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私がモノを減らす理由

わたしは今年36歳。

いわゆる「ミニマリスト」「ミニマリズム」という生き方に出会ってから、はや8年ほどが経とうとしている。

結婚する前には、「ミニマリストの一人暮らし」というテーマでSNSで発信をしていたこともある。


当時の部屋①


当時の部屋②

窓が上にしかないので、友人には独居房と言われていました。笑


8年も経つと、「少ないモノで生活する」のは、もはや自分の中で当たり前。

でもできていない時もあるし、プレッシャーをかけたくないので、あえて今は「ミニマリスト」として名乗ってはいないけれど・・・。



実はわたしは本当に片付けられない人間で、「汚部屋」育ちでした。

実家のわたしの部屋は、おもに服が散乱していて、足の踏み場がないのが当たり前。


母親には「あんたの部屋をみると気分が悪くなる」と言われるほどで、あのときの部屋の様子を写真にとっておけばよかったと思うくらい。


おそらく、私は生まれつき、

  • たくさんのモノの管理ができない

  • 脳みそのキャパの小さい

そんな人間なのだと気付いた。


そんな汚部屋マックスな10代のころ、当時ベストセラーになっていた近藤麻理恵さんの本を父親から誕生日にプレゼントされる。

親に諭されてやっと、

「わたしってやばいんだな・・・」

ということに気がつく。


いい加減どうにかしなければと思い、「モノ(服)と向き合う」という意識が少しずつ芽生えてきた。



その数年後。


実家ごと引っ越すことになり、ここでさらに「捨てるスイッチ」が入る。

そんなときに出会ったのが、ゆるりまいさんの「わたしのウチには何にもない」という本だ。


みなさんが「断捨離」とか「片付け」と聞くと、どんな気持ちになるだろうか?


とにかく毎日が快適になるとか、気持ちいいとか、仕事で成功するとか、運が良くなるとか、そういうイメージがあると思う。

しかし、ゆるりまいさんが、モノを捨てる理由がとても意外だった。


それは、

「命を守るため」

だった。


ゆるりまいさんは、2011年の東日本大震災で被災している。


その時に、

「モノに溢れた家に殺されそうになった」

と語っているのだ。


物がたくさんあることによって、

本当に大事な物が埋もれて見つけ出せなかったこと。


地震によって落下物が凶器と化し、

避難経路を塞ぐこと。


その危険が愛するペットにまで及ぶこと。

この日の体験から、

私は不要なものに囲まれて暮らすことに、大きな恐怖を覚えたのです。

https://www.lettuceclub.net/weblettuce/article/1023007/


「モノを減らすのは、命を守るため」

この視点がなかったわたしは、当時かなり衝撃を受けたように記憶している。


地震大国の日本。

「モノで死にたくない!(←単純)」

この頃からは、わたしのミニマリズムには拍車がかかり、かなりのモノを減らすことに成功した。


そして初めて一人暮らしを始めるとき。

自力で運べるくらいの量しか荷物がなかった。

すでにベッドもなかったし、家電系は新品で買ったので、直接アパートに運んでもらった。


「身軽な自分」がとても気持ちよい。

もっと減らせるものはないか?

そんなふうに楽しく1人暮らしをしていると、インスタを見て楽しんで見てくれるフォロワーさんも増えて嬉しかった。



そして、わたしの人生で一番大きな手放しは「車」。

車社会のド田舎では、「車がないと生きていけない」というのが常識。

でも、「それって本当なの?」と実験してみたくなったのだ。


我ながら、結構変わっていると思う。

その頃は、ある程度、モノの量も決まってきたし、ちょっと退屈になってきていたのだと思う。笑


結局、1年間ほど「車がない生活」をして、その後、やっぱり車を買った。


でも、負けたとは思ってない。

この車がない1年間は、わたしにとってはすごく刺激的で楽しかった。

決して、強がりではなく!

このときの話は結構長くなるので、またいつか記録に残しておきたいと思う。


車がない生活をすると、車のありがたさをしみじみ感じる。

好きなときに好きなところへ行ける。

荷物もいっぱい載せられる。

エアコンもついているし、雨だって関係無し。

すごいよ、くるま・・・!!


一度大切なモノを手放してみることで、日常の「ありがたさ」が増したように思う。


ミニマリストをしていると、「増やしてはダメ」という強迫観念にかられやすくなるのは「あるある」なのかもしれない。

ミニマリスト歴が長くなってくると、「ミニマリスト」として発信している人も、ある日「やめました」というパターンを何度も見てきた。


これは「節約」とか「貯金」などと通じるところがある気がする。
 

「モノを減らす」「節約」が”目的”になってしまっている。


それらは決して目的ではなく、
「幸せな生活」「快適な生活」を送るための”手段”の1つでしかないのに。


ここについては、最近「子育てで片付けをあきらめた!?」と話題の近藤麻理恵さんも語っている。

世の中で私は“片付けの人”とされているので、「私、このままでいいのかな」と悩んだ時期もありました。

でも、私が伝えている「こんまりメソッド」の最終的な目的は、「家がきれいに片付くこと」だけではなくて、「ときめく毎日を送ること」なんですよね。

自分にとって大切なことは、子どもと一緒に過ごす時間です。

なので、部屋が多少散らかっていても、子どもが「この本を読んで」と言ったときに本を読んであげる。

そうした選択をすることで「実は私ってときめく毎日を過ごせているんだ」と思えるようになり、心がすごく楽になったんです。

それまでは片付けにこだわるあまり、子どもを叱りたい気持ちになってしまったこともありましたが、「これは本末転倒だぞ」と気づいて、気持ちを切り替えたら、心穏やかに過ごせるようになりました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/5073abe083bf93d7660b6ece2bca988285226004


私自身、夫と住み始め、子どもと住み始め、夫の家族と住み始めて・・・

という段階を経て、自分の「ミニマリズム」という意識が薄れているな〜と感じることがある。

その時の欲望に流されて、思考停止で買い物してしまって自己嫌悪に陥ることもある。

おもちゃもどんどん増える・・・。


でも、別に「モノを増やさない」ために生きているわけじゃないんですよね。


「適量で心地よく、シンプルに、楽しくラクに暮らしたい」


これがおそらく私の暮らしのテーマなのかなと思う。

まずは「ラクしたい」のが一番で、車のときみたいに、制限の中で実験したり、工夫したりするのも楽しみたい。


わたしにとっての適量や大切なもの。

それは、ライフステージや環境、その時の自分の状態によっても変わるのが当たり前なのだ。


👇️最近ハマっているミニチュアあつめ


「目的」と「手段」の話は、仕事や子育て、家事なども同じな気がする。


自分が苦しいと感じるとき、

「最終的な目標ってなんだっけ?」

「なんのためにやっているんだっけ?」

と原点に帰ると、ハッとするときがある。


ついつい、目の前のことに囚われて、悲劇のヒロインみたいになることもある。

けれど、いったんその悲劇のスポットライトから出てみて、「なんのためにやってたの?」「どうしたかったんだっけ?」と思い出すことも、ときには必要なのだと思う。



最後に、ちょっとだけモノの話にもどる。

最近は、年のせいもあり、白、黒、グレーなどの無難なカラーの服しか買えなくなってきた自分がいる。

「やっぱり綺麗なカラーのニットが欲しい!」と思って買い物にでかけたのだが、お店でかわいいオレンジ色のマフラーを見つけてしまった。

「あ、色のある小物を足せばいいのか!」

「むしろ小物なら、気後れせずに使える!」

と気づく。


ということで、この子を今年はたくさん首に巻こうと思います✨

おしまい。



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