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病というマトリックス マトリックスという病

悪談義(もしくは、善人哀歌)




悪って何だと思う?
それは二元性を言うよ。
「亜」の「心」。
亜とは、「二」のことで、言わば偽物さ。
しかもそれだけではない。
ご丁寧に「心」が入ってるんだ。
つまり、二元性だけではなく、二元性にどっぷりと浸かった心、精神が「悪」なんだ。

「幸せになる方法とかお金が貯まるおまじないとかを大枚をはたいて手に入れても、その中身はカスだったとかね。私も散々引っ掛かったわ」

そうだね。同様に悪にとってたいそう需要があるのが医療利権なんだ。
何せ病人にとって、病を癒すことは最優先課題だろう?
治すと称して治さない。
それどころか、大金をむしり取る。

「二元性の心って二枚舌の事かしら? 善と悪みたいに必ず裏があるやつね。あれ? 悪についてお話ししているはずが、悪だけではなくって善まで出てくるのっておかしいわね」

それは、「悪」が一枚岩ではないことを露呈してるね。
いつもながら漢字はうまくそれを説明してるから恐れ入るな。

それはともかく、面白いことに「病」と一緒で、一般に依然として「悪」の本質はよくわからないものの、その特性は広く知られているね。

1 忌み嫌われる
2 それとはわからない間に、ときに感染(憑依)する
3 ゆえに初期には多く自覚症状がない
4 増大する

中でも、2番目の項目は、見落とし勝ちで、注意が必要だよ。
なにせ、奴は表向き正義面せいぎづらしてるから、惑わされるよ。
奴らは黒装束を纏い、片手に大鎌を持って現れたりしないんだ。むしろ真っ白の天使然としたいでたちさ。

悪(病)の本体は君にはないよ。
それを知ってか知らずに受け入れることで憑依するんだ。

そこにある池に、石を投げる。
その石を「悪」としよう。
石はたちまち水底に沈んでしまう。
水紋が拡がる。
それは悪の余波であって、悪そのものではない。

だがそれは、感染するんだ。
感染は、「信じる」という行為から始まる。
しかし、誰もが自分が、よりによって、まさかの「悪」に感染しているなどとは夢にも思わない。
病になったり、不幸になってもわからない。

✣✣

奴はさも当然のことのようなかおをして、僕たちの近くに忍び足でやって来るんだ。
ニコニコ顔か、妙に神妙な貌をしながらこう聞いてくるのさ。

「悪性○○という病気を知っていますか?」
とか、
「肺炎との合併症で高齢者の致死率は高まります」
「ワクチン接種で予防を」
「お早めに医師に相談を」
とか、
「癌に種類があるのをご存じですか?」
「あなたに合った治療法をぜひお試しください!」
とか、

そこでの「病」はもはや商品だ。

そんなどーでもいい噴飯ものの”言いがかり"をつけて、それは土足で君のリビングにやって来るんだ。
こんなはなはだしい無礼・非礼もあったものではないか?

奴らは、君がやってくるのを手ぐすね引いて待ってるんだよ。
間違っても、「あらら、思い当たる節だらけ、私ってもしかして」などと敵に背中を見せてはならないよ。それが奴らの思う壺だからね。

メディアや行政を通じて、不特定多数にばらまかれた、それは招待状だ。
というより、それこそが令和流の赤紙だということに君は気づかないかい?

「健康診断」「がん検診」「人間ドック」「メタボ検診」「「ワクチン接種」「糖尿病」「高血圧」「婦人病」・・・

選ばれた君に招待状は続々と届くよ。

君の「不安」をネタにね。
そこに「病」というマトリックスが発生する。

✣✣✣

病気って何?
何で私の病気は治らないの?

それは、無知からくるんだ。

断っておくが、無知って俗にいう「アタマが悪い」ということとイコールじゃないよ。
むしろ、「自分は何でも知っている。頭がいい」と思っている人が多いんだ。

なるほど、そんな人のお話しを伺うと、なんでもよく知っていて呆れる。
その人が仮に病気を患っていたとしたら、医者も顔負けの玄人はだしの知識があったりするからね。
病症から罹患のパーセンテージから初期症状から、ご丁寧に致死率に至るまで。どこそこ病院がその権威だの、その病の名医は何先生だの・・・。
ただし、残念なことに、それらの知識はみんな他人の借り物の知識で、そこに自分の考えというものがない。
だから、結局どうするのかと、自分で判断を下せない。

お分かりだろう。
無知の特徴は信じやすいことなんだ。
驚きだろう?
つまり、批判精神がないのさ。
とりわけ自己批判精神がね。

なぜ、批判精神がないのか?
それ(批判=考えること)が悪いことだと信じているからだ。

なぜ、信じているのかだって?
そのような教育を受けてきたからなんだ。

〈言われた通りやってりゃいいんだ!!〉
なんたって、首を縦に振った方が得だって言うものまでいるから呆れたもんさ。正邪の代わりに損得が人生の指標ってわけ。

教育指針はこうだろう?
〈反抗したり、聞き分けのないものは、排除するか無視をしなさい〉

では、なぜその様な教育をする者がいるのか?

それは、そのものがそのような教育をするように洗脳されてきたからだ。
しかもそれでサラリーをもらっているんだから足を洗えない。
サラリーは口止め料ってわけ。

「・・・」
「それって、もしかして奴隷?」

そう、僕たちは少なくとも奴隷になるように常に仕向けられているのさ。
支配側にとって都合の良い人物像。
何でも言うことを聞く素直な人間。

奴らの作った理想像はまさしく奴隷制度だよ。
その証拠に上も下も奴隷だらけだからね。

「それは分かったわ、でもそれと病気とがどういった因果関係があるの?」

同じことさ。
君はまさか病気というものが自然発生的に生じるとでも思ってやしないね?
いいかい?
「病」というものは、そもそも神聖なものだったんだ。
なぜなら、それは、軌道を外れつつある人間の生き方への(神の)警告だからなんだ。

「癌」というとみな眉をひそめるが、もし癌という病症がなかったら、何の予告もなく人は死を迎えることになる。
だから癌でもなんでもそれは本来有難いものなんだ。
教えてくれて、そのおかげで僕たちは軌道修正ができたんだからね。

悪はそこに目を付けたさ。
「病」をやっつければいいとね。
出来れば消し去ってしまえとね。
それが、医療制度だね。

人間界ではロックフェラーが手綱を握ったもんだ。
もちろん奴らも奴隷にしか過ぎないがね。

(「憎まれっ子世にはばかる」とはうまくいったもんだ。業突く張りなエゴイストには、神も警告を出しやしないさ(笑))

✣✣✣✣

まあ、その問題は置くとして、大事なことは、悪というものは大方の人間が考えているその先を行くほどに徹底しているということさ。

ほとんど誰もそれを理解できない。
なぜかというと、僕たちはみな甘すぎるからなんだ。
甘すぎるということは、みんな善人だからさ。

僕たちはある臨界点を超えないまでは「ゆるす」という行為ができる。
「悪」はその特性を利用するんだ。
ほぼすべてにわたる人間の美点、良心、寛容さ、優しさ、思いやりといった徳性は、みな悪に利用され、蹂躙じゅうりんされてきた。

「医療」というものが神聖なものであることは、いうまでもないだろう?
ただし、それには「本来の字義通りのものであったとき」という注釈が必要なんだ、特に現代医療にはね。

当然、生命を預かる医療の世界は、「悪」の格好の住処すみかなんだね。政治や宗教、教育機関、シンクタンクなどと同じように。
その実態を知るものは、そこが地獄以外の何ものでもない現実をよく知っているよ。
彼は言うだろう。
とても、その世界に小指一本でもゆだねることはできんとね。
(面白いことに、最近では、同じ医者の中でもそんな内部告発じみた発言をするものも現れてきたよ)

君は、もしかしてその病が治らないのは、「最先端の医療や懸命な努力でも対処できないほどに複雑で込み入った病なんだから仕方がないんだ」なんて思っちゃいまいね?

まして、「前世の悪因縁を浄化・解消しているんだ」なんて妄想を信じちゃいないよね?
(そんなことを考え付く輩は、よっぽど今生こんじょう怨恨えんこんを持ったものに限る)

すべてなるようにしてなっているだけだよ。

「私たちは絶対に治さないし、治さないための努力を惜しまない」

当事者には、その事情を知っているものもいるし、知らないで毒を調合しているものもいる。
つまり、そんな連中はカネで雇われた確信犯と無知のエリート集団ってわけさ。
みんな悪の配下さ。
いずれ一人残らず「お縄」だけどね。

人の命を預かるものが、わざわざそんな行為をするわけがないと善人は思う。
そりゃあ僕にしたって、驚きさ。
でも、考えてもみたまえ。
慈善団体や宗教団体のほとんどが、善意の人々で支えられていながら、トップ層はそれを餌に肥え太っている事実を。

その真相は、君が善人の仮面を外したときに初めて見えてくるよ。

✣✣✣✣✣

実は僕は、そんな世界あんな世界にもう興味ないんだよ。
とっくの昔に種明かしはおしまいだからさ。
種が分かっている手品なんてつまらんだろう?
それに、その上にさらに壮大な、想像を絶するイリュージョンがあるんだからね。

僕らはいい加減、”善人ごっこ”をやめようよ。
賢い振りもやめた方がいい。それはお恥ずかしいことだからだ。
僕らはそもそも宇宙についてなどほぼ何もわかっちゃいないんだからね。
宇宙についてわからないものが、それに細大漏らさず内包されている地上世界の、何が一体分かったというのだろうか?

無知とは、何も知らないもののことを言うのではないよ。
「自分が何も知らない」ということを知らない傲慢さを言うんだよ。


無知でなければ善人などにはなれない。
第一、いったい誰に対しての「善人」なんだ?
悪党に向かって、「私はこの通り善人でございます」と懇願するような失態はもはや笑えない。
まして、神に向けてのそれであれば自画自賛うぬぼれにすぎる。
善人は、すなわち「飼いならされた羊」だ。

必要なのは、憐憫ではない。怒りだ。腹の底から湧きかえる憤怒だ。

99パーセントの”善人”は、僕の述べていることを嘲笑するか、無視するか、臭いものには蓋式に、見て見ぬふり(見ざる聞かざる)をするだろう。
針小棒大に、一のものを十にも百にも引き延ばしているかに見えるだろう。

構わない。
他人はどーでもいい。
ただ君だけは”お隣と同じ善人”を止めて、素の自分に戻らなくてはならない。

でなければ、わずか1パーセントの寡頭かとう勢力でしかない「悪」が、しかし99パーセントの「善人」を洗脳支配している現実を、いったいどこの誰に訴えればよいのか?

それは善人の「君」にではない。
君のなかに眠る「生来の君」そのものにしか僕が呼びかけるものはいない。



※この項は、「治せば治らず治さなければ治る」の続きです。


「疾病」というもう一つの戦争

まだるっこい抽象論に見えるかもしれない。
病のお話しがなぜに「悪」の話になるのか?

病は治りさえすればいい。
知りたいのはその手立てで、それ以外は蛇足だ!
その通りだろう。

しかし、少し立ち止まって考えてほしい。
なぜに多くの病が治らずに”温存”されているのか?
医学が治せないからなのか?

そもそも「病」の原因、成り立ちが不明で、どうしてそれの治療が可能なんだろう?
前回も書いたが、病症を消し去ろうという対症療法で治ったのは「症状」であって、病そのものではないのではないか?

医学が長足の進化を遂げていることを認めるにしても、なぜ「病」まで進化しているのか?

いったん、医療の手にかかった「病」は、別のものに変異している。
癌がいい例だろう。
抗がん剤や放射線を投与・照射された患部が従前のものとは違うものになっていくことは素人でもわかることだ。
おまけに、仮に病症が消えたとしても、生命力まで消えたのではもはや冗談にもならないではないか?

だから自然医療でも、幾重にも現代医療の手にかかったそのような癌は治りずらい。


世界に冠たる食品添加物王国日本

あらゆる病の「原因」は、次のものの摂取にある。
いや、正確には原因ではなく、「要因」というべきかもしれない。

1、甘いもの(砂糖、果物、人工甘味料など)
2、肉(とりわけ四つ足などの獣肉、マグロなどの赤身の魚肉)
3、食品添加物・化学調味料・合成保存料などのケミカル
4、遺伝子組み換え食品
5、乳製品(牛乳・ヨーグルト・チーズなど)
6、加工油脂(トランス脂肪酸など、市販の油やマーガリンの大半)
7、アルコール類の多く
8、インスタント食品

まだまだ、たくさんある。
これらを含む市販の飲食品は、多くの疾病の要因になるものが多数ある。

え?
そんなことは知っていますって?

そう。
昨今の賢明な消費者は、なるべく身体に悪いものを遠ざけるような予防線を張っているものだ。

しかし、そこはさすが先進国・日本。
そんなか弱き抵抗をせせら笑うかのように、今や認可された食品添加物の種類たるやアメリカ合衆国の7倍、堂々の世界一位というデータもある。
つまり我が国は世界一規制に緩いという、まさに添加物王国である。
しかも、あろうことかその含有表示義務を緩め、いったい何がどれだけの量含まれているかすら雲散霧消うさんむしょうさせる始末。

欧米はじめ世界各国で販売が禁止されているモンサント社の除草剤「ラウンドアップ」が、しゃあしゃあとやかましいCMを流し、堂々と店頭に並ぶ国だからこそ可能なそれは”快挙”である。

あなたは、これでもまだそこに剝き出しの牙を認めないだろうか?

現在の日本の添加物認可数

・指定添加物:約400種類
・既存添加物:約400種類
・天然香料:約600種類
・一般飲料物添加物:約100種類
約1500種類です


海外は

・アメリカ:133種類
・ドイツ :64種類
・フランス:32種類
・イギリス:21種類
 です、いかに日本が多い事か?

名古屋で人気の宅配弁当!vegefirst様より引用

かつてアメリカのジャンクフードを笑っていた日本ほど、いまやジャンキーでクレイジーな国はない。

そんな哀れな日本の台所(スーパー)では、主婦たちは家族の健康のために少しでもと、食品のラップを裏返しては、そこに添付されたラベルをチェックしてみたりする。

しかし、その細かい原材料や添加物表示をいちいち確認している段階で、彼女たちははすっかり「うつ」になってしまうだろう。
実際、逐一その毒性などの有無をチェックする作業は、現実的に無理である。
しかも、国産の、なるべく添加物の少ないものを購入するとなると、驚くほど高値である。

これでは、「私たちが食べるものなんてないじゃない・・・」
と、途方に暮れるほかないのかって?

残念ながら、その通り。まともな人間が食うものはほぼないに等しい。
先にいったように、これが戦争による飢饉の新しい形なのだから。
それは生物学的な戦争で、大げさにではなく、私たちはまさにサバイバルの渦中にいるわけだ。

自覚症状がないままに・・・

しかし、私がそれ以上に危険視するのは、化学的な添加物や甘味料などのメンタルに及ぼす影響である。
うつ病などの自覚症状のある病は置いておいて、自覚症状がない状態のそれである。

それこそが、判断力(批判能力)の麻痺である。
よく耳にする、
「みんなが食べているから、飲んでいるから」
「TVで放送していたから」
「○○さん(芸能人)お勧めだから」
「やめられないから」
「少しくらいいいだろう」
「疲れた時に砂糖は脳にいいって」
「スタミナをつけるには肉を食わなくっちゃ」

そうした判断力の喪失、またはご都合主義的な判断が、時には「悪いと知っているがやめられない」という状態を正当化したりもする。

「魔の手」は、どこかの国同士の戦争や、凶悪事件のような有事にのみあるのではない。
むしろ、それらの出来事が、「悪」があくまでも遠くにあるもののように見せかけるといった偽旗的なケースすらある。

悪魔は、ごくごく身近にいる。
悪がだれに感染するかだって?
それは悪人にではない。
善人一択だ。

つまり、99%という大勢を占める私たち被支配者構造は、私たちの判断力が作っているわけだ。
もっと言えば、私たちは、率先して1パーセントのきわめて少数の支配層の餌食になっている。
悪は、今日も、そのような人々(個々の国民)の判断能力の弱さに巣くう。

「病」「薬」「医療」の三位一体

おかしなことだが、スーパーや外食店などで私たちが日常に見かける光景は、実は生物学的な戦争状態を象徴している。
繰り返すが、相手のやり口は無知や過失、またはやむなく、という理由からではない。知っていて積極的に仕掛けてきているのだ。

「食品産業」を踏み台に、
「病」⇒「薬」⇒「医療」とみごとな連携。

我が国の癌利権は、国防予算を遥かに上回る15兆円だとか。高血圧や糖尿病などの成人病の利権も膨大な額である。
これらはまともであれば、断じてあり得ない数字である。
ご興味おありの方は、さらに深く探っていただきたいものだ。

既に書いたように、病の材料は、マーケットにいくらでも転がっている。
飲食物も、その添加物も、保存料も、食品流通のためなどという大義名分を隠れ蓑に、実は健康を阻害するという悪意の目的のためにわざわざ汚染させているのだ。
つまり、私たちは普通に生活しているだけで病人の候補生になっているわけ。
さらにバックドアには、公的な半強制力を持つ現代医療がスクラムを組んで待っているという寸法。
そのからくり。
まさに誰もが疑問に思わないようにシステム化された、それは”公然たる陰謀オープンコンスピラシー”そのものではないか?

そうした危険食品を口に入れるのに何ら抵抗がないような「洗脳」は、TVなどのメディアで、さんざん喧伝され続ける。
さも平和で明るい団欒風景や、お馴染みのタレントを起用した飲食シーン、かわいらしいマスコットキャラクターや、ゆるキャラ総出演のグルメ番組・・・。

「洗脳」というと、一般になにやらヘッドギアでも被ったカルトめいたイメージを想起するが、いやいやそれは、かわいらしく、楽しく、ユーモラスな、さながら羊の皮をかぶった狼といった態で行われる。
そんな明るい背景で白昼堂々と我々の脳を蝕むものである。

日常の飲食物こそが、健康のほぼすべてを左右することは自明の事実である。
しかし、その選択は、我々個々の判断力に委ねられる。
つまり、問われるのはまともな判断力ということになる。

とんだご冗談のようなお話しだが、食品添加物の表示をぼかす意図は、「無添加食品の方が身体によいというイメージを与えがちだから」というある官僚のお偉いさんの思惑からなんだそう。なんという慈悲深くも自由・平等・博愛精神に富んだ見解であろうことか。

日本が終わるとかではなく、終わっている事実がこの一事で物語っている。

この例を挙げるまでもなく、突き詰めれば、蔓延する「判断力の喪失」というメンタル次元・思想次元にこそ病根はある。

つづく



あとがき

本編は「病」についてのシリーズ第二弾です。

あえて書き加えるまでもないことですが、ここで扱っている問題は医療や食品産業に巣くった「悪」そのものであって、そのような業界に従事しているすべての方々に向けてのものではないことを改めて記しておきます。
どの業界にも光を保つために献身的な努力をされている方は少なからずいるものです。
新たな世界では、このように腐敗した既存の構造は刷新されて、純粋に人類の明るい未来を切り開くようなものになるでしょう。

刷新するためには、どのような世界でも、何のどこがどのようにおかしいのかを知らなくてはなりません。

しかし、この地球という惑星は、あまりにもおかしなこと、理不尽なこと、不条理なことにおおわれすぎていて、逆に何が真実で何が光であるかを見極めづらいことになっています。

そのこと自体”おかしな(不自然な)こと”ですが、そこで一番大切になってくるのは、日常、私たちがさも当然のように思っていることや行動していることが、果たして正しいことなのか? もしくは自然なことなのか? という批判精神(識別力)ではないでしょうか。

その真偽をはっきりとさせることが急務です。

一旦、すべてを脇に置いておいて、自分の心に素直になると不思議にいろいろ見えてきます。

「もし自分が赤ン坊や幼児だったら、この世界は一体どんなに見えるだろうか?」

そこから始めようではないですか?













東洋哲学に触れて40余年。すべては同じという価値観で、関心の対象が多岐にわたるため「なんだかよくわからない」人。だから「どこにものアナグラムMonikodo」です。現在、いかなる団体にも所属しない「独立個人」の爺さんです。ユーモアとアイロニーは現実とあの世の虹の架け橋。よろしく。