189.売る物も持たずに
緊張している訳ではないが、プレッシャーは感じる。
失敗は許されない。
僕は重要な使命を帯びて、近所に新築された保育園に向かう。
今日はその保育園のクリスマス会で、僕はサンタクロース役を仰せつかっていた。
事前の手はず通り、子どもたちに顔を見られないよう裏口から入り、エレベーターを使ってホールへ直行した。
「今日はよろしくお願いします。」
控え室で僕を待ち構えていた先生たちに手伝ってもらいながら、衣装に着替える。
白い髭もたくさん顔に貼り付け、ほとんど目の部分しか見えなくなった。
支度が済むと、子どもたちがホールに集まる前に、僕は暗幕の後ろにスタンバイする。
やがて子どもたちが集まり、ホールの照明は落とされ、スクリーンに紙芝居が映し出された。
こそこそと暗幕から抜け出た僕は、スクリーンの後ろで息を殺す。
クリスマスイブの夜を舞台にしたその紙芝居がクライマックスを迎え、先生のアイコンタクトに合わせ、いよいよ僕は用意していた鈴を鳴らす。
シャンシャンシャンシャンシャン。
「メリークリスマス。」
両脇の先生が一気にスクリーンを下げると、サンタクロースに扮した僕が両手を挙げて登場し、ホールは割れんばかりの歓声に包まれた。
ああ、良かった。
僕の仕事はほとんど終わったも同然だ。
後は、先生たちの進行に身を委ねる。
子どもたちにプレゼントを渡して回ったり、並んで写真撮影をしたり。
合唱を聴かせてもらったり、ジングルベルの曲に合わせて先生とダンスを踊ったり。
「サンタさんは、他の子どもたちにもプレゼントを配りに行かないといけません。みんなでお見送りしましょう。さようなら。」
子どもたちに向かって大きく手を振りながら、僕はホールを後にし、これで任務は完了だ。
「本当に助かりました。去年までは恰幅の良い自治会長さんがやってくれていたんだけど、もうお歳でね。今年はスマートなサンタクロースだったわ。」
着替えを終えた僕は、控え室で園長先生と雑談をしている。
「いやいや、僕なんて何も。保育士の先生たちはすごいですね。子どもたちを乗せて、盛り上げて。」
「そういう仕事ですから。」
「手に職、ですよね。羨ましいです。自分の売り物を持っているということが。」
「会社勤めの方も立派ですよ。」
「事務屋なんて潰しが効きません。自分だけの売り物を持っている方は、周りの環境が変わろうとも、自立していけるんだと思います。」
「うちの保育士たちは、よくやってくれています。」
「本当に。あちら側にいる方は強いなと、僕はただ感心して眺めているだけでした。」
最後に、僕は子どもたちに混じって給食を食べさせてもらうことになった。
2歳児クラスの子どもたちは、さっきサンタさんに会ったのだと、無邪気に話しかけてくる。
そんな中、ひとりの男の子が僕を指差して近寄ってきた。
「お兄さんがサンタさんだよ。」
ぎくりとする。
「だって、同じ眼鏡を掛けているもん。」
いつもお読みいただき、ありがとうございます。 「人生が一日一日の積み重ねだとしたら、それが琥珀のように美しいものでありますように。」