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映画感想 スノーホワイト 氷の女王(2016)

 いつの間にかNetflixのマイリストにあった作品。

 今回視聴映画『スノーホワイト 氷の王国』は自分でマイリストに入れたんだと思うが、Netflixは予告なくリストから削除し、予告なくリストを復活させ、しかもマイリストの中身を毎回シャッフルさせるものだから、時々なんだかわからなくなる。なんか消えている気がする、なんか増えた気がする……というのがよくある。それである日、Netflixのマイリストを見たら、この作品があった。
 マイリストに入っていた……ということは自分で入れたのは間違いないけど……いつだ? というか、どういう映画だ? この映画をマイリストに入れた時の自分の気持ちがわからない。
 とりあえず、本作『スノーホワイト』の概要を見ていこう。
 2016年公開されたイギリス・アメリカ合作映画で、『スノーホワイト』という前作があった。『白雪姫』を元ネタにした作品だったらしく、古典的な童話をもしも2000年代行に流行したファンタジー映画の文法で制作したらどうなるか……というコンセプトの作品だったらしい。
 あー…あったなぁ、そういうの。確かに一時流行ってた。
 私はいきなりその続編を見てしまっていたようだ。
 制作費は1億1500万ドルに対し、興行収入は1億6400万ドル。ギリ黒字に見えるが、広告費や配給会社への分配を考えると赤字だっただろう。映画批評集積サイトRotten Tomatoesによると批評家支持率19%、平均点は10点満点中4.3。「作る必要のなかった続編」と評されている。
 ちなみに前作『スノーホワイト』もさほど評価は高くなく、第33回ゴールデンラズベリー賞最低主演女優賞を獲得している。ただし興行的には大成功を収めていた。

 ではあまり気乗りがしないが、前半のストーリーを見てみよう。


 その国には邪悪な女王ラヴェンナと呼ばれる悪女がいた。ラヴェンナは魔法を駆使し、周辺国の王たちを殺し、その領土を自分のものとしていた。ラヴェンナには心優しき妹姫のフレイヤがいた。フレイヤも魔法使いだが、いまだにその能力が目覚める気配はなかった……。
 そんなフレイヤも間もなく恋をする。若き公爵の愛を受けて、子供を身ごもるが、その公爵には許嫁がいた。フレイヤの恋は実らないもの――しかしやがてフレイヤの思いが叶う。公爵から手紙が届き、密かに会い、出奔しよう、そして新天地で自分たちの王国を作ろう……という誘いだった。
 しかしそれは嘘で、公爵はフレイヤが子供から離れた隙に、子供を殺してしまうのだった。
 フレイヤはその時の怒りで魔力に目覚め、公爵を殺害する。
 フレイヤは生まれ育った国を去ると、自分の王国を築いた。何もかもを氷で閉ざした不毛の王国だ。そして近隣の村を襲っては子供たちを誘拐して帰り、兵士として鍛え上げ、その兵力を持って別の国を侵略する……という行動を繰り返した。
 間もなくその兵士の中でも強力な一組の男女が現れる。エリックとサラだった。
 兵士達の中でも特別な才能を持った二人は、やがて惹かれ合い、恋仲となる。
 そのエリックとサラの関係を、フレイヤは許さなかった。兵士達を動員しエリックとサラを襲わせ、負傷させた上で追放するのだった。


 ここまでのお話しで25分。

 あー……確かに面白くないな……。冒頭30分からすでに面白くない。こうも面白くないと、何から語ればいいのか。

 とりあえず、このお話しは女王フレイヤを巡るお話しである。フレイヤはとある公爵と恋愛をしていて、密かに子供を出産していた。しかし公爵はフレイヤを裏切ってしまう。(というか、この公爵には許嫁がいたわけで、不倫、あるいは略奪恋愛だった……という時点でオイオイって感じ)
 それから10数年が経ち、兵士達のなかでエリックとサラという二人が現れる。
 そんなエリックとサラを前にして、女王フレイヤは一度視線を落とし、こう言う。
「出て行きたいの? では行きなさい。それができるなら見逃してやろう。難しいことではない。“愛は全てに打ち勝つ”。そうでしょ?」
 こういう台詞を「悪女」を演じながら言うときは普通は貫禄たっぷりに言い放つものだけど、女王フレイヤはまるで迫力がなく、どこか「迷っている」ふうに見えるような演技で言う。
 はて、このヘンな迷いはなんだろうか……。ああ、そうか、「願望」を言っているのか。表面的にはエリックとサラを処刑しようとしているけど、二人が試練を乗り越え、再会することを期待しているんだ。自分があの時、公爵とできなかったことをやり遂げてくれることを期待している。女王フレイヤは「悪女」としての自分と、「心優しき女王」としての自分とで分裂している。表面的には悪女として振る舞うけれど、もう一方でエリックとサラに期待を込めて送り出している。
 その後はエリックとサラの冒険活劇が描かれるのだけど、その背景にあるのが女王フレイヤの葛藤。女王フレイヤは「悪女」としての自分を否定し覆してくれる誰かが現れるのを期待している。だからエリックとサラに試練を与えて送り出したのだ。

 と、この作品について語れることといえば、このくらい。この後はどうにか生きのびたエリックの冒険が始まり、その最中でサラと再会し、二人で女王エリックとさらに女王ラヴェンナを倒すまでの物語が描かれるのだが……この冒険が面白くない。ここからのお話しは早送りで見てもいいよ、というくらい。
 語ることがないので、では具体的にどこが面白くないのか、どうすれば改善するのか、そのポイントを探っていこう。

□ 主演がダメ。

 これは申し訳ない。主演俳優の2人がダメです。
 といっても、主演を演じた2人に罪はない。監督から抜擢され、指示された通りの仕事をしただけに過ぎないので、演じた2人の演技に問題があるのではなく、選んだ監督のミス。
 主演の2人、クリス・ヘムズワースとジェシカ・チャステインの2人だが、まずルックスが微妙。その世界観においてどこか埋没している。あまり「特別」な感じがしない。
 物語の主人公ってやはり何かしら煌めいた存在であるべきなんだ。ところがどの場面を見ても、どこか微妙。あの2人の恋愛にドキドキしない。
 映画が成功するかどうかは、キャスティングで決まる……そういう言い方をする人もたまにいる。その考え方には賛同できないけれど、この作品におけるキャスティングは失敗。

□ シナリオがダメ。

 まず問題なのがキャラクター同士の「対話」。対話シーンが盛り上がらない。楽しくない。城を追放されたエリックは、やがてコメディリリーフ的存在であるドワーフと一緒に冒険の旅を始めるのだが、このドワーフとの対話シーンが楽しくない。冗談を言い合う場面は一杯あるのだけど、盛り上がらない。化学反応が起きない。台詞がダメ……というのはあるけれど、ここでもやはりキャスティングの失敗が反映してくる。

 次に「説明不足」。
 エリックが追放された後、ドワーフが登場してくるのだけど、エリックとドワーフはすでに「知り合い」ということになっている。ここが引っ掛かりどころで、見ている側としては「誰だ?」となる。初めてのキャラクターが出てきているのに、観客にそのキャラクターの紹介をしてくれない。いったいどういうキャラクターなのか、どういう出会いなのか……そういう大事な場面をすっ飛ばしてしまっているから、まるで「何話か見逃した?」みたいになる。
 ハンツマンという男が出てくるシーンもそうだね。最初から知っていることを前提にしている。観客からすればどういう人物かわからない。でもハンツマンと言えばなんか凄い男らしい……みたいな話が物語の中で了解されている。
 つまり、「エピソード」がない。重要なエピソードがなく、それぞれのキャラクターがすでに「知り合い」ということにしてお話しを進めるから、「あれ? 何話か見逃した?(映画なのに)」みたいになる。
 そのうえで一つ一つのエピソードが面白くない。肝心のエピソードが薄い上に、面白くもない対話シーンがぽつぽつ続くので、展開がダラーっとした感じになってしまう。

□ 画作りがダメ

 出てくる「画」つまり「ルック」がどのシーンも平凡。監督はもともとVFXをやっていた人なので画作りの勘はちゃんとあって、「ヘンな構図」や「緊張感のない画」はない。でも映画の画作りにおいて、それだけだと不充分。「平均点」を越えた画がどこかでポンとなければ「映画的な画」にならないんだ。
 リドリー・スコット監督は非常に上手いので、どのカットを見てもバチバチに「映画的な画」になっている。クリストファー・ノーラン監督は劇場スクリーンで見たときに最大化する画を心得ていて、いい画を作り出す。ザック・スナイダー監督は光の濃淡を捉えて印象的な画面を作り出す。構図がめちゃくちゃに上手い監督といえば庵野秀明監督だ。
 ……と、やっぱり名監督と呼ばれる人たちはみんな画が強いんだ。いいところでバチッと決めた画が出てくる。そういう画が出てきた瞬間「おおっ」と人を惹きつける魔力が現れる。そういう画が出てこないと映画って映画になりきれないものなんだ。
 そういう話で言うと、『スノーホワイト』は映画的ないい画がえんえん出てこない。下手な構図はないのだけど、いい画もない。ずっと平均点前後をウロウロしている感じ。そのせいで、どこか平凡な映画にしか見えなくなっている。

 他にも編集がダメとか、展開がダメとか、ダメなポイントは一杯あるけれど、それはもういいでしょう。
 それでもごく数カットほどいい絵はある。一瞬だけよくなる瞬間はあるけれど、まあそれくらい。良いところはあったのに、そこをうまく活かせなかった。もう少し頑張ればもっとなにかあったかも知れないのに……。

 さてさて、面白くもない映画なので、そろそろ語ることがもうない。
 ここからは文字数を埋めるためだけの話をしよう。
 この映画の概要を見ながら、確かにこのくらいの時期、何でもない童話を思いっきりシリアスに語ってみた……という冗談みたいな企画の映画って一杯作られてたな……とか思い出した。ピーター・ジャクソン監督が傑作『ロード・オブ・ザ・リング』を制作したあと、どことなく似た雰囲気の映画が一杯作られるようになる。あれはどういうことか。ただの物真似映画か。それもあるけれど、ピーター・ジャクソンが「文法」を作ったから。ピーター・ジャクソン以前にもファンタジー映画はあったけれど、どこか子供向け、どこか「作り物」っぽい雰囲気だった。それをピーター・ジャクソンがあたかも実際の歴史映画のようなファンタジー映画を作り上げた。ファンタジー世界の文化をどう描くのか、風景をどう描くのか、魔法は、クリーチャーは……その基準を示したのがピーター・ジャクソンだった。
 その基準がわかってしまえば、その模倣はたやすくなる。じゃあその文法に乗せて、いろんな作品を作ってみようじゃないか。例えば童話をピーター・ジャクソン風に作ったらどうなる? それが本作『スノーホワイト』。ディズニーだって同じ論法でいくつかの作品を作っている。
 実を言うと、文法にきっちり乗せて、予算が出ているからこの作品、細かい小道具の作りなんかはそこそこ良いものができているんだ。シナリオやキャスティングが明らかにダメであっても、映画制作のノウハウが背景にあるから、小道具やセットといったものはそこそこいいものができあがる。ただ撮り方が全てにおいてダメだった……というだけで。なのでこの作品の見所はストーリーや演技ではなく、小道具や衣装のほうかも知れない。監督以外は優秀だったのだ。

 一つの傑作が生まれると、それを模倣した映画が山ほど作られる。なぜそうなるかというと、「こう作ればいいのか」ということがわかるから。そういうものがいわゆる「王道」となる。
 「王道」という言葉には2通りの意味があって、1つには定番の展開をなぞること。もう一つは「道筋」そのものを作ること
 後の人が誤解しやすいことだが、「王道作品」と呼ばれる有名作品は、実はその以前には似たような作品は存在していない。実はその当時において革命的な作品だったりする。その作品によって道筋ができて、模倣した作品が一杯作られて、後の時代によって「典型的な作品」と呼ばれるようになる。
 ほとんどの人は「王道」といえば1つめの意味を考えるけれど、本当は2つ目の意味が正しい。作家が目指すのは1つ目の意味の王道ではなく、2つ目の意味での王道を目指さなければならない。つまり、後に模倣者が生まれるような作品を開拓すべきだ。
 で、すでに王が作り上げ、舗装された道の上を追いかけようとして失敗した作品が本作『スノーホワイト』。文法に乗せれば誰でも王道作品を作れるか……というと決してそういうわけではない。後追いでも作品として成立させるのは難しいのだ。

 ところで、感想文を書いている間、ハッと気付いたことがあった。
 もしかして……と情報を改めて確認してわかったのだが、私は1997年の映画『スノーホワイト』を見たことがあったのだった。シガニー・ウィーバーが出演していた映画だ。そう、それで私は本作『スノーホワイト 氷の王国』が1997年の映画の続編だと勘違いしてマイリストに入れたんだった。そうだ、思い出しぞ。「あ、あの作品って続編があったのか」って思ってマイリストに入れたんだ。
 改めて確認すると、
1997年 『スノーホワイト』 ←ぜんぜん関係ないシガニー・ウィーバー出演作。
2012年 『スノーホワイト』 ←今回視聴作品の前作
2016年 『スノーホワイト 氷の王国』 ←今回視聴作品
 というわけで『スノーホワイト』は『スノーホワイト』でも別の作品だった。私は見ていない作品の続編だと思って、今回の作品を見たのだった。
 他にも、
2001年 『スノーホワイト/白雪姫』 ←米国のテレビ映画
2024年 『スノーホワイト』 ←ディズニーの実写リメイク
 何本あるんだよ、『白雪姫』の映画。90年代後半から現在にかけてなぜか『白雪姫』映画が大量に作られている。ここに挙げていない『白雪姫』映画やアニメはまだまだあるらしく……。いったいどうなっているんだ、『白雪姫』界隈! あとせめてタイトルは変えてくれ。自分が見た『スノーホワイト』がどの『スノーホワイト』かわからなくなる。


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