駐輪場のおじいちゃんが好きだ

私は、駐輪場のおじいちゃんが好きです。
という、21歳の告白。

いや、勿論恋の対象として好きなのではなく、なんというか、親戚のおじちゃんに懐くような感覚の、好き。

ここで言う駐輪場のおじいちゃんとは、自転車の整理だとか、取り出しにくい場所にある自転車を取り出してくださる、あらゆる駐輪場にいるおじいちゃんスタッフだ。

私はそのおじいちゃんが好き。

駐輪場に毎回同じおじいちゃんがいるわけではないから、個人を指しているのではない。でもいついるおじいちゃんも私は好き。

ここまで私は好きしか言ってないが、まあ好きなものは好きなのだ。

駐輪場のおじいちゃんは、ちょっとした怠惰という名の贅沢と、愛をくれるから。

例えば、本当に取り出しにくい自転車であればありがたいという言葉にしか尽きないが、自分で少し工夫をして少し力を出せば取れるような自転車も、おじいちゃんは取り出してくださるのだ。

私はそのとき、自分でやろうとすればやれることを人にやってもらっているという「甘え」に贅沢感と心地よさを感じる。ちょうど小さいときに親に甘えて抱っこをせがみ、そして受け入れてもらえたときのような心地よさ。覚えてないけど。そういう類の心地よさだと私は考えている。当時は甘やかされているという自覚はなかったからこそ今、贅沢感を感じるのかもしれない。

そして、私が自転車に乗って出発するときにはおじいちゃんは必ず「いってらっしゃーい!」と言ってくださる。名前すら知りもしない他人を言葉で送ることができるなんて、それはもう愛でしかないのではないか。おじいちゃんの、あらゆる人間に対する愛。自分で取り出そうとすれば取り出せる自転車を取り出してくださるのも愛だと思う。

いや、それがそのおじいちゃんの仕事なのだから愛もクソもないのよと言われてしまえばそれまでだけど。けれど、私はそれを愛と捉えてあぁおじいちゃん好きだなぁと思える人でありたい。

私は、駐輪場のおじいちゃんが好き。
私たちを甘やかして愛してくださる全国の駐輪場のおじいちゃん、いつもありがとうございます。