小川和佑『伊東静雄』(講談社現代新書)は古書店で何気なく手に取って購入したものだったが、思いのほか興味深い内容で、しかも新書という性質から一般人・初学者にもわかりやすく書かれていた。特に彼の人間関係に着目しながら、抜き書きを作りつつ読んだ。
昭和初期から戦後にかけて詩人として活動した伊東静雄(1906~1953年)は、長崎県諫早市の出身。旧制佐賀高等学校を経て京都大学文学部国文学科に進学し、在学中から詩を作り始める。後に友人関係となる蓮田善明とは同じ九州の出身であって、親密になるには同郷のよしみということが大きかったかもしれない。
その後は大阪で教員をしながら詩作を続けた。「日本浪曼派」の中心人物だった保田與重郎に才能を見出され、また、萩原朔太郎から激賞される。
しかし20代の半ば、父親の死によって伊東静雄の生活は一変した。長兄がその四年前に世を去っており、一家の家長となって責任が重くのしかかった。のみならず、一万円とも三万円とも言われる父の負債を相続したことにより、「生活者」としての自らに向き合わざるを得なくなる。そして生活に恵まれた詩人たちとは異なる、「鎖された人生の代償」としての詩が突き上げて来る。筆者は一貫して、静雄の詩の原理を、この生活者としての辛酸からの解放ないし止揚に求めている。
その後、静雄は雑誌『コギト』や『日本浪曼派』に詩を投稿しつつ、詩人としての生活を続けていく。そうした雑誌とのかかわりや人間関係において、伊東静雄のイメージが形作られてきている。すなわち彼は苛烈なナショナリズムを宣揚して戦争精神を鼓舞したと理解される「日本浪曼派」の代表的詩人であると理解され、例えば2022年7月23日現在のWikipediaにおいても、「当時日本浪曼派の代表的な詩人としてその機関紙の同人でもあり、評論での保田與重郎と並び同時代に多大な影響を与えた」と書かれている。通俗的な説明では、彼を語るに保田與重郎と日本浪曼派が切り離せないわけである。そしてそれらの言葉のイメージから、強烈なナショナリストあるいは戦争唱導者の刻印からもまた逃れ得ないということになっていた。
しかし、1980年に刊行された本書において、筆者はその属性から極力離れた詩人としての存在を評価したいとの熱意をもって彼を描いた。本書には「日本浪曼派」一辺倒で論じられていた伊東静雄を解放に導きたいとの意欲が満ちている。
例えば、以下に引用した部分のいずれもが、徹底的にその従来のイメージを払拭あるいは解放するためのものとなっている。(太字は全て引用者。)
なお、上記に示されている竹内好の評について、単行本『方法としてのアジア』を所有していないので伊東を「一言のもとに否定」した文脈は不明である。念のためちくま文庫の『日本とアジア』に収録された講演記録「方法としてのアジア」を確認してみたが、そこには言及がなかった。
「日本浪曼派」の参加者をいうならば、例えば太宰治が創刊当時からの同人であり、萩原朔太郎は翌年に同人となっているが、萩原朔太郎や太宰治と聞いて真っ先に「日本浪曼派」のイメージを想起する人間はそれほどいないと考えられる。それは活動した時代の幅や、作品のイメージなどの違いに起因するかもしれない。伊東静雄が語られる際には、常に「日本浪曼派」の刻印が押されていることも確かであり、先に引いたWikipediaのように、そうした傾向は現実として今なお残っている。
そもそも「日本浪曼派」という名称の文学運動が、あるひとつのイズムであるかのように、これまで文学界や思想界で使われていること自体が怪しい事態であるが、いずれにせよ詩人としての伊東静雄は、浪曼派を肯定したい人々にとっても否定したい人々にとっても好都合な詩人の位置に座らされている。ある面でそれは、彼の詩が多義的な魅力を備えていることの証左でもあるかもしれない。
しかしこの著作はそれを不遇とみて、伊東静雄と「日本浪曼派」との距離を重視し、その軛から解放しようとした。なかば通説となっている見解に挑戦したことに、強く印象付けられた。
伊東静雄の人間関係ということではもうひとつ、三島由紀夫との関係が興味深い。三島と伊東静雄の関係は、特に静雄側からの詳細が判然としないまでも、とても複雑なものがあったようだ。三島は10代の頃、昭和18年から19年にかけて、『文藝文化』誌に伊東静雄に関する文章をいくつか書いている。そのうちのひとつに「古座の玉石―伊東静雄覚書」があって、「伊東氏はもはや、あの王朝のかずかずの雅話にみられる瞬時にして交はされる虹のやうな贈答歌を一巻の詩集の上に思う隈なくゑがきつくしてゐるのである」と賛美した。
このように三島は静雄を尊敬したにもかかわらず、静雄のほうは三島を俗物扱いして嫌っていたようで、そのことを知ってから、三島にとって伊東静雄は愛憎相半ばする存在になったようだ。
そうして、三島はやがて以下のように書くようになる。