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私がサンタさんになった日に感じたこと。

もよ

もうすぐクリスマス。

息子が3歳だった去年は、まだまだ言葉もつたなくて、ほしいものを聞いても特になかった。サンタさんのこともいまいちわかっていないようだったので、とりあえず息子のほしそうなものを枕元に置いておいた、という感じのクリスマスだった。息子にとっては「なんか急にプレゼントをもらえてラッキー」みたいな感じだったんだと思う。


そんな感じだったので、去年はお家にクリスマスツリーを飾っていなかった。そして今年から幼稚園に通いはじめた4歳の息子は、クリスマスのこともなんとなくわかってきたみたいだ。

というわけで、今年からクリスマスツリーを飾ってみることに。


わが家のクリスマスツリーは、タペストリーに決めた。(ニャンコにクリスマスツリーをガジガジされそうなので・・・)タペストリーのもみの木に、息子と一緒に画用紙に絵を書いて、それを切り抜いて、ペタペタ貼っていった。茶色のガムテープで。

そして、真っ白の画用紙を半分に折って、サンタさんへの手紙を書く。息子にほしいものを聞いて、その言葉をそのまま代筆した。

その巨大な手紙も、クリスマスツリーの真ん中あたりにベタッとガムテープで貼った。


どんな行事でも、おしゃれ感よりも手軽さを重視するのが、わが家流。


息子にかざりを貼ってもらうと、なぜか上の方にかざりが集中する。「下の方にも貼ってよ〜」と言ってみたけれど、なぜか拒否された。

これから毎年、息子の「絵」や「字」や「配置のセンス」などの上達具合によって、どんなクリスマスツリーができあがるのかが決まる。それがちょっと楽しみだ。


さて。

そんなふうにクリスマスの準備をしていると、ふと「クリスマスって何なんだろう?」という気持ちが湧いてきた。


私の実家では、クリスマスは一大イベントだった。天井に届くくらいの大きなクリスマスツリーを出して飾りつけて、サンタさんに手紙を書いて、クリスマスイブの夕方から家族で遊園地に行って、その後に外食をする。そして、クリスマスの朝には枕元にたくさんのプレゼントが置いてあった。

遊園地に行くのは1年の中でクリスマスの日だけだったし、外食も普段ほとんどしなかったので、子供の私にとっては特別すぎる日だった。キラキラ光る夜の遊園地はまるで夢のように綺麗な世界だったから、なんだかその延長線上でサンタさんの存在もすんなり受け入れることができていたのかもしれない。

そして今思えば、クリスマスに対する父と母の努力はすごかった。

きっと1番すごかったのは、私と弟がサンタさんに「牛弁」を頼んだとき。当時、小学校では牛弁(牛乳ビンのふた)を集めるのが流行っていて、私と弟は「めずらしい柄の牛弁がほしい」とサンタさんにお願いしたのだ。そしてクリスマス当日、本当に今まで見たことのない牛弁が箱いっぱいに届いた。

地域限定の牛乳ビンのふた。

友達の中には、サンタさんを疑い始めた子たちもいる年頃だったけれど、「お父さんとお母さんがいくらなんでも日本各地の牛弁を集められるはずがない!」と思い、「やっぱりサンタさんはいるんだ」とサンタさんへの信頼がより厚くなったのを覚えている。

大人になってから「あの牛弁、どうやって集めたの?」と聞いたら、全国各地にいる同級生に連絡しまくって集めたらしい。

す・・・すごい。


私は結局、小学校の高学年くらいまで本気でサンタさんを信じていた。それは、父と母の努力の賜物としか言いようがない。



サンタさんを信じている頃、クリスマスは「キラキラ光る遊園地に行って外食して、次の日の朝にはサンタさんがプレゼントを届けてくれる、夢のような2日間」という感じだった。


そして、サンタさんはいないんだと知ってからは、「家族とキラキラしている所に遊びに行って、おいしいものを食べて、ほしいものを買ってもらえる、楽しい日」という感じになった。

そして高校3年生のクリスマスは、はじめてできた彼氏と過ごした。家族以外と過ごすのはその時がはじめてだった。それ以降、どこで遊ぶかとか、プレゼントは何をもらおうか、ということよりも「クリスマスに誰と過ごすか」という部分にスポットライトが当たるようになった。


そしてママになった今、新しい家族でクリスマスを過ごしている。息子にとってクリスマスが、私が子供の頃そうであったように、特別な日になればいいなと思う。

ただ大人になった私にとって、クリスマスは今や「夢のような日」ではなくなった。

クリスマスに向けて、現実的に手足をせっせと動かしている。

クリスマスツリーをかざりつけて、息子がほしいものをリサーチして、そのプレゼントを買いに行って。クリスマス当日の予定を立てて、ごはんやケーキを準備して、息子の枕元にプレゼントをそっと置く。


今年からは、幼い頃にやってもらっていたことを、私がやるのだ。


私は、ついにサンタさんになった。



「もらう側」から「あげる側」になったのだ。



そして、サンタさんになって気づいたことがある。

息子はクリスマスにどこに行ったら喜ぶかな?とか、どんなごはんだったら喜んで食べてくれるかな?とか、プレゼントを開けたとき、どんな顔をして喜ぶかな?とか、いろんな想像をめぐらせているとき、私はとても楽しいということを。

そしてクリスマスの朝を、私自身もなんだか楽しみにしているということを。



幼い頃、サンタさんって本当に大変だなって思っていたけれど、サンタさんはきっと楽しいからプレゼントを届けているんだと今は思う。

私の父と母も、牛弁を集めている時、そして私と弟がめちゃくちゃ喜んでいる顔を見た時、きっと今の私と同じような気持ちだったのかもしれないなと思うと、心がじんわり温かくなった。



クリスマスという日は、


子供の頃は、もらう幸せを。

ちょっぴり大人になったら
もらったりあげたりする両方の幸せを。
だれと過ごすのが1番幸せなのかを
考える幸せを。

新しい家族ができたら、あげる幸せを。


もらったりあげたりする幸せを、
世界中の多くの人たちが同時に感じる
クリスマスという日は、

地球の温度がいつもより上がるくらいにパワフルで幸せな日のように感じてきた。



さぁ。もうすぐクリスマス。
サンタさんが1番忙しくて、1番幸せな日。

サンタ1年生の私は、なんだか慣れなくてバタバタしてしまうかもしれないけれど

12月25日の夜、ママサンタとパパサンタが「おつかれさま」と言い合いながら飲むコーヒーはいつもよりきっとおいしいにちがいない。

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