SNSって、分散運用した方が精神安定するかもね
こんな時代ですので。
このnoteをはじめ、いわゆるSNS的なモノ、今続けているポッドキャストや、ブログなども含めてですが、複数の情報発信場所を持っています。
いやまあ、スマホかパソコンに日々触れているほとんどの方が、複数の場所を持っているのではないでしょうか。
もちろんアクティブなもの、そうでないもの、混ざり合ってだと思います。
こんなことをTwitterで呟きました
まあ、Twitterではこの後もダラダラと続くのですが。
現在、主に私が何らかの発信をしているのは「note」「Podcast」「Twitter」この3つがメインになります。
InstagramやFacebookなどは開店休業。インスタは基本投稿したことがありませんでした。完全に情報収集用です。
また昔は少し頑張っていた、はてなブログも放置状態となります。
昨年は「note」だけ、だった
そのままの意味合いですが、情報発信をWebにしていたのはnoteのみでした。(正確には11月まで)
ひとつに絞ることで、注力度は高まると思いますし、今のnoteの運用は、こんな感じのショート記事をたまに書くか、つぶやき機能、ポッドキャスト紹介、くらいに留まっています。
そう考えると、note一本の時は、ほぼ毎度ガッツリ記事を書いていたし、6000字の記事を書いてしまったりしていました。
図解記事を書いたり、コンサルノウハウを出したりと、結構マーケティング的に動いていたようにも思います。
また、なんだか記事がやたら長くなっちゃうことを、ボヤいていたと記憶しています。
色んな自分がある
ここで、一度タイトル回収なのですが、ひとつのSNS(や、情報発信のプラットフォーム)に依存しすぎると、その反響に右往左往しがちです。
自分にとって追い風な場合、好反応がある場合には、何も問題はないのですが、渾身の発信をしたものの思ったような反応が無いなんて、一般人の私からすれば、よくあることだと思います。
でも、やっぱり思ったような反応がないことが続くと「なんか、これやる意味ってあるの?」と、短絡的に感じてしまいがちです。
情報発信が続けられない理由にもなるのだと。
そして視野も狭くなる一方で、新しい発想もなくなるし、インプットの偏りも生まれやすくなる感覚があります。
これは私の個人的思想なのですが、これから10年先には、より「個性」の重きが置かれると考えていて、さらには「自分の意思表現すること」も重要になると思っています。
元々、私はAIが進化すれば単純作業を人間がやらなくて良くなる、そういう仕事が奪われるのだとばかり思っていました。
でも、最近はクリエイティブな仕事をAIに奪われているように感じてばかりで、なんだか人間に残る仕事は最後、単純作業になる危機感もあります。
すでにイラストや、ファッションモデル写真までAIが進出してますし、文章だって書けちゃいます。デザイン案だって出してくるし、商品デザイン評価も出来てしまう。
肉体を使う労働も、身近でロボ化してますし、配膳ロボや、調理ロボ、車だって自動運転化が進んでいる。
これなら、人間は何で価値を創るのか、私はもうよく解らなくなってきています。
(AI絡みの話だけど、専門家でも無いので割愛)
そうなると、偏ったインプットや、反芻していないアウトプットなど不要で、もう少し掘り下げると「肌感覚」とか「ちょっと変わった意見」とか、そういうモノが、人間の強みになるような気がしてもいます。
話を元に戻すと、情報発信の機会が減れば減るほど、インプットの必要性は下がり、ネットでちょっと調べたくらいの話をした所で、それらはAIの方が得意だということは、私の浅い知識でも想像がつきます。
ただ、みんながみんなAIに頼ると、例えば事業活動…ビジネスにおいて、戦略は似通ってくるし、商品・製品は同質化していくとも思います。
筋が良いものを、皆が戦略として採用し、小さな利益を皆で奪い合うようなカタチにもなると。
そこで必要だと思うのは、先に記述した「個」なのでは、と思う訳で、つまりは筋が良いとされる定跡を打ち破る力。
定跡は、研究に研究を重ねて生まれたものであり、その時点でのベストであると思います。
ただ、そこに風穴を空け、また新たに定跡を築き上げることで、モノゴトは進化するし、そこに価値が生まれるのだとも。
だからこそ、個としての力を高める訓練は、今からやっておいた方がいいんだろうな、と思って私はこの情報発信の三本に取り組んでいます。
今しばらくは、機械が苦手そうなこと
有名な所だと、倫理観に関連するものは難しいと聞きます。
トロッコ問題みたいな、どちらか一方を犠牲にせざるを得ない場合の判断をするのは、確かに難しそうです。
でも、これは人間にだって難しいし、答えもない。
下手をすると、「これは、AIの判断に従ったまで」みたいな言い訳がはじまるのでしょうか。
そうなると、責任はそのAIの生みの親?もはやよく解りません。そのAI使用条件に「一切責任を追及しないことを承諾」が加わるだけなようにも思いますし。
だから、結局は人間の、個人の判断にゆだねられることになるのだろうと。
トロッコ問題のような極論を持ち出しましたが、普通にビジネス・商売にだって当てはまるのだと思っています。
となると、やっぱり最後は「個の力」を持つ人こそ、重宝がられ、そしてそれを客観的に判断するには、その人が今までに世界に発信してきた内容と量、そしてそこへの共感度。
まあ、そんなことを、色々こじらせている私は、時々悶々と考えていたりする訳です。
どうですか?
いい感じの私の「陰」な部分が出てますかね?
そして、この記事のタイトルと書き出しから、こういう展開になると想像できましたでしょうか。
今の所、あくまで今の所は、AIはこういう文章は書かないかなあ、というモノを目指しました。
この内容が、ショート記事のサムネなのにショート記事では無く、筋も通っていないし、飛躍しすぎていて、支離滅裂にも捉えられると言う意味で、これは人間にしか書けない内容であると、もう少し、もうしばらくは信じたいです。
コジマサトシ/トナリコネクト
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