- 運営しているクリエイター
#呉林俊
林浩治「在日朝鮮人作家列伝」05 呉林俊(オ・イムジュン)(その1)
呉林俊──激情の詩人の生涯(その1)林浩治
呉林俊(オ・イムジュン)は朝鮮慶尚南道生まれ。
1930年、4歳のとき両親に伴われて渡日した在日朝鮮人1世。
大日本帝国陸軍志願兵として満州に従軍し、解放の日をソウルで大日本帝国二等兵として迎えた。
戦後は在日本朝鮮文学芸術家同盟神奈川支部の委員長を務め、日朝友好展に関わるなど、在日朝鮮人文学芸術運動に従事した。
画家であり詩人であり多くの批評を
林浩治「在日朝鮮人作家列伝」05 呉林俊(オ・イムジュン)(その2)
呉林俊──激情の詩人の生涯(その2)林浩治
←(その1)からのつづき
1)『記録なき囚人』 ①入隊
呉林俊は詩集と評論集は多く残したが、ノンフィクションとしても物語性のあるものは『記録なき囚人』だけだ。
『記録なき囚人』は1969年に三一書房から出版され、1995年に社会思想社現代教養文庫に収録された。現在は、文元社「教養ワイドコレクション」で復刻されている。
幼く渡日した植民地朝鮮の
林浩治「在日朝鮮人作家列伝」05 呉林俊(オ・イムジュン)(その3)
呉林俊──激情の詩人の生涯(その3)林浩治
←(その2)からのつづき
2)『記録なき囚人』 ②関東軍中国東北部老黒山部隊
1944年10月下旬、満州国牡丹江省東寧県老黒山駅(現・注家事人民共和国 黒竜江省牡丹江市東寧市(県級市))に、呉林俊たち朝鮮兵を含む新入部隊は到着した。
朝鮮人兵隊は日本人兵の班に分散配置された。呉林俊は第一中隊第二班に配置されたが、班には「関特演」で鍛えられた
林浩治「在日朝鮮人作家列伝」05 呉林俊(オ・イムジュン)(その4)
呉林俊──激情の詩人の生涯(その4)林浩治
←(その3)からのつづき
3)少年期
1930年、来日した呉林俊の家族は、阪急電鉄春日野道駅近くの下町、工場の密集するバラック街に居住した。
その頃の朝鮮人たちは、日本に来ても白衣(びゃくえ)の民族衣装のままで、仕事も沖仲仕、屑屋、土方くらいしかなかった。父は沖仲仕だった。日本語は覚えられなかった。
貧しく腕白だった林俊少年は、「鞍馬天狗」や
林浩治「在日朝鮮人作家列伝」05 呉林俊(オ・イムジュン)(その5)
呉林俊──激情の詩人の生涯(その5)林浩治
←(その4)からのつづき
4)大日本帝国陸軍二等兵になる
1940年代、青年呉林俊は日本の五大政策である「国体明徴」「鮮満一如」「農工併進」「数学振作」「庶政刷新」によって、日本人になりきることのみが幸福になる道で、同化することが朝鮮人同胞の利益に繋がると信じていた。
その頃、軍事工業が拡大し朝鮮人も採用されるようになった。
林俊は18歳にな
林浩治「在日朝鮮人作家列伝」05 呉林俊(オ・イムジュン)(その6)
呉林俊──激情の詩人の生涯(その6)林浩治
←(その5)からのつづき
5)大日本帝国の敗戦=朝鮮解放
1944年12月下旬、老黒山の中隊が南方に転戦したあとも、劣悪不良兵の烙印を押された呉林俊は満州に残留した。
後任部隊がハルピンから到着すると、1945年3月、満州からの最後の抽出転用兵として朝鮮に移動した。
釜山での陣地構築を任務として日本統治時代は「牧之島」と呼ばれた影島(ヨンド)
林浩治「在日朝鮮人作家列伝」05 呉林俊(オ・イムジュン)(その7)
呉林俊──激情の詩人の生涯(その7)林浩治
←(その6)からのつづき
6)戦後
朝鮮人を解放された民族として規定しなかった日本統治の〈伝統〉は、その外皮すら傷つけることなく体内に朝鮮人を、いつまでたっても真に自立した、対等の朝鮮人にはしない強固な抑圧を保持したことを否定することはできないであろう。
『絶えざる架橋』(1973年3月 風媒社)
1945年10月
林浩治「在日朝鮮人作家列伝」05 呉林俊(オ・イムジュン)(その8)
呉林俊──激情の詩人の生涯(その8) 林浩治
←(その7)からのつづき
7)画家として生きる
1955年晩秋、横浜市内の東横線綱島駅側の狭い赤提灯「新駒」に入った呉林俊は、座るないなや、アメリカ、日本政府、韓国の軍事政権を大声で罵り始めた。そして先客だった大学生の伊東覚と親しくなった。
伊東はそのときの呉林俊に名前と仕事を聞いた。
呉林俊は、
「俺の仕事は絵描きだ、誰も俺のことを絵描き
林浩治「在日朝鮮人作家列伝」05 呉林俊(オ・イムジュン)(その9)
呉林俊──激情の詩人の生涯(その9) 林浩治
←(その8)からのつづき
8)詩人・作家として
1950年代、呉林俊は6冊の詩集を自費出版している。1960年代には『京浜詩派』や『詩人会議』に詩を発表していたが、他の朝鮮人作家たちと同様日本語での文学活動を控え気味だ。
出版は在日朝鮮人が経営し朝鮮ものの本を多く出した新興書房から2冊の翻訳詩集を発行した。
60年代末、呉林俊は日本軍二等兵と
林浩治「在日朝鮮人作家列伝」05 呉林俊(オ・イムジュン)(その10 最終回)
呉林俊──激情の詩人の生涯(その10)林浩治
←(その9)からのつづき
8)詩人・作家として(つづき)
1962年頃、呉林俊の絵を見た22歳の音楽大学学生福岡美枝が呉を訪ねる。散歩の途中でふっと立ち寄った小さな画廊で見た呉林俊の絵に興味を持ち、訪ねてきたのだ。
汚い部屋のあちこちにキャンバスが立てかけられ、原稿用紙や本が散らばり、流し台の上まで積み上げられている。生活感がない。
このと
林浩治「在日朝鮮人作家列伝」05 呉林俊(オ・イムジュン) 参考文献
《参考》
呉林俊『記録なき囚人――皇軍に志願した朝鮮人の戦い』(社会思想社[現代教養文庫]1995年
呉林俊『朝鮮人のなかの日本』(三省堂新書 1971年3月)
呉林俊『朝鮮人としての日本人』(合同出版 1971年9月)
呉林俊『見えない朝鮮人』(合同出版 1972年9月)
呉林俊『絶えざる架橋――在日朝鮮人の眼』(風媒社 1973年3月)
呉林俊『海峡――呉林俊長篇叙事詩篇集成』(風媒社 19