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3月28日 日本人のアニメの見方の特殊性とは? 3コマ打ちは「記憶」で見ている

 ちょっと面白い話を見付けたので引用。

1秒間に24フレームのコマを1コマずつ作画する1コマ打ちと、3コマで1枚にする3コマ打ちの映像とでは、脳で処理している場所が違うという研究があることを紹介した。1コマ打ちは動きを認識する場所、3コマ打ちは記憶を司る場所で処理しており、それぞれの作品に触れた経験の違いから、日本で発達した3コマ打ちのアニメーションが、ディズニー作品のような1コマ打ちを見慣れた海外で当初は奇異に受け止められたようだ。

 あっ、これは面白い話。短い要約ではなく、もっとしっかり聞きたかった。

 私たち現実世界の人間は、かなり「無駄な動き」を普段からやっている。
 例えば目の前にあるものを手に取ろうとするとき、視線は常にそこを見ているわけではなく、別のところを見ていたりするし、物を取ろうとした手が微妙にずれていたりする。
 どうやったらそれがわかるのか……というと、普段見ているバラエティ番組をスローで見てみよう。するとタレントさんはいつも真っ直ぐ相手を見て話しているわけではない。視線が完全に一定ではないし、動き方も一つの意思を持ってスッと動いているわけではない。微妙に躊躇ったり、考えている「間」が瞬間瞬間にあったりする。
 ところが私たちはこういう微妙な動きの「ブレ」を頭の中から排除している。実際の人間が普段なにげなくやっている動きの「ブレ」を頭の中から排除している。

 こちらは2013年にテレビ放送されたアニメ『悪の華』。この作品のユニークなところは、一度実写撮影し、その後、手書きでアニメに描き起こしていること。いわゆるロトスコープ作品。といってもフルコマで再現したのではなく、リミテッドアニメ。ロトスコープの作品を真っ正直に作ると大変だから、色んなところでダウンスケールが図られている。
 このアニメの第1話冒頭シーン。主人公の少年が歩いている姿が描かれているのだけど、視線があちこちにブレるし、歩いている姿勢も左右にゆらゆら揺れる。これが現実の私たちが普段やっていること。しかし私たちは意識の中から視線がブレていたり、姿勢が揺れている……というところを排除してしまっている。
 でもこうやってアニメに置き換えると、そういう実写でやると認識から排除してしまうような視線のブレや姿勢の揺れ方が気になってしまう。どうしてそうなるのかというと、これが「アニメの力」。というか、「絵の力」。絵は普段私たちが認識から落としてしまっているものを改めて再認識させる力を持っている。アニメにすると、普段私たちが認識の外に追いやっている「動き」を再認識させる。これが絵が持っている力だといえる。

 さて、片渕須直監督の話。興味深いのは3コマ打ちのアニメは「記憶を司る場所で処理される」という話。あ、これは確かに……といえる話。
 というのも、3コマ打ちアニメは、動きの「シンボル的」な部分のみを抽出して表現される。3コマ打ちアニメ、つまりリミテッドアニメの動きって、実は“繋がって”いない。微妙なところでポンポンと飛んでいる。リミテッドアニメのキャラクターは視線をブレさせたり、姿勢をゆらゆらさせたりしない。その動きのシンボル的なものだけが抽出されている。でもそういったものでも、動きが繋がっているように見える。それは私たちの脳のほうが補完して見てしまうからだそう。
 私たちがアニメを見たりするとき、記憶から引き出してアニメを補完しながら見ている。作る時も同じように、記憶を刺激するように作られている。
 日本のアニメはなにもかも「シンボル」で考えるから、リアルな方向性から外れたキャラクターが生み出される。

 私が「漫画的な手法」の説明の時によく引用するのが『実況パワフルプロ野球』。
 『実況パワフルプロ野球』のキャラクターは見るからにリアルではない。なにしろ胴体と手、足が分離してしまっている。ところがこのゲーム、やってみると「あ、リアルだな……」と思わせる瞬間があったりする。実際の選手がやっている癖のようなものが再現しているのを見ると、妙にリアルというか生々しさを感じたりする。下手にリアリティを追求したグラフィックよりも、こういうスタイルのグラフィックの方が「うわっ」と思う瞬間があったりする。
 なぜかというと、私たちの記憶を刺激しているから。現実で見ている記憶を刺激するから、その瞬間「アッ」と思う。

 さて、アメリカのアニメはフルアニメが基本となっている。アメリカ人は特に「口の動き」を重視する文化で、「口の動き」と「声」がズレていると気になって仕方ないという。
 一方の日本のアニメは、口の動きは基本3パターンのみ。しかもその3パターンも声優の声とぴったりとシンクロしているかというと、そうではない。よーく見ていると、口の動きと演技のタイミングがズレている……というのはよくある。中には「口さえ動いていれば、アドリブを入れまくる声優」もいる。口の動きと声をシンクロさせることは日本ではそこまで重要ではない。日本人は長らく「記憶」と「想像力」で間を埋める……ということをやっていて、その感性が発達していた。
 アメリカ発のフルコマアニメはそういう「記憶」や「想像力」で埋める……ということではなく、動きそのものを重要視していた。だから「口パクと声がずれている」……日本のアニメを見たとき、このことに違和感を憶えるんだそう。
 欧米の人々はアニメを見るとき、記憶を補完しながら見る……ということができない。あるいは、そういう訓練を見ながらやらなくてはならない。

 『Splatoon』のある場面。『Splatoon』は動きはフルコマだけど、口パクだけを見ると実は3コマ打ち。しかも口のパターンは3つのみ。口の動きだけが日本のアニメみたいにパクパクと動いていた。
 どうしてこんな動き方をするのだろうか……と最初は不思議だったけど、3コマ打ちの動きだったら、いかように解釈ができる……ということに気付いた。この場面、テンタクルズの二人はいろんな対話をするのだけど、完全にリップシンクロさせていたら、話している内容に合わせて口パクもピッタリ合わさなくてはならなくなる。しかし3コマ打ちだと、合わせる必要がなくなり、見ている人は想像で口の動きを補って見るようになる。任天堂のアニメーターはそういうアニメの性質を知っていたと考えられる。
 ちなみに2019年幕張メッセで開催された闘会議テンタクルズライブでは口の動きはフルコマでリップシンクロもしていた。

 日本人が作るアートは全てにおいて「見立て」の美。漫画やアニメだけではなく、枯山水、折り紙……みんな見立て。それそのものを描くのではなく、見立てを提示して相手の記憶を刺激する。
 これはつまり、現実の現象を見ている時に、脳内で見ているイメージを再現している……ということでもある。現実の現象はもっと「余計な物」が一杯ある。歩いている時なら視線がブレるし、姿勢がゆらゆら揺れる。そういう無意識が削ぎ落としている余計な物は表現しない。「脳で見ている物」を再現している。

 『化物語』シリーズのとある場面。女性の掌にうっすらと血管が描かれている。絵そのものは見立ての美、無意識が削ぎ落としている画面を再現しているが、そこに一つ現実を感じさせるものを入れる。この瞬間、「あ、リアルだ」と感じさせられる。『実況パワフルプロ野球』の映像でふとした瞬間「あ、リアルだ」と感じさせられるのと同じ原理。

こんな女の子が怪人と戦えるのはなぜ??

 他にもイメージの見方、読み方も日本と欧米とで違っていた。
 日本では子供みたいな顔をしたヒーローがスーパーパワーで敵を戦っていく……というシリアスストーリーが一杯ある。これが欧米では奇異に映るのだという。見た目のイメージと実際が違う……というのは日本では昔からよくあること。武道の世界でも合気道なんてものがあって、小柄の人が巨漢を倒す……ということに日本人は慣れている。ところが欧米ではそういう意識がない。「パワーを持っている人」は「マッチョであるべきだ」というのが前提だ。アメコミ映画とか見ると、わかるでしょ。
 日本でよくある、子供みたいな顔をしたヒーローがスーパーパワーで敵を倒していく……というお話しを欧米の人にいきなり見せると、まず「そういうギャグ」だと認識され、笑われる。欧米だと、そういう物語はギャグしかない。
 でもよくよく見るとギャグじゃないぞ……なんだこれは? というところから始まり、時間をかけて順応し、シリアスなストーリーだと理解していく。欧米の人々がアニメを理解するとき、毎回このプロセスが必要になるのだという。
(最近はアニメもだいぶ浸透したから、もう慣れてくれたかな)
 日本では「見た目のイメージ」と「実際」にギャップを持たせることはよくある手法。見た目通りだと面白くない……とすら考えられている。しかし欧米は「見た目のイメージ」と「実際」は常に一致させねばならない。一致させないと「あれ? なんだこれ」となってしまう。この相反するイメージと本質が一致している……ということを想像力で埋めることができない。想像力で埋めることが難しい。

 今月のはじめ、「抽象化された表現とはなにか?」という記事を書いたけれども、抽象化された表現……というものはある程度訓練しないと理解することができない。3コマ撮りのアニメは私たち日本人は当たり前のものとして、すでに抽象化された表現を解読する訓練が身についている。しかしこれがどの国に持っていっても、大人が理解できるか……というとなかなか理解するまで難しい……ということは了解しておいたほうが良い。子供であればスッと理解できるので、大人がダメなら子供から……という「売る場合の戦略」もあるかもしれない。

 アニメはどこの国に持っていっても一緒……ではなく、国によってものの見方、考え方が違っていて、その認識が作品の中に反映されている。日本のアニメがどうしてあんな見た目をしているのかというと、それが日本人の性質だから。そういう視点で物事を見てもきっと楽しいだろう。


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