6月1日 コンテンツを終焉させないために、作り続ける必要性
価値観の幹と枝先 【仕事の姿勢】
現代は「多様性の時代」と言われるけれども、子供の頃はだいたいみんな同じもので遊んでいる……。
これは大事な要素で、子供の頃に感動したもの……というものはその後もずーっと残っていくもの。大人になると価値観の変化などは起きるけれども、子供の頃にそのあるものに「感動した」という感覚はずーっと残っていく。それがある意味でその人間の「ベース」となっていく。
何年も前に、『ポケモン』にまつわるとあるデータを見かけたのだが、これが凄かった。10代20代30代40代の『ポケモン』のプレイヤー人口がほぼ一緒……というデータだった。男女比で見ても、男性が少し多いけどほぼ一緒。50代に入ると急に人口が減るけど、『ポケモン』は10代から40代までのプレイヤーをまんべんなく獲得していた。そんなコンテンツ、見たことがない。
(そのグラフを探したのだけど……見つからなかったよ)
比較したいのは『スターウォーズ』シリーズ。2015年に『スターウォーズ7・フォースの覚醒』が公開されたのだけど、大喜びで劇場に集まってきたのは、40代50代の結構年のいったおじさんばかり……。10代20代の若者たちも当然やってきたのだけど、彼らにとって『スターウォーズ』は「初めて見る映画」という存在で、「どんな映画かな……」という感じだった。
『スターウォーズ』シリーズは最初の映画が1977年。第2シリーズが1999年。第3シリーズが2015年と、間が20年近く開いている。劇場公開されると毎回「固定ファン」が必ず生まれるのだけど、しかしシリーズが作られるのが20年おきだから、ファン層の世代に“歯抜け”が生まれてしまう。それで新シリーズが公開されると、50代30代10代……という感じに世代が一個ずつ抜けて……という状態が生まれる。
私は正直なところ『ポケモン』シリーズはもっと間隔を置いた方がいいんじゃないか……と思うところがある。もうちっと内容をじっくり練り込んだ方がいいんじゃないか……と感じている。
しかしデータを見ると、短期間でポンポンと出し続けていることに大いなる特典があることに気付く。10代から40代まで、ユーザーの年齢層に歯抜けがまったくない。しかも『ポケモン』は休眠期間を作らず、ずっとアニメシリーズが作られ続けている。常に何かしらで『ポケモン』に触れていられる状態になっている。
たぶん、『ポケモン』のユーザーは最初は10代が中心だったに違いない。その最初の10代のユーザーはやがて成長していき、そこで新しい『ポケモン』が出てきて、成長した最初の10代が触れるし、新しい10代もその時の『ポケモン』に触れる。これをひたすら繰り返してきて、今や10代から40代まで誰もが知っていて、誰もが人生のうちのどこかで必ず触れているコンテンツになっていった。
こうやって「潜在的ユーザー」を増やし続けてきたから、新作が発売になると世界中で数千万本売れるゲームに成長していった。
最近のデータを見ると、『ポケットモンスター ソード・シールド』は2582万本。『ポケットモンスター スカーレット・バイオレット』2210万本。
『ポケモンGO』が発表されたとき、世界中で大流行になったが、そこにいたるまで20年かけてその下地を作ってきていた。そりゃ、ああなるわ……という感じだ。
今や「国民的アニメ」の地位にあるスタジオジブリ。ジブリの場合は意図的に「国民的アニメにしよう」という戦略があった。
どうやったか……はご存じの通り、金曜ロードショーで何度も繰り返しテレビ放送する。若い人にとって『風の谷のナウシカ』や『となりのトトロ』は「生まれる前にやってた作品」だが、繰り返しテレビ放送することによってその作品に触れる機会が増えるし、触れてなくてもそのタイトルを聞いたことがない……なんてことはあり得ない状況になっていく。
すべてジブリ作品の実力、宮崎駿の実力……と思ってはいけない。「国民的アニメにしよう」という戦略がちゃんと裏にはあった。
どうやらジブリの鈴木敏夫プロデューサーの思惑としては「ディズニー戦略」があったらしい。ディズニーも米国で繰り返しテレビ放送されている。それで子供時代に見た、という大人もテレビでもう一度見られるし、新しい世代も過去作品に触れられる機会を作る。そうすることによって子供世代と大人世代が繋がっていく。するとだんだんディズニーの「潜在的顧客」は増えていくことになる。こうしてやがて「国民的作品」となっていく。
もちろん宮崎駿作品という鉄壁のクオリティがあってこそだけど、この戦略は大当たりしてジブリは「国民的アニメ」に育っていった。副産物として、2000年代頃までアニメは「子供と、いつまでも子供感覚が抜けない変な大人が見るもの」というイメージだったが、アニメ自体が一般層でも抵抗感なく見られるものになっていった。
任天堂コンテンツで最近、ものすごい記録を作っているもの……といったら『スーパーマリオブラザーズ』劇場版だ。6月1日時点で日本国内で興行収入100億円を突破。先行して公開されている米国では5億6094万ドル(789億円)。全世界で見ると12億7876万ドル(1799億円)。現時点でアニメ映画の全世界興行成績歴代3位で、勢いがまだとどまる様子がない。
『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』がどうしてこれだけの人々の関心を勝ち得たのか……というとそれだけ多くの人があらかじめ「マリオ」というキャラクターを知っていたからだ。今や日本やアメリカだけではなく、全世界の人がマリオを知っている。男女問わず、すべての年齢で。『スーパーマリオ』の映画が大ヒットするのは、あらかじめ「約束されていた」と言ってもいいくらいだ。
こういうお話しを聞くと、一つのコンテンツを長く続ける……ということに意義があることがわかる。どうしてあのブームは去ってしまったのか。ゲームの世界ではシューティングゲームブームがあり、落ち物ゲーブームがあり、格闘ゲームブームがあり……みんな一旦途絶えてしまった。
ブームを終わらせず、続けさせるためにどうしたらよかったのか……というと、コンテンツをずっと続けること。断絶を作らないこと……だった。しかし多くの作り手や経営者は「ブームが去った」という時点で引き上げてしまった。本当は「作り続けるべき」だったのだ。そうすれば世代間断層は生まれなかった。
『スターウォーズ』も休眠期間を作らず、4年おきに新作を公開し続けていたら、きっとファン層の世代に歯抜けは起こらず、全世代にまんべんなくコアなファン層を作れただろう。
(ただし、クオリティを維持した上で……が条件)
もちろん、1作1作のクオリティは落としてはならない。任天堂の信頼感は、任天堂というだけでクオリティが保証されている……という安心感があるからだ。30年いい仕事をし続けているからこその信頼感がある。これが他のすべてのソフトメーカーにできなかったこと。
一度子供をメインターゲットに定めて作品を作るのも良いかも知れない。ここでもしもうまくいき、その後、断絶を作らずコンテンツを作り続ければ……。
ま、そんなにうまく行くわけないけどね。
作ればいいってもんじゃなく、まずクオリティが第1ですから。
余談
ポケモンビデオゲーム
全ポケモン関連ゲームソフトの累計出荷本数
4億8000万本以上
対応言語数
9言語
カードゲーム 累計製造枚数
529億枚以上
テレビアニメ放送地域数
192カ国
うーん……凄い
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