鳥嶋和彦_190423-131037-001

5月20日 マシリトさんのインタビューが面白かったので紹介

 インタビューというか、文化学園大学で催された講義の内容なんですけどね。
 非常に素晴らしい、様々な知恵とメソッドが語られるので、参考にできるものは必ずあるはず。
 というわけで、リンク。

電ファミニコゲーマー:「編集者になるために特別な才能は必要ない。好奇心と想像力を持ってください」Dr.マシリト鳥嶋和彦氏が学生に語ったマンガ、雑誌、出版と編集者の今後

 では、おまけで私の感想。


〈引用〉

鳥嶋氏:
 じつは僕も電子コミックは読めません。いま原田さんが紹介した縦スクロールマンガって、皆さんの持っている縦位置のスマホに準拠した形の見せかたですよね。僕も縦スクロールの韓国のマンガを読みましたが、はっきり言って面白くない。同時に疑問も感じました。
 ひとつは、この先何年も、基本画面は縦位置のままなのかということ。5Gもやってきます。  折り畳みスマホなんてものも紹介されていて、今後画面の形がどうなるか判らない。


 もう何年も前になるけど、「電子書籍」なるものが出るぞ、という話を聞いたとき、私は「折りたたみ式」になるんだと思ってた。ちょうどニンテンドーDSみたいな感じで。なぜなら本というものは、左右のページで成り立っているから。これは漫画に限らずの話で、本は基本、左右のページで成立している。これを電子にするなら、折りたたみ式が自然な形でしょう……と。
 でも、世に出た電子リーダーはなんと片面表示だけ。「おいおい……」と思ったよ。どうしてそうなる。あの形だと、鞄に入れてたら傷付くし。
  いまやっとこさ折りたたみスマートフォンとか発表されたけども、どうにも主流になりそうな気配がない。値段的にも性能的にも、色んな問題を抱えているそうで……。これからも電子書籍は片面表示がデフォルトなのかな……。
 いつか本のように開いて、きちんと両面表示されている電子リーダーの時代が来てほしいものだ。

 電子書籍の話には夢があったけれども、現実には出版社や編集者側が色んなしがらみに捕らわれて、本調子が出せず……で現在に至ってしまっている。

 いまファミ通には『チェイサーゲーム』という作品が掲載されているけど(私、あの作品好きではないけど)、おそらくこういう漫画が次時代の漫画になるんだろうな、という気がしている。漫画雑誌が漫画家とやりとりして作るのではなく、ゲーム会社やアニメ会社が漫画の企画を立てて、それを“どこか”に掲載する。掲載先はゲーム雑誌でもいいし、pixivや、すでにゲーム会社が運営している漫画サービスサイトでもいいし。
 なぜか? 第一にしがらみのなさ。ゲーム会社、アニメ会社は取り次ぎや本屋といった気を遣う先がない。
 第2に漫画はアニメやゲームなんかよりもはるかに安い予算で作れる。それで、私はずっと思っていることだけど、アニメ会社はアニメを作るだけではなく、描ける人に漫画を描かせる。で、人気が出て来たら自分のところでアニメ化する……これ、やればいいのに、とずっと思ってた(人気が出なかったら、するっと無かったことにする)。アニメ会社が漫画家を囲い込む、座付きにする。場合によっては作家をアニメ会社の看板にする。……企画受け付けているところがあったら、私、売り込み行くよ?
(漫画家は自営業のイメージがあるが、前から会社員として漫画を描いてもいいんじゃないか。会社に所属して、会社のために漫画を描く。もちろん、給料は一般社会人として手厚く保証される。……そういうものであってもいいんじゃないか、と考えている。今の出版社がやっている漫画のやり方だと、ブラックが行き過ぎているし、健康管理の問題も放置しすぎだ)
 第3の理由は、アニメ会社もゲーム会社も、優秀なデザイナーを持っているから。会社の中にいると、ものすごく上手い人は名前が注目されるけど、ほとんどは会社の中だけの存在で誰にも知られないままになってしまう。もったいない。描ける人がいるなら、どんどん活用したほうがいい。

 それで、紙の書籍、書店は不要か? というとそんなことはない。やっぱり本屋がなくなると、そのぶん雑誌の売れ行きと本の売れ行きは減少する。ネットの時代だ、Amazonでなんでも買える……と言われているけど、本屋に行って本を買いに行くユーザーが絶対になくなることはない。というか全体を見ると、本屋に行って本を買う、という人のほうが多い。
 活字離れとか本離れとか言うけど、本屋がなくなる、ということもその問題に1つ絡んでいる……という話も聞く。電子化が進めば読者が増える……そういうわけはなく、本屋がなくなれば本自体にも触れない……そういう人も出て来てしまう。電子書籍は「最初から読もうと思っている人」しか読まないものだ。
 だから、電子化の時代だ、と言われつつも、やっぱり紙による部数売り上げは旗印として掲げていた方がいい。

 漫画雑誌は衰退していくけれども、「ブランド」としての価値はこの後もずっと残り続けるとは思う。やっぱり『ジャンプ』という冠が付いていたら、それだけでちょっと特別視してしまう。で、修行とバトルが入ってくると「やっぱりジャンプだね」ってみんな言うでしょう。「ジャンプらしい性格」「マガジンらしい性格」はこの後もまだまだ残っていくはず。
 アニメ化の時でも、やっぱり「ジャンプで連載・人気作」といったら、予算が出るはず。そういうブランドとしての価値はこれからも残っていくんでしょう(一方で、ネット発のオリジナル作品のアニメ化に予算が付くかというと、ジャンプ作品ほど付かないでしょう)。

 漫画雑誌の意義は、作家をプールし、紹介していく場という機能にある。
 確かにネットは、検索すれば何でも出てくる世界だが、しかし基本、「よく検索されるもの」「注目されるもの」が優先されてしまう。人気作家、有名作家の作品は検索すればすぐに出てくるが、これからの新人は相当がんばって検索しないと名前すら出てこない。ネットだけでやっていると、むしろ埋もれてしまう可能性のほうが高い。
 だから漫画雑誌という固まりを作って置いて、そのなかで紹介しなくてはならない。これもブランドを持つものとしての役割だ。
 さっきゲーム会社やアニメ会社が漫画の企画を立てれば良いのに、と描いたけれども、ゲーム会社やアニメ会社は漫画家を売り込むための看板にはならない。ブランドにはならない。長く続けて、順当にヒットを出し続ければブランドになるけど、それには結構な実績が必要だ。
 作家はモノではない。「売れなかったらハイ切り捨て」「雑誌売り上げに貢献しなかったらハイ切り捨て」ではいけない。このやり方では、よっぽどの天才が来ない限り、永久に作家と作品が育つことはない。
 きちんと育てること。作品が売れなかったら、作家のみが悪いのではなく、紹介の仕方が悪い……というくらいに考えなければならない。売れる作家に育てること、これが結果的に部数売り上げに繋がる。


〈引用〉

僕が考えるこれからの出版社は、ひとりひとりの編集者をエージェントとして契約していく。


 「漫画エージェント」の話はもう何年も前から出ていて……現状はどうなっているのかな?
 「漫画家と編集」という関係になると、意外と漫画家は不利な立場を押しつけられる場合が結構ある。物語展開も高圧的な編集者の主導になり、人気が出なかったら漫画家の責任、で、最後には切り捨て。ちょっと前の「サンデー」でよくあったことです。
 そういう時に間に入るのが漫画エージェントで、漫画の方向性、どこの雑誌に売り込むか、賃金契約までをお任せする。漫画家って、こういう取引が苦手な人、一杯いるから。
 という漫画エージェントの話はずっと前に聞いたけど、いい話だとは思うけど、今はどういう状況になっているのだろう? 気になる。


〈引用〉

鳥嶋氏:
 もうひとつ、大きな資本が入っていろいろな電子書店やマンガを読める場所が増えていますが、そこにある新しいマンガは、残念ながらレベルが低いということが問題ですね。
 なぜ低いかというと、作家が描きたいものを単に垂れ流しているだけの同人誌と一緒だからです。


 pixivでもランキングを見るとオリジナルの漫画がちらほら入っているけども……。面白くないんだよね。
 「こういう女の子可愛いよね。以上」
 というだけのものだから。
 こういう作品は時々アニメ化されるけど、目も当てられないものになる。なぜなら“世界観”と“物語”がないから。きちとんとした世界観と物語がないと、そりゃ映像になりませんよって。キャラクターだけ置いて、背景は書き割り……では映像にはならない。30分の物語にもならない。
 ネットだけだと、むしろ軽くて暇つぶしの作品にはちょうどいいかも知れないけども。でも、単にキャラクターがかわいいね、絵が上手ですね、で終わる。
 あのあたりには作家を育てて、紹介する編集機能もないわけだし。とある新人小説家は、受賞してから出版までに、同じ作品を3度描き直しを命じられたと言うけど、これも必要なプロセス。クオリティを上げて出版できるレベルのものにするため、時に編集者のスパルタも必要。ネットに上がってきたものを、ポンと本にしたってダメなんだって。
 「ネット上で人気」から外に出ていく作品は、たぶんない。大成する作家も出てこないでしょう。

 物語こそ大事なんですよ、ということだけど、自分でやってみてわかったけれども、1人でやっていると死ぬほどつらかった。いや、死ぬかと思った。それくらい消耗するし、客観視もできない。そこで大失敗する。いや、大失敗した。
 1人でやっていると、資料集めから、設定制作、背景、世界観構築、キャラクター、ストーリー、全部1人でやらなくちゃいけないけど、全部まとめてなんてできるわけないから、この週は資料集め、この週は背景CG制作……でいつまで経っても本編が始められない。それで、焦って見切り発車してしまった結果が、あのザマ。背景が未完成だったのは、準備ができていなかったから。全部1人は、無理だ。貯金だけでやっているから、生活も続けられなくなるし。
 失敗があったのならそこを反省にやり直せばいいのだが、私の場合、やり直すチャンスすらももうなくしてしまった。

 作家の描けるもの、描きたいもの。描きたいものと、売れる物、の間には齟齬がある。
 昔から言われていることだけど。
 私がよく考えるのは、「好きなもの」というものは、すでにどこかで作られたもののことなんだ。「好きなもの」を描こうとすると、それを再現するだけの作品になってしまう。しかも必ず、そのもともとのオリジナルよりも劣化する。「コピーだから」というだけではなく、オリジナル作品にはそれが成立するためにがっちりと構築された世界観というものがあって、それをキャラクターだけ部分的に引っ張ってきて自分の作品に出してきても中途半端なイメージにしかならない。
 「どこかで見たようなキャラクターに、どこかで見たようなシチュエーションだらけの作品」……みんな見たことあるよね。作品の向こう側に、別の作品の像がぼんやり見えているような作品。こういう作品は、絶対に売れない。
 あと、知っていることだけで描いてはならない。知っていることだけで描こうとすると、必ず自分の知っている作品になる。
 漫画やアニメや映画をたくさん見ていると、なんとなく自分でも作れるんじゃないか、という気がしてきて、これまで見てきた経験を足がかりにして何かを作ろうとする。すると、必ず劣化コピーになる。
 作品をより良くしようとすると、自分の知っている作品に近付けようとしてしまう。結果的に、できあがるのは何かの劣化した作品になる。これは避けねばならない。
 「自分の知っていること」から何かを作るのではなく、「自分がこれまで知らなかったこと」あるいは、「今まで作られていないもの」から作品を考えたほうがいい。
 だから、私の創作における座右の銘は、いつもこれ。

 新しい酒は、新しい革袋に。

 作家の描きたいもの、好きなものの向こう側に、作家のオリジンはある。それを見付けないと、何も始まらない。


〈引用〉

じつはヒット作を作ったマンガ家って、みんな文章を書かせるとものすごく巧い。


 前から思っていることだけど、荒木飛呂彦先生って、小説を描いても絶対に売れたと思うんだ。だって、『ジョジョ』って数ページごとに名言が出てくるじゃあない。あのレベルで次から次へと名文・名言を出せるのって、とんでもないセンスがないとできないことだよ。しかもストーリーラインも最高。荒木飛呂彦先生は小説家だったとしても大成したはず。
 といっても、荒木先生は絵も超絶的に魅力だから、どちらかといえば小説よりも漫画を読みたい。


 最後のほうに、アメコミ方式の話がちょっとあったけど、実は私がやりたかったのは、これだったんだよね……。できなかった……。上の方に、「漫画家を会社員として……」とか書いているけど、これも(いま思い付いた話ではなく)自分1人の力で実現できないものか、と考えて『ProjectMOE』を書いていた。ぜんぶ夢破れたけど。
 いろいろ計画はしていたのだけど。届かなかった夢をずっと見続けて、私の人生、終わりそうだ。


この記事が参加している募集

コンテンツ会議

とらつぐみのnoteはすべて無料で公開しています。 しかし活動を続けていくためには皆様の支援が必要です。どうか支援をお願いします。