズを続ける。そのためには別の島での破壊もいとわない。徹底して微調整を繰り返し続ける。なぜならそれが人間の本性のようなものだからだ。
 『どうぶつの森』に限らず、『マインクラフト』や『ドラクエビルダーズ』のようなゲームが「箱庭療法」的なゲームと呼ばれる理由は、ここにある。現実で実現し得ない自己実現を、デジタル上で可能にするからだ。
 人はなぜ精神を不安定にさせるかというと、現実の状況や現実の風景が自身の体内にある心象風景と乖離しているからであって、さらにイメージを現実世界に具現化するのは困難な状況に陥っているとき、『どうぶつの森』のようなデジタルゲーム上で自身の心象イメージをその中に作り出そうとする。もちろん仮想世界での話なので真の意味で精神は解放されないが、それなりの効果はある。どんな精神科医だってこれは認めるはずだ。

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 同じような性質は『マインクラフト』や『ドラクエビルダーズ』やそのほかのゲームにも指摘できることだが、『あつまれどうぶつの森』一つだけ特殊なポイントがある。それは主人公だけが「人間」であることだ。
 『どうぶつの森』はそのタイトル通り、村の住人達というのは動物たちだ。その中で主人公だけが、ゲームの外から招かれた客人(まれびと)、人間である。ゲーム中の動物たちとははっきりと違う人種だ。だからこのゲームの中で人間だけが島の環境に手を加え、その意に沿うように改変され続ける。
 一方の動物たちはどうしているかというと、ただただ気ままに過ごしているだけだ。虫を追いかけたり、水場に釣り竿を垂らしていたり。島に置いてあるものを珍しそうに見たり、時々弄ったり……。そう、島でのスローライフを営んでいるのは、彼ら動物たちである。動物たちはそこにあるものを受け入れて、本当の意味で気ままな暮らしをしているのだ。
 この中で人間だけがあくせくと働いて、ベルを稼いで、家を大きくして、施設を建てて、島環境を変えるためありとあらゆる手を尽くして奔走している。島住人の動物たちは移転を命じられたら唯諾々と従って動いてくれる。なぜ人間だけがそんなことをするのかというと、人間だからだ。『どうぶつの森』の中で人間だけが自己実現に向けて、自身の内面イメージを具現化しようと努力し邁進し続けるのだ。
 そうするのは人間の本質的性格……自身の内的イメージを具体的な形にしたいという欲求があるからだ。その形というのは多くの場合は家や街の形である。芸術家になると、“作品”という形の中で現れる。この具現化のためならあらゆる現実の破壊も厭わない。人間はどんなリスクを冒してでも創造したいという欲求を止めることができない。それを具体化できる場所があるからこそ、私たちは『どうぶつの森』のようなゲームを求めるのだ。




 話は終わりだが、少し余談。
 こうすると一つ疑念がわいてくる。なぜ動物たちの村の中で、主人公だけが人間なのか?
 それはもしかすると、人間が“働く生き物”だからじゃないだろうか。
 動物たちは働かない。自己実現に向けて何かしようという活動を行わない。その意思や、そうしなければならない動機が彼らにはない。動物たちは気ままに、そこにあるものでゆったりと過ごしているだけ。猫と暮らしている人はそうだと納得してくれるだろう。
 しかしそれでは生活は良くならない。だから主人公である人間がコミュニティに招聘される。
 3DS『とびだせどうぶつの森』の時、電車から降りると村人たちが主人公を歓迎してくれる――村長として。どうやら別の人が村長になるはずだったが、いきなり行方不明になったらしく、主人公が代理で村を治めるようになった。
 どうにもうまく乗せられたな、という気がする。というのも村長は動物……亀の老人であってはならないのだ。亀の老人が村長であるうちは村環境が劇的に変わることはない。人間でなければ目的を持って村を変えようという意識を持たないからだ。だからそのために、人間を村長の座に据えた。
 ……と、いう気がしている。

 『あつまれどうぶつの森』は化けタヌキにまんまと騙されて荒涼とした無人島に連れてこられて、いつの間にか島開拓を一手に任され、気付けば一生懸命になって島改造に奔走している私たちがいる。動物たちは何にも手伝ってくれない。タヌキは他の動物にも声をかけたみたいな話をしているが、明らかに主人公にのみ様々なものを託している。
 人間を無人島に連れてこれば、そのうちに島を立派な街に変えてくれる……という算段があったのではないか。そしてタヌキの予想したとおりに、ほぼ手つかずだった無人道は、1、2ヶ月の間に整理された街になっている。
 あのタヌキや亀の老人は人間が管理された街を作りだがる本性を知っているからこそ、この世界観の中に招いたのではないか。ああ、もしかしたらこれは「異世界召喚物語」だったのかも知れない。そういう話だったとしても、案外おもしろいかも知れない。

 というわけで突然の結論。
 『どうぶつの森』は実は「異世界召喚」された人間が動物たちと過ごす物語だった……ということで。  いや、ひょっとすると取り替えっ子の誘拐話なのかもね。

 余談のせいで違う出口に出ちゃったよ。

 本編どうぶつの森日記でも書いたけど、次が最終回です。最終回は長いコラムもありません。


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