漫画学とドラマ理論第20回

漫画学とドラマ理論第20回


①     「天才たちに勝つ方法」

 結論から言うと、「ない」。しかし凡人なら凡人の戦い方がある。昔、小学館には亀井さん、集英社には堀江さんという天才がいた。どう考えても太刀打ちできない。


②     「小学館の天才」

 私は漫画を読んだこともないのに月刊少年マガジンに配属された。毎日受験勉強のように漫画を読まされた。ある日、編集部から逃げて図書館で寝っ転がってサボっていたら、大昔のマガジンが眼に入った。めくってみると変なことに気が付いた。「小山ゆう」さんとか「あだち充」さんが何故か少年マガジンに載っているのだ。小山ゆうさんは少年サンデーで「がんばれ元気」などヒットを飛ばしている。またあだち充さんは「みゆき」だとか「タッチ」を小学館でヒットさせている。不思議だったのでオジサンたちに訊いたら、二人は元々少年マガジン出身の漫画家だった。「えーーっ!そうなの!」という感じだ。

 ある時、あだち充さんと小山ゆうさんの小学館の担当者の名前がわかった。亀井さんだ。不思議で仕方がない。講談社では売れないのに何故小学館だとヒット作を作るのか。

どう考えてもキーパーソンは亀井さんだろう。調べると、この亀井さんという人はやたらヒット作がある。

 この人は元々脚本家なのだ。学生時代、倉本聰さんと一緒に脚本を書いていたと聞いている。つまり元々プロなのだ。これではかなうわけがない。



③     「集英社の天才」

 ご存じだろう。少年ジャンプ最高部数653万部の時の編集長になった人。堀江さんだ。「キャッツアイ」とか「シティハンター」は理解できる。問題は「北斗の拳」。一年前の同じ原哲夫さんの「鉄のドン・キホーテ」とはえらい違い。同姓同名の別人かと思った。話も全く違うが、絵が違う。ビックリした。しかもあの演出だ。俺には無理だと愕然とした。

 「経絡秘孔」は実は知っていた。「鉄拳チンミ」で使おうとしていた。しかし、ああいう演出は考えもしなかった。だいたい経絡秘孔なんて日本語はなかったのだ。あれは針鍼灸師当たりしか知らない専門用語なのだ。私は針師の友人に聞いて知ったのだ。

 この人も原作までできる人で有名だった。誰に倣ったんだろう。たぶん編集長の西村さんだろう。西村さんは梶原一騎さんの担当が長かったから文体がわかっているはずだ。

 後年、コアミックス社の社長になる人だが、あるとき遊びに行ったら原作を書いていた。堀江さんがちょっと席を外しているすきに見たら、やはり私も習った梶原一騎流のだった。

④     「凡人たちの闘い方」

 小学館や集英社には、亀井さんや堀江さんみたいな天才がいるが講談社にはいないのだ。ではどうするか?

 とりあえず第1話を考えた。作品が成功したかどうかは第1話でほぼ決まっている。図書館で気が付いたのだがジャンプは連載の第1回目が50ページ以上使っていた。今はどこも当たり前だが、昔はそうではなかった。30ページ前後で始まって第2話目は通常の18ページか20ページになっていた。30ページ程度だと設定を説明しているうちに終わってしまう。マガジンやサンデーは何でジャンプの真似をしないんだろうと疑問だった。

 第1話に50ページ以上使えれば設定を説明し、かつ物語も進行させることができる。

まして月刊誌となると、次は1か月後なのだ。読者は忘れるとは言わないが記憶は薄れる。月刊少年マガジンにいる時に、第1話は50ページ以上、時には100ページにした。週刊少年マガジン立て直しの際には、まるっきりジャンプ方式で50ページが第1話の基本になった。

 ここまでは「量」の話だ。「質」が一番大事なのはわかっている。パッといきなり第1話の設定なんか浮かばない。そこで自分が経験した面白いこと、面白いシーンを片っ端から思い出すようにした。ワンフレーズのギャグでも何でもいい。最初は思い浮かんだことをメモしまくった。バラバラ、断片的だろうが何だろうがとにかく浮かべて書く。

今まで見た映画やテレビでも何でもいいから書く。そんなことをしている時が付くと思う。だいたい「怒り」「笑い」「はらはらする「わくわくする」など、おおよそ「喜怒哀楽」に関与した事柄になる。要は「ネタ」だ。

 「緊張」。これが一番頭を悩ませる。前述したネタをたくさん持っていても、それを単にダラダラ描いても面白くならない。緊張をもたらす「装置」が備わっていないと面白くならない。

 ある時上司が「石井、イクラを食うと透明人間になっちゃうとおもしれえだろう」と言ってきた。何を言っているのかわからない。そりゃ、男だったら一度は透明人間になってエッチなことをしたいとは思うが、それだけでは物語は成立しない。眉間にシワを寄せて考え込んでいると、上司が怒りだして「面白いんだよ!」と怒鳴る。意味がわからない。しばらくして上司が私のところにまた来て、

「イクラを食うと透明人間になるとするだろ、だけど興奮するとだんだん体が見えてきちゃうんだ」

「なるほど」と思った。透明人気になってキレイな女の子がお風呂に入っているところに堂々と入れる。しかし女の子の裸などを見たら興奮する。そうすると興奮度に応じて体が見えてしまう。エッチなことをしたいが、エッチな気分になるとバレるという設定。

「緊張」は成立する。これが「oh 透明人間」という漫画でバカ売れした。

 エロ漫画は簡単に売れるという人が今でもいる。しかし結構難しい。エッチなおねえさんの裸だけ見せていれば男は興奮するかというと違うだろう。AVだって、『予約のまちがいで美人女上司と一室に泊まる』とか『若い美人義母と二人きり』とか、設定をタイトルに織り込むことが多くなった。演技は置いておいて、確かに緊張感のある設定ではある。余談だが、山田五郎君はNTR、つまり「寝取られ」という設定が好きみたいだが私には理解できない。


 上司は私の反応を見て怒鳴ったが、これはまずいと思って他の人たちにも意見を求めていた。凡人の戦術は「複数で考えること」だろう。集英社や小学館の天才は一人で考えることができる。我々凡人はなかなか一人ではうみだすことはできないのだ。だったら横にいる人にでも相談したほうがいい。意外に二人以上になると「緊張感のある設定」が出てくるようだ。もちろん漫画の種類にもよると思うが、我々には他に方法はなかったのだ。

 要は新選組のように相手が一人に対して二人で闘うようなものだ。ただ二人いるだけではもちろん勝てない。二人が伴に闘わなければ勝てないだろう。いつの間にか「複数担当制」のような外見になってしまった。

 まず自分たちは凡人だと認識して、次にそれではみんなで知恵を出し合いましょう。これが凡人の闘い方の一つだろう。別にサークル活動をしているわけじゃないのだから「批評」だの「批判」なんて要らない。「対案」あるのみになる。いわゆる「ブレイン・ストーミング」方式になる。もっといい方法あるのかもしれないが、時間の制約もあったので、こういう方式しか浮かばなかった。

 しかし成功したと思う。苦しんで、ああでもない、こうでもないとやっていたが、方法論は今でも間違っていないと思う。


⑤     「今一度、黒澤明に学ぶべきだ」

 『天国と地獄』という映画がある。当時世界中の人がビックリした映画だ。誘拐がテーマだが、犯人は金持ちの被害者の子供ではなく、間違えて運転手の息子を誘拐する。そこで身代金の要求をしてくる。もうこれで視聴者の心は鷲づかみだろう。被害者の金持ちはどうするのだろうと先が気になる。

 この設定は黒澤が小説を読んで思いついたのだが、脚本には黒澤以外名前が並んでいる。複数で共同制作だ。おそらく、ああしたほうがいい、こうしたほうがいいというミニ会議を年がら年中やっていたと思う。

 この手の誘拐もので一番重要なポイントは「身代金の渡し方」だ。これも助監督からライト係まで呼んで、黒澤は一緒に考えている。

 黒澤ほどスケールは大きくないが、我々凡人マガジン立て直し部隊はそれをやった。そして売れた。

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