【エッセイ】大人の余裕

 1人で外食。これは高校一年生の私にとっては大人がすることであった。今考えれば何らたいしたことはないのだけれど、友達とも、家族とも、一緒に行かずに1人で店を決めて、1人で注文をして、1人で店を出る。もちろんお会計をして。それも1人。これはちょっとした大冒険であった。行くのはイタリアンレストラン?コースを出すお店?高級寿司屋?外食というとそういうファンシーな店ばかり思い浮かんだが、高校生が行くのはだいたい決まっている。ラーメン屋一択。それも通学路沿いにある店。それでも緊張していたのだからうぶだった。

 はじめて一人でラーメン屋に入ったときは、とりあえず周りの大人の真似をしてみる。ガラガラと戸を開け、慣れた感じでうつむき加減に“1人”といって人差し指をたてる。これがマストの行動であることを観察して学んだ。さあ行こう。ガラガラ。“1人”。無視された。これは全くの想定外。私は緊張真っただ中だったから“すいませ―ん”とも言えない。ただひきつった笑顔を店員に向けているだけである。頼む、気づいてくれ。そして私を席に案内してくれ…。
 みせしめは続く。1分くらいしてからだろうか。店員がぎこちない笑みを浮かべた少年が入り口付近でたたずんでいるのにやっと気づいてくれて、席へ案内してくれた。そんな案内された席はカウンターで両隣には大きなおじさん。たまに大きな咳払いをする。むしゃむしゃいう。肩が当たりそう。これが人生で初めてのカウンター席。あまりにも刺激的なカウンター席デビューだ。そこからの記憶はほぼない。ある記憶といえば店員を呼ぶときに“すいませ―ん”という声が裏返ったくらいであろうか。そこから記憶は途切れ、その店を出た瞬間に飛ぶ。あの解放感といったらなかった。

 情けない一人外食デビューではあったが一回経験してしまえばもう怖いものはない。だいたいこんなもんだとコツはつかめた気がした。それからというもの、いっぱいラーメン屋に一人で行った。初の一人外食から半年くらい経った頃、私は完全に慣れ切っていた。新しいお店にも入ってみて、ガラガラ、“1人”、を多少は緊張しながらだけれど、何のためらいもなくやっていた。

 そんなある日、学校終わりに新しくオープンしたというラーメン屋に行った。その店は立地的にあまり人が集まるわけでもないし、私自身ランチタイムからずいぶんとはずれた時間に行ってしまったから、店の中を覗いてもほぼ人はいなかったが、もう臆することはない。
 ガラガラ、“1人”をし、席へ案内された。順調だ。店員からこいつ、緊張しているな?と思われると恥ずかしいから、すこし大きな態度をとってみた。荷物をゆっくり置き、お冷をちょびっと飲む。そしてメニューを開いて吟味する。ここでポイントなのが、メニューを開いた後に一回大きく息を吸い、吐くことだ。これが私の余裕を演出する。結局店の一番人気だというものを注文。もう“すいませーん”の声は裏返らない。ラーメンが運ばれてくる。私は微笑を浮かべ、“ありがとうございます”という。そうだ。これも余裕の演出。あとは一心不乱に食べ、お会計。調子に乗って“ごちそうさま”なんて大きな声で言って、店の外へ出た。
 
 今回は随分と余裕を持って過ごせたんじゃないか。きっと店員も自分を大人の客と思ったはずだ。なんてにやついていたのもつかの間。
「お客様!お客様!」なんだと思って後ろを振り向くとさっきのラーメン屋の店員。その手には私の体操着袋。「お忘れ物です。」と学校名、名前が書かれた体操着袋を渡してくれた。そうだった、私は学ランを上のボタンまでぴっちりと閉め、体操着袋を持ってラーメン屋に入ったんだった。そんな奴が余裕を演出して…。紅潮した顔はそれからしばらく戻らなかった。

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