見出し画像

3月23日 未来では人間の『動作』をデータ化してダウンロードできるようです。

 YouTubeを見ていると、やたらとこの宣伝が入ってくるので、珍しく気になって観てみた。

 2030年に向けて6G研究が始まっている、という話は前にもした。6G時代に入ると、1秒あたり1テラの情報のやり取りができて、しかもそのタイムラグは1ms。人間の身体感覚よりも早く、脳神経スピードよりも速く、大容量データのやり取りができる。人間が何かを考えるよりもAIが素早く思考し、答えを提示することすらできてしまう。この圧倒的なデータ送信技術を利用して、人間の「身体感覚」を情報として保管し、自由にダウンロードできる仕組みを作ろう……というのがこの技術研究の趣旨なんだそう。
 広告映像ではプロのピアニストの指の動きをダウンロードし、ピアノ経験のない人に演奏させる……というような映像が紹介されている。あの映像はあくまでも「イメージ」で、現時点の技術ではあそこまでできないんだそうだ。
 もしもこの技術が可能なら……映画『マトリックス』でヘリコプターの操縦する前に、電話で操縦方法そのものを脳にダウンロードし、その直後には操縦できるようになっている……というシーンがある。あれが現実にできてしまう、ということだ。
 なんというか、もはや現在がSFの世界に足を突っ込んでるんだなぁ……としみじみ思うような話でもある。

 この技術研究そのものは非常に有用で、例えば「鉄棒の逆上がり」とか、この仕組みでネット上から動作をスッとダウンロードさせて習得させれば……みたいな使い方もできる。泳ぎが全くできない人に泳ぎを習得させる……みたいなことも、この仕組みでできてしまう。
 人間は自分の身体感覚が希薄な生き物で、普段から自分がどういうふうに歩いているか、どんなふうに体を動かして走っているか、という自己認識が薄い。手足の動きはある種「自動化」していて、歩く時でも自分がどうやって足を繰り出し、体重移動しているのか、そういうことに関する認識が薄いし、その時に身体にかかっている負荷もほとんど認識しない。「足の小指をどこかにぶつけることがある」というのは、足の小指になると意識の末端すぎて、意識がそこに向いてないから。すべてにおいて「なんとなく」で体を動かしているのが人間。だから自分がおかしな動作をしていても、他人に指摘されるまでまったく気がつかない。
 「鉄棒の逆上がり」は子供にとって難関だけど、なぜ難関なのかというと、日常的な動きの中に「鉄棒の逆上がり」なんて動作はないから。日常しないような動きをするから、できるようになるまでやたらと時間が掛かる。逆に言えば、私たちは「わかりやすい」動きでしか日常を生きていない、ということでもあるが。
 一般的に「運動神経が良い」と言われる人は、体力がある人ではなく、「身体感覚が優れている」と解釈できる。さっきも書いたように、人間は自身の身体感覚が希薄な生き物なので、普段から自分がどのように動いているのか、という認識がほとんどない。でも中には「この時、手がこうなって、足がこうなって……」と頭の中のイメージと身体の動きを一致させられる人がいる。こういう人はだいたい思った通りの動きができる。
 すごい人になると、体中の筋肉一つ一つの動きどころか、内臓の動きまで認識して動けるようになるという。ダンサーやっている人の中に、こういう人はいるらしい。こういう人になると、どんな複雑な動作でもスッとできるんでしょう。
 私も子供の頃は鉄棒の逆上がりができるようになるまで、何百回もトライして、ある時やっとできるようになったけれども、これは「練習の末」という感じではなく、ある時「体の使い方」がわかるようになったから。
 普段しないような動きをしなければならないから、何百回もの練習が必要になってくるのだけど、でももともと身体の使い方がわかっていたら、この練習に使う意味はあったのだろうか……という考えにもなってくる。身体の使い方がわかっていれば、鉄棒の逆上がりなんてものは、数回のトライでパッとできるようになるはず。

 私は中学生の後半あたりから、急に体育の成績がよくなる瞬間があったが、それは「体力がついたから」ではなく、身体の使い方がある時フッとわかったから。私は普段から運動なんて何もしない。でも、「あ、こう動けばいいのか」というのがわかった。わかってしまえば、どんな動きもスッと機敏に動けるようになる。
(ただし、「個人競技に限る」だけど。集団競技はまるっきりダメだった)
 こういうのは「体力がつく」とか「筋力がつく」とか別な要件で、「気付くかどうか」。
 学校の体育の時間で身体感覚に気付けるような指導をしているかというと、誰もしていない。身体感覚について誰も理論体系化していないし、それを教える手法が確立していないからだね。まず「体力」と「筋力」と「運動能力」をすべてゴチャゴチャにしている時点でダメ。そもそも人間は自分の身体感覚が希薄……ということすら共有認識になっていないし。「脳」と「身体」が繋がってない、という人は普遍的に多い。

 「頭でわかっているけれど、その通りに動けない」というのは「理解していないから」。そういうのは「わかっている」とは言わない。「頭で理解する」と「体で理解する」ははっきり意味が違う。
 宮本武蔵の『五輪書』を読んだところでいきなり剣の達人になれるか……というとなれるわけがない。というか、「身体感覚」というのは文章で理論体系化がほぼできないし、ビデオに残してもうまくいかない。人間は自分の身体感覚がもっとも希薄なので、いくら理論を頭に詰め込んだところで、それを身体での再現がほぼできない。「頭」と「体」は別のもの。『五輪書』を書いた宮本武蔵も、文章としては書いたけれども、自分の理論が後世に残ることはない……ということには気付いていたでしょう。繰り返すが、「頭で理解する」と「体で理解する」はまるっきり意味が違うものだ。
(武術に限らず、いわゆる「無形文化」と呼ばれるすべての物は後世に残らない)
 逆に言えば、この理解ができていれば、鉄棒の逆上がりも水泳も器械体操もスッとできるはず。体力や筋力は絶対に必要ではない。……という、これも「理論上は」というやつだけど。
(「頭」と「体」が別……という考えは西洋ではほとんど理解できないらしい。「頭で考えたことと現実はまったく別」……つまり「シミュレーション」と「現実」はまったくの別モノ、ということを欧米の人は理解できないらしい。なぜなら頭で考えたことが全部だという思想があるからだそうだ。「理性」の世界はそうなるらしい。現代日本人も「頭で考えたことが全て」という意識の人はだいぶ多いかと思うが)

 こうした「動作(スキル)」をデータとしてどこかに貯めておいて、必要になった時ダウンロードして教える……なんてことができたら、人類史上の快挙ともいえる(ノーベル賞確定ものでしょう)。これまで「身体感覚を教えることはできない」と言われてきたものが、まさにできてしまうわけだから。
 ダンスも、ダンスの先生に振り付けを作ってもらって、それをダウンロードして同じように踊れたりもできるわけだし。絵描きも、絵の上手い人に絵を描いてもらって、その手の動きをダウンロードして、これを絵描きの基礎勉強とすることもできる。
 理想を言えば、こういうデータを貯めて子供にダウンロードする場は「学校教育」であってほしい。一般人がやってもいいかも知れないが、子供に対しては「何を教えるか」「何を習得させるか」は重要なことなので、この仕組みは学校でまずきちんと管理すべきだ。変なスキルを憶えさせてしまう……という事故を防ぐ為にも、きちんと管理させておくべきだろう(世の中には「人を殺す方法・スキル」を拡散しようとする人もいるわけだし)。
 これができれば、いわゆる「運動音痴」の子供はいなくなる。私の経験からいって、運動音痴かどうかというのは身体感覚への理解がどの程度あるかの話。「体力」や「筋力」は別の話。運動量が多ければ多いほどいいというわけではない。「勘の良さ」が一番大事だ。だがその「勘」は教えることが絶対にできない。教えられないから、鉄棒の逆上がりで苦戦する子供が出現する。
 教育でまず基礎となる動きをダウンロードさせて教えて、そこからどう発展させられるかは「体力」や「センス」の話になってくる。サッカーの基礎動作をダウンロードさせて習得させても、それで試合に勝てるかどうかは「団結力」と「センス」の問題(あと「作戦」)。
 ただ、そういう仕組みを政治家のお爺ちゃんたちが理解して、教育の現場に取り入れられるようになるまでどれだけ時間が掛かるやら……。技術はあっても、活かす「頭脳」がない。私が生きているうちは無理かもね。

 ではそういう様々な動作(スキル)を身につけることにどんな意味があるのか? 「いざ」という時に役に立つ。いざというとき、というのは事故に遭遇したり、災害に遭遇したり、と言う時だ。
「そんなもん、いつなんだよ」
 と思われるが、そういうものは突発的に起きる。いつでも備えておいて損はしない。備えておかないと後悔する。
 野球選手の……選手の名前を忘れちゃったけれど、とある投手がボールを投げた直後、バッターが撃ち返してきた……ということがあった。バッターで撃ち返したボールは、自分が投げたボールよりもはるかに速い。直撃を喰らったらそれだけで大事故だ。
 そのとき投手はとっさに身を逸らしてボールをよけた。この投手、実は武道をやっていて、とっさに武道の動きが出たのだ。

 文明人の暮らしというのは、驚くほど平坦でつまらないものだ。変わった動きなんてものをほとんどしない。立つ・座る・歩く・走る……これくらいの動作の組み合わせでほとんどの日常を生きている。
 人類は自堕落な生き物なので、必要がなかったら何もやりたがらない。だから「鉄棒の逆上がり」みたいな単純な動作すら、「やってみろ」と強制されるまでやろうともしない。鉄棒の逆上がりどころか、日常からほんの少しでもはみ出すと何もできない。現代文明人はビックリするほどまともな動きができない人達である。
 私の経験で言うが、子供のほとんどは立つ・座る・歩く・走るくらいの動作しかできない。現代ではこれを越える動作をする必要がほとんどないし、子供はとくかくも自堕落な生き物なので、やりたくないことは(必要であっても)絶対にやりたがらない。子供が自分からやるなんてことは絶対にないから、教育の場で強制的にやらせる必要がある。
 人生が終わるまでこの日常から出ません……というなら、立つ・座る・歩く・走るだけの動作で一生を過ごしてもいいだろう。だが現実はそういうわけにはいかない。あらゆる局面で日常を踏み越えた動作が必要になってくる。
 例えば山に行って、キャンプをしよう、ということになった。でも「私は立つ・座る・歩くくらいの動作しかできません」……となったらどうなる? 遭難して飢えるだけだ。
 あらゆる動作はできたほうが良く、あらゆる基礎的な動作が体に染みついていたら、「いざ」という時にそれを応用して動ける。だからこそ、スキルは身につけておいて損はないのである。

 動作(スキル)をネット上から好きなようにダウンロードして習得できる……という時代が来た時、一つ懸念として、「勘違いする若者」が増えてしまうことだ。
 若いうちによくあることだけど、自分の身体感覚がどの程度のものかよくわかっていない。何度も書いてきたけれども、人間は自分の身体感覚について希薄だ。自分自身の身体感覚以上の能力を持っていると思い込んでいる人々を、私は「身の程知らず」と呼んでいる。
(……私も若い時は「身の程知らず」だった……。恥ずかしい)
 手軽にスキルを習得できる分、そこで「自分は何でもできる」という全能感を持ってしまうのではないだろうか。すごいのは飽くまでもそのスキルを習得させる技術そのもののほうで、自分はただの「器」でしかない。その器は空っぽかもしれない。
 スキル獲得があまりにも簡単になってしまうと、まず「自分は空っぽかもしれない」ということにすら気付かなくなってしまうんじゃないか。このことに気付かず、身の程をわきまえない「中二病」で溢れかえる未来……とか考えると……うわぁー恥ずかしい!

 こういう人間の動作をデータにして送信することができるばかりではなく、双方向にもできる……なんて話を聞くと……あとはやっぱりえっちぃ使い方について考えちゃう。
 リモートセックスとか、できちゃうんじゃない? もしできれば、AV界に革命が起きるよ! VRゴーグルとリモートセックス機械を整えて、本当にAV女優とエッチするとか! ああ、夢が広がる。
 冗談っぽく聞こえるけど、エロは最大の動機になりうる。エロ目的なら、大抵の人は万難を排してでも手にしたいって思うものだから。真面目に「教育が~」とか言うよりも、「エロ目的です!」と言ったほうが、注目する人は多かろう。「普及させる」ことも考えるとね、よりエロは切っ掛けにしやすい。

 ただ、そういう時代が来た時の「人間とは?」とかも考え始めてしまう。人間の思考よりも大きなデータを瞬時にやり取りができてしまう。情報だけではなく、動作もデータとして送れてしまう。
 人間って変な生き物で、何度も書くが身体感覚がやたらと希薄な生き物なんだ。ほとんど「思考」のみで生きていると言ってもいいくらい。体は空っぽ。でもデジタルデータがその人間を越えてしまう。人間以上の物がデジタル上に出現してしまう。
 そういう時、そこまでして人間にこだわる必要は? 個人にこだわる必要は? 天才的なクリエイターならいいよ。でも一般人はどうなる? 一般人は何のために生きているってことになる? この社会(システム)の中で、存在している理由を喪ってしまう。そこでアイデンティティの危機は起こりはしないだろうか?
 一般人の考えそうなこと以上に、AIのほうが遙かに大きなデータを相手にした回答を出してくれる。ほとんどの事務仕事はもういらなくなる。素人が頑張って会議するよりもAIに任せた方がよい。それじゃ「人間いらなくないか」……となった時、あるいはそういう事態に直面した時、ほとんどの人はどのように反応するのか。
 こういう時、人間は現代以上に自身を希薄に感じるんじゃないだろうか? そうした懸念もちらと頭にかすめる。
 いや、もっと恐ろしい未来……それは、“そもそもそういうことすら考えるだけの知能を喪ってしまう”という未来だ。SF映画『26世紀青年』で描かれたような未来が本当に来るかも?
 エロいことと懸念が頭の中をチラチラと……。ああ、もうエロいことを中心に考えようっと。


とらつぐみのnoteはすべて無料で公開しています。 しかし活動を続けていくためには皆様の支援が必要です。どうか支援をお願いします。