「ほどほど」の効果効能。
久しぶりに風邪をこじらせた。
下を向くと頭が痛くて、ほっぺが微妙に痛くて、鼻水が出る。鼻がつまる。ググって調べてみると「急性副鼻腔炎」のような気がする。
体は元気だし
下を向かなければ頭は痛くないし
ほっぺが痛いのもがまんできる程度だし
鼻水はかめばいい。
何が1番耐えがたいかというと、鼻がつまることによって「ごはんの味がしない」ということだ。
私の世界に「味」という楽しいものがなくなってしまった。五感のうちの2つ、嗅覚と味覚がなくなると、思っていた以上に世界が味気ない。
味がしないと食べていても楽しくないので、「食べたい」という欲望が全く湧かない。お腹がグゥといって不快を感じたら、その不快をなくしてあげるためだけに食べ物を口から入れる。一応おかずを口に入れたあとに白ご飯を口に入れてみるものの、全部味がないので意味がない。なんなら白ご飯だけでもいいくらいだ。
お腹に食べ物がたまって不快がなくなったら、食べるのをやめる。すると、いつも食べる量の半分くらいでお腹が満たされることに気づく。「生きるために必要なごはんの量」は、もしかしたらこのくらいなのかもしれないな、と気づいた。
もちろんお菓子なんて食べる気にならない。「もったいないから治ってから食べよう」と、そっとお菓子BOXにしまった。コーヒーやジュースも同じだ。「もったいないから水でいいや」と、水ばかり飲んだ。
私はふだん「味を楽しむため」に余分にごはんやお菓子を食べ、余分に飲み物を飲んでいたということだ。この余分に食べて飲んだ分がお肉になって、私の体にくっついているんだよなと、当たり前のことを思った。
「はぁ。味がないごはんなんて、つまんない。」
なんとか味が戻ってこないものかと、ティッシュで鼻をかみつつ、しょんぼりとごはんを食べていると、父ちゃんが言った。
「お上品に鼻をかみすぎなんちゃう?オレは洗面所で出し切るで。片方の鼻をギュッと指でおさえて、洗面所に向かって鼻水を飛ばすくらいの勢いで、チーン!って。恥を捨ててやっておいで。」
「そんなお下品なこと、やったことないわ」と答えつつも、味が戻る可能性が1ミリでもあるのなら何でもやりたい気分だったので、私はごはんを食べるのを中断して洗面所に向かった。
結果、ハマった。
めちゃくちゃ気持ちいいのだ。
チーンと鼻をかむと、ドロドロの鼻水が勢いよく洗面所に向かって飛び出す。それを水でジャーっと洗い流す。
鼻水ヘドロンが、排水口に吸い込まれていく。
1度このやり方を知ると、もうティッシュで鼻をかむことができなくなってしまった。定期的に洗面所に通う私に、「めっちゃいい方法やろ?」と得意げに言う父ちゃん。「めっちゃよかった!」と負けを認めざるをえない私。
少し緑がかった鼻水ヘドロンは次から次からへと湧いてくる。こんなに大量なヘドロン、いったい私の体のどこから湧いてきているんだろう。
でもとにかく、私の体に必要のないものを絡めとり、鼻から出してくれているのだ。そう思うと、ヘドロンが排水口に吸い込まれていくたびに、体の中がどんどんキレイになっていくような気がした。
私はヨガを学んでから、自分の体をすごく信用するようになった。というより、今生きているということは、私の体は生まれたときから完璧に機能していて、完璧に循環してきている証なんだということにただ気づいた。
意味もなく味覚がなくなったり、意味もなく鼻水が出たりなんてしない。だから薬で鼻水を止めたりはしなくなった。
昔は「たまたまウイルスが私のところにやってきて、たまたま感染して、たまたま風邪をひいてしまった。私、可愛そう・・・」みたいな感覚だったけれど、今は「風邪や体調不良は体からのサイン。体は私に何を伝えている?」という感覚をもっている。
味覚をなくすことで、体が私に伝えたかったことは何だろう?
鼻水が大量に出ることで、体が私に伝えたかったことは何だろう?
風邪をひくたびに自分の体の声に耳をすますと、だいたいはピンッと思い当たる節がある。
私の場合、今回は「食べすぎ」だろうとピンッときた。
最近、マクドに行くことが多かったな。調子にのって、ポテチや油ものなどなど暴飲暴食をすることが多かった気がするな。胃が疲れちゃって、体の機能が働きにくくなって、循環も滞って、いつもなら私の体にウイルスが入ったらすぐにやっつけてくれている防衛軍たちも弱っていて、ウイルスに負けてしまったのかもしれないな。
その時々によって、「ストレス」や「がんばりすぎ」や「運動不足」や「睡眠不足」や「体が冷えた」や「栄養不足」などなど、いろんな理由があるけれど。
なんらかの理由があって
体の機能が働きにくくなって
循環が滞って、
体が「おーい!気づいてくださいよー!改めてくださいよー!」と私に伝えているのが「風邪」なんだと思うのだ。
いくら完璧な我々でも、そんなに食べすぎたら追いつきません。そんなにストレスをかけられたら、機能しきれません。そんなに動かれたら、筋肉や内臓を修復する時間がありません。そんなにじっとされたら、血液の循環がうまくいきません。そんなに寝なかったら、寝てる間にやるべきことができません。
体が完全に機能しなくなってしまうだいぶ前から、そうやって少しずつ少しずつ伝えてくれている。ちょっと疲れたらすぐにサインを送り、ちょっと滞ったらすぐにサインを送り、微調整してくれている。
そのサインをちゃんと受け取って、休んだり、食べすぎないようにしたり、リラックスしたり、ストレスから逃げたり、運動したり、ぐっすり眠ったりして、そのつど体の言うことを聞いてあげることができていれば、ほとんどのことは大丈夫なんだと思う。
逆に考えれば。
ほどよく食べて
ほどよくがんばって、ほどよく休んで、
ほどよく楽しんで、ほどよく負荷をかけて、
ほどよく運動して、ほどよく体温を保って
ほどよく眠っていれば
風邪なんてひかない。
私たちの体は、風邪をひく仕組みも含めて、完璧すぎるくらい完璧に機能しているなと、いつもホレボレする。
食べるの、ほどほどにします。
そう反省して、ほどほどに食べる生活に戻して、体に蓄積されていたゴミやカスをせっせと鼻から出すお手伝いをして。
そうしているうちに、私の体はだんだん元に戻って、また完璧に機能し、完璧に循環するようになっていくのだろう。
マスクや除菌やソーシャルディスタンスも意味がないとは思わないけれど
ほどよく食べて
ほどよくがんばって、ほどよく休んで、
ほどよく楽しんで、ほどよく負荷をかけて、
ほどよく運動して、ほどよく体温を保って
ほどよく眠って
たっぷり息を吸って、たっぷり息を吐いて
ゲラゲラ笑って毎日を過ごすこと。
そんな心がけで毎日を過ごすことは、マスクや除菌やソーシャルディスタンス以上に、自分を守ってくれる。
どんなに排除しようとしても、数えきれないくらいの種類の、数えきれないくらいの数の菌たちが、そこらじゅうにウジャウジャいると思うのだ。むしろ、実は菌と体は友達関係にあって「僕たちそろそろやばいんで、菌さんよろしくおねがいします!」みたいな感じで、体が菌さんに仕事を頼んでいるんじゃないかとさえ、思えたりする。
本当に体が壊れてしまう前に、本当に手遅れになってしまう前に、風邪や病気や痛みや痒みや不快感などを使って、私たちに知らせてくれているのだ。
風邪はたまたまひかない。
風邪は体からのメッセージ。SOS。
それはたいしたことのない風邪だって、疫病だって、持病だって、大きな病気だって、全部同じなんだと思う。
今回風邪をひいて、ついつい忘れてしまうけれど大切なことを、また改めて心に刻むことができた。
「ほどほど」に戻ることができた。
そうしているうちに、味覚が戻ってきた。ごはんがおいしい。お菓子がおいしい。コーヒーがおいしい。幸せ・・・おっとっと!またうっかり食べすぎてしまいそうだ。
ほどほどに。
ほどほどに。
「鼻水へドローン!食べすぎてごめんねー!ありがとう!」
「ほいほーい!ほどほどに頼むでー!」
頭の中でそんな妄想をくりひろげながら、だいぶ量の少なくなった鼻水ヘドロンを排水口へと見送る日々は、きっとあと数日もすれば終わりを告げるだろう。
そしたら私はリニューアルオープンした体でまた、ほどほどに、ほどほどに、日々を楽しもう。
風邪をひく必要のないバランスで
がんばったら、それと同じ分だけ休んで
食べすぎたら、次の日は少食にして
体がかたくなってきたら運動して
眠いときは眠って
ほどほどに、ほどほどに。
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