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ストラテラ休薬日にしてみた感想と自問自答 ストラテラ服用日記25日目

25日目(今日は結果的に飲まない日になりました)
今日は診察日。昨日で薬が切れてたので、朝は服用ぜず。
自立支援制度申請のための医師の診断書をもらう必要があるので、前の日から準備しておく。
奥さんにも声をかけて、忘れないように二段構えだ。
実際、家を出てすぐに奥さんから電話があり、書類の入った封筒らしきものがあるけど忘れてない?と。
準備の時に、封筒から出してクリアファイルに入れて鞄にしまったのでそれを伝え忘れた、私の落ち度でした。

でも、こういうことが職場でも往々にしてあり、「あの人は肝心なことを言ってくれない」とか、「一言言ってくれればすむことを言ってくれない、不親切な人」という評価を受け、職場内のポイントが駄々下がりになるのも、ADHDあるある。

病院で診察時に医師から副作用の確認があり、口渇があるぐらいであとは殆ど感じません。気分の浮き沈みもありませんと説明(ストラテラの前にレクサプロ半錠を出されて、希死念慮が増大したことがある)。

無事に80mg /日 朝食と夕食後に40mg ずつ飲むことになった。
また、自立支援制度の診断書を渡し、次回の診察時に受領することになった。

診断記録作成のための治療歴の振り返りで、グレーゾーンの診断が2014年だったのに気がついた。もう6年前か・・・。
あの時から、もっとADHDに対峙して対策しておけば良かったなと後悔する。そうすれば、今、こんなになる必要もなかったかな。まあ、それを今更言っても詮方なきこと。

二次障害の鬱に関しては、2008年から1年半ぐらいジェイゾロフトを飲んでた。この前、断捨離ついでに薬箱の整理をしたら、その時の眠剤(なんだか忘れた)も出てきてびっくり。こんなのも飲んでたのか、と。

こう考えると、病歴12年か。意外と長いなと思う。まあ、気がつかなかっただけで40年以上発達障害とは付き合ってたんだけど。

幼稚園〜中学までは、どちらかというと馬鹿にされる、虐められる側の人間だったのも今となっては腑に落ちる。

無事に調剤で倍量の薬ももらい、糖尿病の病院へ行く。

空いてる時間だったようで、行ってすんなり診察。採尿と、採血。
LDL(悪玉コレステロール)がなかなか下がらなくて、薬が処方されることになった。年齢的にも飲み始めていいでしょうと。

体重とHbA1cは順調に下がってきたので、とりあえずOKとしよう。

帰宅して、ダイエットがんばった自分へのご褒美に、白米を食べる。奥さんに3合炊いといてってお願いしていた。
youtubeで見た美味しそうな胡瓜の漬物も仕込んでおいた。貰い物の明太子もある。

あっという間に、2人で3合食べてしまった。多分、2合ちょっとは自分が食べた。でも、まだまだ余裕だった。あの勢いなら3合もいけた。

まだまだ食べれる自分に安心して(笑)、食事は終了。前は腹一杯食べないと気が済まなかったのに、中途半端でも止められる自分にびっくりした。未練はあったけど・・・。

食後は、また奥さんと買い物。
それなりにいい買い物できたけど、お金使いすぎた💦

夕食食べて、月が綺麗だったので二人でお散歩がてら遠回りして公園を通ってスーパーに。食糧品とトイレットペーパーを買って帰宅。
お風呂に入って、ビジネス書を1冊速読して終了。
そのあとから、このNOTEを書いている。

色々やってて薬を飲むタイミングを逃したので、結果的に休薬日になった。
まあ、実験としていいかなと思う。ほぼ3週間飲んだ後に1日休薬、翌日から80mg に増量。
どんな結果になるか楽しみ。

休薬日の感想は、午後から頭のぼやけた感じは出てきた。
あと、音楽が戻ってきた。久しぶりに音楽が頭から離れない状態になった。

昼前に行った糖尿病の病院で、血圧日記の新しいものをもらうようにお願いするのを忘れた。
前のやつがいっぱいになってしまったので、2冊目もらわないといけなかったのに、新しい薬に気を取られすっかり忘れてしまった。こういうのもADHDあるあるだなと思う。

ただ、これは薬飲んでたとしても、忘れそうだなという感触はある。
表紙に付箋でも貼っておけば良かった。

インタビューフォームの説明だと、1日休薬すると血中濃度的にはそこそこ下がってらしい。
確かにそんな感じは受ける。

少なくとも、脳はうるさくなったように感じる。この状態でも、悪い感じはしないけどね。
仕事しないのであれば、薬は必要ないかな?何というか、こっちの方が楽しい。
仕事をしなきゃいけないから飲むのであって、自分の人生を生きるなら、必要無いのかもしれない。

仕事と自分のバランスというか、薬を服用する必然性というか、自分の人生に対する薬の価値とか存在感を問いかけられてる気がする。

薬を飲んで、頭が冴えるのももちろん楽しい。
時間とお金があれば、もう一回、別の学科で大学に入り直して、別の専門を身につけたいぐらい。
雑念なく集中できるのもいい。

ただ、薬で付与された能力は自分のものなのかな、と疑問を持ってしまう。
現代社会で生きやすくするために服用するのであれば、なんとなく目的がすり変わってるような気もする。

とはいえ、自分の場合は希死念慮が消えた体験ができただけでも大きな進歩で、数日前からちょっと希死念慮戻ってきたとは言え、今までに比べたら屁みたいなもので。

これからどうしたいか、どうやって薬と付き合って行くか、ちょっとずつ考えていきます。

その振り返りのためにもこの日記は残していかないと。

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