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スピッツ「ワタリ」 誰のせいでもねえ すべて俺のせい

スピッツがロックバンドであることを明確に感じさせてくれる曲の一つ。力強いドラムとギター演奏の前奏が、疾走感を演出しています。

アルバム「スーベニア」(2005年1月12日リリース)の8曲目。「ほのほ」の次という並びも最高です。

とても大好きな曲であることは間違いありません。
ただ、この歌詞、スピッツの楽曲の中でもトップレベルに解釈が難しい。

「誰のせいでもねえ すべて俺のせい
おかしいほど白い花を手に持って
誰のせいでもねえ すべて俺のせい
マジメ過ぎただけ君が見た夢 もう二度と会えないそんな気がして」

なんだかとても「俺」が、自分を責めていますね。
俺が何をしたんでしょうか?
「マジメ過ぎただけ君が見た夢」
この一文の意味もよく分からないですね。誰がマジメ過ぎたのでしょうか?
うーん、分からない。

「心は羽を持ってる この海を渡ってゆく」

ん???誰が?

「寂しい黄昏に泣けるぜいたく 電車の窓から見かけた快楽
寂しい黄昏に泣けるぜいたく ガクに収まった世界がきしむ」

寂しい黄昏に泣けるぜいたく???分かりません。
ガクは車窓のことかしら?

「愛されるような道化になった
それでも掟を破ってく 黒い海を渡ってゆく」

掟を破って、どこに行くというのだろうか?分からなすぎる。

文字通り受け取るだけでは、到底、歌詞の本意にたどり着けそうにありません。
なので、勝手に妄想させていただきます。


【妄想解釈】
バンドを続ける俺は、どうやっても君を悲しませてしまう。
君は地道に生きる、ささやかな生活を望んでいるだけなのに、俺はバンドにのめり込んで、この道で生きていくことを夢見ている。
君が欲しかった「夢」は、俺とでは果たせないと知って、君は俺の元を去った。
「いつか君を迎えに行く」という約束だけは伝えたけど・・・。もう二度と会えないかもしれない、そんな予感が頭を占める。

それでも、俺はバンドで生きていく。頭では決意したつもりでも、心は思い通りにならなくて、勝手に君に会いに行こうとしてしまう。心を抑えられない。

夕刻、電車に乗っていると、仲良さそうに歩く夫婦の姿を見かける。でも、君はもういない。車窓から見える景色が涙で歪んでいく。

俺は、バンドで名声を得て、生きていけるようになった。

いつか君を迎えに行くと言った約束は果たせないまま、バンドで生き続ける道を選び続けていく俺。そういう道を渡っていく。
【妄想以上】

この妄想の精度がどれくらいのものか、私には判断がつきません。

スーベニアに収録されている曲たちは、比較的前向きな曲が多いので、もしかしたら、的外れな解釈なのかも?
でも「ほのほ」とのセットで考えると、これぐらい暗いトーンの解釈はありかもしれない?

草野さんがつくり出した幻惑の真相にどこまで近づけるのか。
必死で考えて、文章を書いているだけで幸せになる。不思議だ。

2022年9月27日 トラジロウ

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