見出し画像

◆アートヴィレッジとうおん コラムⅤ◆~悪場所に咲いたあだ花~

師走が迫る今日この頃、皆さんいかがお過ごしですか?
忠の仁がおくるアートヴィレッジとうおんコラムも第5弾に突入しました。今回は忠の仁がはじめて唐十郎氏が手がけたアングラ演劇と出逢ったときの衝撃をもとに、東温市で今を生きている私たちとをリンクさせたお話となっています。

筆者:忠の仁(ただのじん)氏 -演出家/作詞家-
桐朋学園大学短期大学部演劇専攻科卒業。早稲田小劇場に入団し、2年間を過ごした後、ミュージカル劇団いずみたくフォーリーズに入団。その後独立し、1991年オフィスJINを設立。舞台芸術学院ミュージカル科本科の担任を経て、東温市地域おこし協力隊に就任。
現在は東温アートヴィレッジセンターにて、とうおん舞台芸術アカデミーのアカデミー長を務める。

~悪場所に咲いたあだ花~

歌舞伎の評論家、廣末保氏の著作に『悪場所の発想』という名著がある。「悪場所」とはかなりいけない感じがするが、江戸時代の遊郭と芝居小屋の二つを指して言っていたようだ。遊郭はなんとなく分かる気もする。だが芝居町や芝居小屋を「悪」と決めつけるのには、多少抵抗がある人もいるだろう。

しかし、かつての赤テント、渋谷の西武裏でやっていた状況劇場の『少女仮面』を観たことのある僕には、その後ろめたいような、それでいてどこかワクワクするような体験は、まさに『いけない遊び』をしている感覚だった。冬の寒い駐車場の片隅に張られた赤テント。冷たい風にパタパタとはためく薄気味悪い真っ赤なテント小屋。確かに「悪場所」と呼ぶに相応しい異相空間を醸し出し、足を踏み入れるのを怖れさせ、それでいて、見てはいけないものを見るきわどさを漂わせていた。

画像1

※忠の仁が所有する『悪場所の発想』著作:廣末保
 
しかも、お芝居を始めて二年目の演劇青年だった僕には、その強烈な舞台の印象が体のどこかに今もへばりついたままになっている。

ところで今年一月、まだコロナの影響がない時期に、三軒茶屋で『少女仮面』を久しぶりに観た。およそ半世紀前に見た感動を追体験したくて観に行ったのだが、完全に裏切られてしまった。当たり前だろと言われるかも知れないが、僕の中のぬぐい切れない想いが足を運ばせたのだ。観た当初は役者の演技に失望した。唐十郎氏が言っていた「特権的肉体論」を具現化してみせていた俳優たち—麿赤兒や不破万作、根津甚八、大久保鷹らの男優陣の凄みに比べて、現在の男たちのなんとも生ぬるい、軽い、空虚な演技。今はもう本物の役者はいなくなってしまったのか!だがよくよく考えると、もしかしてそれは劇場空間の問題ではなかったか。そう、シアタートラムにはワクワク感もドキドキ感もゾワゾワ感も、微塵も感じられなかった。
 
かつて役者は「河原乞食」と呼ばれ、士農工商のさらに下、人間扱いされていなかった。だからこそ何をやっても許されていた。とこらが市民権を得たいがために、もちろん四民平等の考えから、役者の地位が上がり、法律の枠組みの中に入れられることによって、普通の生活が出来るようになった。ただ、それによって失ったものの大きさに比べたら!
 
何かに怯えたように冒険できなくなってしまった役者さん達。型に嵌って面白みのないお芝居。お金に汲々として大切なものを忘れてしまった現状を見た時、出来ない相談だと知りつつも、敢えて言いたい。この東温市を「自由」な演劇が生まれる町にしようじゃありませんか。誰に憚ることなく、自分の思いをぶつけられる空間を作りたいとは思いませんか?反体制的な思想も、倫理観でがんじがらめの教育的思考もいらない。自分の思いや趣味嗜好に忠実な舞台創りを目指したいなぁと強く願う今日この頃です。

        2020.11.21     忠 の 仁

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?