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自分が凡人である事を認めたら、ようやく人生が好転した

大いなる自分語りとはなりますが、私は「出来る人間である」→「それは大きな勘違い」を繰り返し繰り返し、もともと挫折癖のようなものがありました。

タイトルにもありますように「自分がなんてことない普通の人間である」ということを認めたら、ようやく人生がちょっとだけ上手くいくようになった。という話しです。

独立系のコンサルタントとして、一応今までの12年間は何とかご飯が食べられているので、今回はそのことについて書いてみたいと思います。


勘違いが生んだ悲しき男

私の世代は、いわゆるロスト・ジェネレーションです。まさに就職氷河期でした。

同世代のみんなも就職には苦労して、私の学歴クラスに限った話ではありますが、希望業界・希望職種に就ける人間はほんの一握りでした。

就職が決まらずに、フリーターや派遣社員になる同世代も多かったです。

ただ、派遣の給料もこの時期は高かったこともあり、新卒以上の給与を貰っている人間もいましたので、あえてそういう選択をしたパターンもありましたが。

私については、そもそもアパレル業界という、もしかすると他業界と比較すると競争率は低かった可能性はありますが、

それでも4回ほどの面接をどうにかくぐり抜け、本当に、心からの入りたいと思っていた、第一希望のアパレル小売会社から内定を頂戴しました。

確か、その会社の新卒内定者は8名くらいだったと記憶しています。今思うと、ここで一生分の運を使ったのかもしれません。

しかし、そこが大きな勘違いの始まりでした。

自分はそれなりに優れた存在であるかのような、そんな気がしてしまったのです。当時は、とにかく舞い上がっていた記憶があります。


やっぱり、自分が特別な存在であると思いたいですよ

私という人間は、学生時代に何かで「一等賞」を取った事もなく、勉強も運動も並みレベルでした。いやいや訂正します。並みにも届いていない感じでした。

大学進学についても、ここでは経緯を多くは語りませんが、ほとんど運で入学できたようなものです。
(運は使いましたが、裏口入学では無い事を強調させていただきます)

基本的に学校の勉強はずっと嫌いでしたし。夏休みの宿題は7月に終わらせるタイプではありましたが…それも、ただただ遊びたいだけでした。


また学生時代の私が、何かの分野で「10,000人くらいで競争した時にに、自分が1位がとれるもの」があるかというと、それも無く、まあ本当に地味な学生でした。

そんな人間が、就職氷河期と言われる時代に、第一希望の会社に入れたんです。10,000人も応募者がいたかどうかはさておき、初めての成功体験であったことは間違いありません。勘違いも生まれます。


その後はあっさりと挫折

大筋の内容は、以下のnoteで一番初めに書いた記事に少し載っています。

まあ上記記事について簡単に言うと、意気揚々と入社して、大学4年の夏から、入社前研修と言うことで、店頭販売のアルバイト兼研修に入ったのですが、

結果は、全くもって販売が出来ませんでした。

で、見かねた当時の事業部長が、私を別店舗に異動させることになるのですが、

そこで、逆立ちしても追いつけない、偉大な男性店長の先輩に出会い、学びは非常に大きかった反面、自分の力の無さを見せつけられることになります。

ああ、自分はなんて能力がないんだ、と。
この会社でやっていけるのか?と入社前研修の段階で感じました。


とはいえ、その人のモノマネをしながら、周りの他の先輩格スタッフのサポートもあり、それなりにレディスショップでも、接客販売が出来るようになって、ちょっとだけ自信が生まれてきました。

個人の販売予算制度があったのですが、奇跡的に達成も出来ました。ですが、自分だけの力というよりも、周りのサポートのおかげの部分が実は大きいです。

ファーストアプローチがとにかく苦手だったのですが、優先的に譲って頂いたりなので、思えばかなり甘やかされていたと思い出します。

ただ、当時は「自分も結構やれるようになったなあ」と、これまた勘違いが始まります。

そして、そんな「販売力のある新卒がいるらしい」との、本当は間違っている噂を聞きつけた別の上司が、

新ブランドを立ち上げるという事で、あの当時だと異例だったと思うのですが、私は、新卒からいきなり「新ブランド立ち上げ+新規店舗の副店長」に抜擢されることになります。

この出来事も、「お?俺って結構すごいのかも?」と、さらなる勘違いを生むことになります。


新規店舗で、またまた挫折

上司が変われば、運営方法・やり方も変わります。

また、当時かなり社内的にも期待されていた新ブランド立ち上げという事で、新卒の私以外は、各店からエース級の社員が集められました。

副店長…つまり2番手の私以外、店長も3番手・4番手も女性でしたが、

店長は、売り場作りを中心に凄腕で、バイイング経験も豊富。
3番手は、アプローチ力も、接客力が高い。実際にめちゃくちゃ売る。
4番手も、接客力も経験値も高く、センスが良くてバランスが良い。

(注:このブランドは、元々店舗でもバイイングするスタイルでした)

こんな中で、私はいきなり副店長に着任した訳ですが、

私は、そもそも販売しかやって来なくて、バイイングや、売り場作りの経験がなく、OPENまでの店作りには全く役に立ちませんでした。
(これは私を指名した上司は解っていて、むしろ個人予算を新卒で達成した接客力そのものと、レディスショップの中での、唯一の男性ポジションとしてのキャラクター性を期待していたようですが)、

そういう状況ですので、いきなりの自分のスキルの無さを痛感し、大きな無力感に支配されます。

で、いざ新ブランドの栄えある1店舗目の新店OPENとなり、

唯一出来る(と思っていた)接客くらいは頑張ってやろう、と思ったのですが、ここで上記の鬼のように売る3番手に、まったく歯が立たない状況になります。なんなら4番手にも勝てない。

それもそのはず、私が元々いた店舗は、私が接客がうまく出来るように、個人売上を伸ばせるように、店舗みんなで私の事をサポートしてくれていただけで、

私自身の接客力が優れていた訳では無かったのです。
まったく持って個人としての売上も作れず、焦りから顔も引きつって店頭に立っていたり、スタッフに対しても空回り発言ばかりをし、とにかく足を引っ張りまくっていました。

なので、1ヶ月もしない内に、私を指名して新ブランドに呼び寄せた上司にバックヤードに呼ばれ、ひとこと。

「おまえは、過去最低の社員。人選を失敗した」
はっきりと、吐き捨てるように言われました。

この当時、私は23~24歳、社会人2年目です。
この発言を受けた後のことは、あまり覚えてはいませんが、

おそらく、仕事で初めて泣いたと思います。


まあこの後、それなりに良くなっていきますが

その後、そのブランドは絶好調となり、次々と新店を作り、その中の店長を複数経験していくなどして、一応私も、また挫折したり成長したり、また挫折したりして、それなりに認められていく流れにはなりました。

過去最低の社員と吐き捨てた上司や、期待を裏切ってしまった先輩方にも、評価を頂けました。全店内で、予算達成率1位を取った時には、ようやく認められた感じがしました。

ですが、私の、成功体験に興味がある方が仮にいらっしゃるのであれば、お答えというか、記事やコメントなどでお伝えしても良いのですが、

別におっさんの昔の自慢話を、わざわざnoteに書きたい訳でもありませんので、この記事では割愛します。その後も最終的には、あまり良くない結果となりましたし。

ともかく、私は内定をもらってから、

・入社前の研修中に、挫折
・新ブランドへの異動先で、挫折
・せっかく選抜してくれた、上司からの言葉で、挫折

と約2年ちょっとの間で、大きい挫折だけで3回も経験しました。
小さいものは…正直数え切れない…

ともかく、ちょっとした勘違いをした20代男性は、これを機に「やはり自分は凡人なのだ」としっかりと認識することになります。

唯一と言える良かったことは、25歳になるまでにそこに辿り着けたことです。


多分誰しも、自分はちょっと特別と思いたいはず

この場がnoteなので、例えばnoteアカウントを開設する時には、きっと自分がインフルエンサーというか、すごくフォロワーを集めて、いっぱいみんなから「スキ」をもらえるような未来の絵を描いて、はじめる人も多くいると思います。

でも、実際にはnoteユーザーは山ほどいますので、簡単にはそうも行かず、その妄想が大きかった人ほど、そのギャップに苦しみnoteから去っていく。

YouTubeだって、インスタだって、SNS全般含めて、自分の投稿はバズる、みんなから支持されるはずだ、と思って初めることも多いのだと思います。

そして現実は、そうは上手くはいかない。

もちろん初めから、そういう目的ではなく、「見てくれる人だけに見て貰えばよい、見てほしい人にだけ見て貰えればよい」と達観した方もいらっしゃると思いますが、

そういった方は、ある種それだけで優れた人間であると思いますし、noteやSNS以外の、他のことで満たされているのかもしれません。


「凡人よりほんのちょっと上」×「凡人よりほんのちょっと上」

ちょっと脱線をしてしまったので、話を戻しますと、

タイトルにありますように「自分が凡人である事を認めて、ようやく人生がちょっとだけ好転した」のが、25歳の時です。


しつこいですが、私には「10,000人の中で1位を取る能力はありません」

ですが、努力次第で、得意分野に限定した形であれば、
「1位は無理でも、上位20%には頑張れば入ることが出来るのでは?」と考えるようになりました。

つまり「10,000人中の、上位2,000以内」です。

ちょっと単位が大きいと、少々解りにくいと思いますので、
みんな大好き(?)、学校のクラス換算でいうと、

【40人のクラスの中で、上位8位に入れることを探す】

これを25歳からはじめました。
この習慣が生まれたことが、人生がちょっとだけ好転した大きなきっかけであります。

コンサルタントとして、最近では比較的、クライアントの皆さんに「さすがですね、スゴイ」とお褒めいただくことも、ありがたいことにあるのですが、

私は、何かの分野で1位であるほど、優れていることは何一つありません。

ただ単純に、いくつかの複数の分野で「上位20%に入ろうとした結果」、未経験だったり、経験が浅い人より、少しだけ得意な事がいくつかあるだけです。

仮に、世界に100人しか人類が存在しなかったとしたら、
とある分野において、

 ・その内40人は、その分野の存在をそもそも知りません。
 ・その内30人は、聞いた事はあるけど経験がありません。
 ・その内20人は、経験はあるけど、専門的ではありません。
 ・その内10人だけが、経験も実力もあり、真なる専門家です。

ここの「上位20%になんとか滑り込む、というのが私の手法の全て」です。
経験値と少しの実力、少しの専門性を持ち、努力すれば、なんらかの分野の上位20%に入ることは比較的ですが簡単だと思っています。勿論、あくまで1位を目指すよりも、です。


そして、私が意識しているのが「そのかけ算」です。

「上位20%に入れることが」例えば、2つあると、
その2つの両方とも「上位20%に入れるひと」は貴重な存在になり得ます。

私がコンサルタントとして、何とかご飯が食べられているのは「この上位20%を目指している内容が、複数あって、その数がちょっとだけ多い」と思っています。

自分がミーハーであることだけが救いで、結果そうなっています。

あくまでも「上位20%を目指している内容が多い」だけで、実際に上位20%に入っていることが、本当のところいくつあるのか?は、謎です。
(実際は一つも無い可能性だってあります)


今後は

もちろん自己啓発のために、自分自身がある分野の上位20%に入る努力をし続けることは重要です。

ですが、私自身にも、今後上位10%、もしかすると1位の人と接点がもっと生まれるかもしれません。

そういった場合、その人と一緒に仕事をすれば良いのだと思います。

一緒に仕事をすれば、そのノウハウを得る事も出来るかもしれないので、それで結果的に、自分自身も上位20%に入ることが出来るきっかけになるかもしれません。

そして、これ大変なのは、気を抜くとあっという間に、上位20%から脱落しちゃうんですよね。みんな努力してますので…

やっぱり勉強あるのみです。


今現在、キャリアに悩まれている方には、
「得意なこと」×「得意なこと」のかけ算を作ることを意識されると、ちょっとだけ、流れが良くなるかもですよ。

そんな凡人である私が、なんとか生き残っている手法のひとつをご紹介させていただきました。

5,000文字を超える長文記事でしたが、ここまでお読みいただきましてありがとうございました。


コジマサトシ/トナリコネクト

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