春。新しい環境にドキドキしている私とあなたへ。
働いているコンビニが、4月末で閉店することになった。
それを告げられた日、後から思えばすべてがキラキラしすぎていた。
その日も23時に起きて、身なりを整えて、コーヒーを淹れてのんびり飲んで。原付きにまたがって、24時ちょっと前にお店に到着した。
スタッフルームに入ると、大学生のKくんが椅子にドカッと腰掛けている。勤務中なのに堂々とスマホを片手に、机にはコーヒーとタバコが隣り合わせで置いてある。"フィリップモリス"というタバコを見ると、Kくんの顔がフワッと浮かぶようになってしまった。
はじめはその威圧感に体がギュッとなっていたけれど、もう慣れた。いまや肩の力を抜いて接することができる。
「旦那さんとケンカとかします?」
突然、そう聞かれる。
「彼女とケンカでもしたの?」
質問を質問で返す。
私に本当に興味があって投げかける質問と、自分のことを話すきっかけのためにする質問では、なんとなく雰囲気がちがう。
予想通り、Kくんは彼女とケンカをしていて、そのあと私にケンカをした経緯などを面白おかしく話してくれた。
大学生がまとっている、自由で広がりのある空気。その空気をほんの少しおすそ分けしてもらえている気がして、私はこのシフトの入れ代わりの15分足らずの時間がものすごく好きだ。
Kくんが帰ると、店内には私1人。
コーヒーメーカーやフライヤーを洗ったり、掃除をしたりした。
もう何も考えなくても体が自動的に動く。こうなると、仕事はとても楽だ。勤務時間内、体はこの場所に居なくてはならないし手足を動かさなければならないけれど、頭の中は自由だ。
仕事は体が勝手にやってくれる。
そう思うくらいに。
だから夜勤中、いろんなことを考える。
夜勤前に数時間ねむったからなのか、妙に冴えている感じがする。静かにハイになっているような感覚で、昼間にアレコレ考えるよりも、なぜかヒラメキとかアイデアのようなものが湧いてくる。仕事のことや息子のことで息詰っているとき、「こうしたらいいかも」とか「こう考えたらいいかも」など、なんだか目の前がパアッと開けていく感じになるときがよくあった。
その日は、更新がストップしているブログをまた書きたいな、とふと思った。デザインも変えたいな、どうやって書く時間を捻出しようか、どんなことをテーマに書こうか、というようなことを考えて、ワクワクしていた。
そうやって体を淡々と動かしながら、頭が自由に旅している感じが、すごく好きだ。
だれもいない。だれも歩いていない。車も通らない。
そんな瞬間を見計らって、お店の駐車場のゴミを拾うために外に出た。
この瞬間も好きだ。
お店を出た瞬間、
夏はモンッとした空気が肌にはりつく。
秋はひんやりとした空気が肌をなでる。
冬はツンッとした空気が肌に刺さる。
その日は、春のフンワリやわらかい空気が肌を包んだ。
春が来た。
そう思いながら、マスクを外して深呼吸すると異様に気持ちがいい。
夜中の空気は、昼間の空気の何倍も濃ゆい。その濃ゆい空気を独り占めしているみたい。世界には私しかいないのかもしれないと思うくらいに静まりかえっている夜の街。吸い込まれそうな夜空。なんて魅力的なんだろう。
心の底からそう感じた。
その日はわりとお客さんが多かった。
夜中から早朝にかけてお店に来てくれるお客さんは、だいたい常連さんが多い。お客さんがお店に入ってくると、ほとんどの顔に見覚えがあった。
いつもプリンを1つだけ買って、タクシーの中で幸せそうにそれを頬張る運転手さん。私までプリンが食べたくなる。
いつもチキンラーメンと煮卵とビールを買っていくおじちゃん。最高だね!と心の中で話しかけずにはいられない。
いつも早朝に、レッドブルと缶コーヒーを買いにくる気だるそうな若者。君、カフェインとりすぎじゃない?寝る時間を削ってまでも、やりたいことがあるのかい?若いね!いいね!でもほどほどにね!そんな気持ちを投げかける。
いつも昼ごはんであろうオニギリやパンを買っていくおじちゃん。その人がお昼ごはんを選ぶと、なぜかいつもお会計が444円になるのだ。たまたまなのか、計算しているのか、いつも気になった。
「おはよう!」とお店に入ってくるおじいちゃん。姿をみた瞬間、私はコーヒーカップとマルボロメンソールをレジに置く。おじいちゃんは500円を集めているので、計算しながらお財布からお金を出す。レシートを渡すとちょっぴり不機嫌な感じになるので、決して渡してはいけない。
常連さんがタバコの銘柄を私に伝える前に、「これですよね?」って差し出すと、どんなに威圧感のある人でも顔が少しやわらかくなる。その感じがやっぱり好きだなと思った。
常連さんが買うものによって、その人の"人となり"や"変化"を想像するのも楽しい。いつもファミチキを2つ頼むお兄さんがサラダチキンをレジに持ってきたとき、「ダイエットかな?がんばれ!」と心の中でつぶやいた。
Kくんとの会話、
頭の中でのびのびと広がる思考の旅、
夜の街の魅力、
常連さんたちの日常のヒトコマ。
その日の太陽がのぼって明るい世界が戻ってきて、今日の勤務がもうすぐ終わりそうな頃、私はこの2年間このコンビニで積み重ねてきた"小さな好き"と"小さな幸せ"を、なぜだかしみじみと噛み締めていた。
おかしいな、不思議だな、と思った。
ここで働くことは嫌ではなかったけれど、今日ほどに幸せを感じることは今までなかったから。
「やっぱり週1日だけでも、このアルバイトを続けていこう。昼間の仕事で何かあったときに心強いし、3万円稼げるのも大きいし、しみじみと楽しいし嫌じゃないし、アイデアも湧いてくるし。」
あまりにしみじみと幸せだったから、そう頭で考えて、そう心に決めたところだったのだ。
「4月末で、店が閉店することになった。」
だからその朝、店長がお店にやってきたときにそう告げられて、さすがにびっくりした。何も前ぶれはなかったし、コンビニって潰れるんだ・・・と冷静に思った。
終わりに近づけば近づくほど、その場所がキラキラ輝いて見えたりするものだ。
あのしみじみとした幸せの理由は、それだったのかもしれない。妙に納得している自分がいた。
というわけで、私は4月末で夜のコンビニとさようならすることになった。強制的に。
少し寂しい。同時に少し怖い。
ぬるま湯に浸かってユラユラするのは、もうおしまい。セラピストという仕事に、エネルギーと時間をより本格的に注いでいく時期が来たよ。覚悟は決まった?もう半年も過ぎたのに、まだ覚悟が決まらないの?
もう一人の私の、そんな意地悪な声が聞こえてくるような気がした。
セラピストとして仕事をせっかく始めたのに、私にとってやりがいがあって、でも大変な仕事に、ガッツリ両足を突っ込む覚悟ができずにいた。
右足はギリギリ火傷をしないくらいの熱い熱いお湯に、左足はぬるま湯に、
浸しておくことで、いつでもぬるま湯に戻れるように、逃げ場所を作っているような感覚があった。
私が覚悟を決められずにいたから、コンビニが潰れてしまった。
絶対私のせいではないのだけれど、そんなような気がするくらいに、"絶妙なタイミング"でコンビニが潰れてしまったのだ。
すべてのことに意味がある。
偶然なんてない。すべて必然。
昔、ヨガの先生がよく言っていた。
もしコンビニが潰れたことに、
私なりに意味をつけるのだとしたら、
"もう私がそこにいる時期は終わったよ"
"そろそろ覚悟を決めなよ"
そういうことなんだろうな、とスコンと腑に落ちたのだから、きっとそうなんだろうと思う。
大人になると、春が来れば学年が上がって、クラス替えがあって、教室も人間関係もガラリと変化する、というようなわかりやすい変化は少なくなるけれど。
環境の変化が苦手な私が、ずっとそこに留まろうとしても、変化しなくてはならない時期は必ずやってくる。ちっぽけな自分には止められない流れがやってきて、しかるべき場所に流されていく。
それは、川の流れが決して止まらないのと同じくらいに当たり前のこと。慣れた場所は居心地がいいし、楽だし、名残惜しいけれど、
ずっと同じ場所にはいられない。
やりたいことをやるのはいつだって怖い。そのために必要な新しい場所も、新しい人間関係も、すごく怖い。やりたいからこそ、うまくいかなかったらどうしようって思うから。好きだからこそ、失敗したくないと思うから。
でも、そこに流れついたのなら、今の自分にとってそこは必ず必要な場所なんだと思う。抵抗せずに怖がりながらも、流れに身を任せてみよう。
お金のために仕方なく始めた夜のコンビニバイトで、まさかこんなにたくさんの「好き」と「幸せ」に出会えるとは思っていなかった。それと同じように、次に流れついた場所で、もし最初はうまくいかなかったりモヤモヤしたり納得していなくても、何か必ず素敵な事や人や学びが待っていてくれている。
そんなふうに思えた。
春が来た。
数え切れないくらいの子供たちが、1つ上の学年に上がるのに紛れて、私も一歩前に進むとしよう。
「ぼく、ずっとあのクラスにいたかった。」
始業式の朝、息子は言った。
「それ、年少さんから年中さんになるときも言ってたよ。すぐ慣れるすぐ慣れる。でも母ちゃんもクラス替えは苦手やったな。」
「ぼくも苦手やわ。」
まだ人生で2回しか"クラス替え"を経験していないのに、しれっと私に同意する息子の様子が可愛かった。
重い足取りの息子の手を引っ張って、歩く。
息子も私と同じように、新しい場所に流されていく。
大丈夫、大丈夫。これから楽しいことが待ってるよ、きっと。
息子に向けて、自分に向けて、そう心の中でつぶやいた。
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