5歳にシャトーブリアンは、猫に小判。
「シャトーブリアンって何だっけ?」
カタログギフトをペラペラめくりながら、父ちゃんに聞いた。
義理の妹ちゃん夫婦に赤ちゃんが産まれて、お祝いをわたした。お返しに「お肉だけのカタログギフト」をもらって、どのお肉にしようか迷っていたところだった。
「めっちゃ高級なやつじゃなかったっけ?お肉の部位の名前だったような。」
あやふやな答えだったので、Google先生にたずね直した。
シャトーブリアンとは、お肉の部位の名前。ヒレ肉の一部分。牛1頭からはだいたい4キログラムのヒレ肉がとれるらしいけれど、シャトーブリアンはそのうちのだいたい600グラ厶しかとれない希少な部位で、150グラムで1万円以上もするとのこと。
わぉ。
せっかくプレゼントしてもらったんだし、人生はじめてのシャトーブリアンを体験してみるとするか。
"山形牛のシャトーブリアン"の横に並んでいる番号をハガキに書き込み、朝一番でポストに投函した。
そしてついに、シャトーブリアンがわが家にやってきた。
包みをビリビリ破いて開けると、木箱が入っていた。木箱に入っているお肉なんて、33年間食べたことがない。木箱の蓋をパカッと開けると、お上品なお肉が姿をあらわした。
「なにこれ!ぼくはこんなのいらないよ。」
横で見ていた息子が、シャトーブリアン様を見るなりそう言った。
息子は少食で偏食で、"はじめて食べるもの"が苦手だ。食べたことがないものを食卓に出すと、大げさなくらいおびえる。
「食べたことないのに、どんな味なのかわからんやん?もしかしたらめっちゃおいしいかもしれないで。一口だけ食べてみて、どうしてもマズかったら残してもいいからさ。」
そう言いながら、一口よりも小さい一口をお箸でつまんで口に運んであげると、めちゃくちゃ嫌そうな顔をしながら何とか口を開く。
「あ!おいしい!」と受け入れてくれる食べ物が3分の1。「おいしくない・・・」とまずそうにモグモグしながらもゴクンと飲み込んでくれる食べ物が3分の1。「オエ〜!」とまるで漫画にでてくるような顔で吐き出す食べ物が3分の1。
今までの統計的にそんな感じだろうか。
お肉は、唐揚げやトンカツが1番好きで、ハンバーグは普通に食べられる。でも、生姜焼きとか焼きそばに入っているような豚肉は「オエ〜!」と吐き出してしまう。焼き肉もイマイチ好きではないようだ。
「カリカリなお肉が好きなの。カリカリじゃないお肉はキライ。」
よくそんなことを言っているので、きっとシャトーブリアンは「オエ〜!」と吐き出してしまう予感がした。「オエ〜!」としなかったにしても、まずそうな顔でゴクンと飲み込まれときには「貴重なシャトーブリアンを返せ!」と思ってしまいそう。
"食べたことがないものは、とりあえず一度食べてみてほしい"という想いはあるけれど、今日だけは大人だけで「生まれてはじめての味」を味わうことにしよう。
そう決めた。
「りんりんさ、シャトーブリアンひとくちだけ食べてみる?」
いらない!と答えが返ってくることがわかっているのに、一応聞いた。
「いらない!」
予想通りそう答えが返ってきたので、堂々と息子の晩ごはんだけを別メニューにできる。
「からあげか、ミートボールか、納豆か、どれがいい?」
そう聞くと、間髪入れずに「納豆!」と答えが返ってきた。息子は納豆が大好きだ。
母ちゃんと父ちゃんがシャトーブリアンを食べている横で納豆か・・・と一瞬思ったけれど。まだ"お金"と"数字"のことがよくわかっていない5歳の息子にとっては、おいしくて安心して食べられる"納豆という食べ物"の方が価値のある食べ物にちがいない。
さてさて。
シャトーブリアンの姿を拝んで、テンションが上がっていたのもつかの間、焼き方がわからなかった。家でステーキを食べることなんてほとんどないので、この分厚い肉に火を通せる気がしない。
Google先生にまた焼き方を聞いて、その通りに調理する。熱したフライパンにお肉を置くときに緊張するなんて、はじめてだった。
なんとか無事に焼き終わって、食卓に焼けたお肉を置くと、肩がめちゃくちゃ凝っていることに気づく。肩をグルグル回してほぐしてから、「できたよー!」と父ちゃんと息子を食卓に呼んだ。
「うまっ!」
シャトーブリアンは予想通りにおいしかった。父ちゃんと私はうまうま言いながら、一口一口大事に味わった。
その横で息子は、納豆を海苔で巻いて食べていた。この食べ方はここ1週間続いていて、息子的にブームらしい。「うまっ!うまっ!」と言いながら、幸せそうな顔で食べている。
そしていつも通り、おしゃべりが続く。ひたすらしゃべり続ける息子。
それに比べて、私と父ちゃんはいつもより口数が少なかった。
シャトーブリアンを食べることなんてきっともうなかなかないだろうから、その味をしっかり脳みそに刻みたかったのだろう。息子と途切れることなく会話のキャッチボールをしながらそれができるほど、私も父ちゃんも器用ではない。
そしてついに言ってしまった。
「りんりん!今日だけはさ、今日だけでいいからさ、静かに食べてもいい?母ちゃんと父ちゃん、お肉を味わいたいねん。」
「なんで?」
「めっちゃ高いお肉やねん、これ。」
息子はだまった。息子はよく意味がわからないことがあると、だまる。そして考える。
3人のモグモグする音が聞こえそうなくらいに静かな食卓が、ほんの数分続いた。そんな中、息子がめずらしいことを言った。
「ぼくも一口食べてみたーい!」
父ちゃんと私は、目を見合わせる。
「やめとき。絶対吐いちゃうって。吐いたら母ちゃん今日だけは怒っちゃうかも。」
私は残り少ないシャトーブリアンを守るために、とっさにそう言った。
「そうそう!母ちゃん怒っちゃったら嫌やろ?今日だけはやめとき。」
父ちゃんもきっと残り少ないシャトーブリアンを守りたかったんだろう。私に続いてそう言った。
ああ、なんて大人げない。
シャトーブリアンは本当においしかったけれど、なんだか肩の凝る食卓だった。
慣れないことは、肩が凝る。
緊張しながら調理して、
息子のおしゃべりにも応えられず、
静かな食卓。
息子に自分のお皿から一口さえも分けてあげられない。
その中で、異様においしいシャトーブリアンを食べる時間。
鼻歌を歌いながら調理して、
楽しくおしゃべりしながら
笑い声の響く食卓。
その中で、ふつうにおいしい納豆ごはんを食べる時間。
あなたにとって、どちらが価値のある時間ですか?と聞かれたら、ちょっと迷ってしまう。今後大金持ちになって、シャトーブリアンを買うことなんて屁でもないような状態になったとしたら、また答えは変わってくるかもしれないけれど。
私は自分で思っている以上に「お金」にとらわれていて、無意識にその"値段"と"価値"を結びつけてしまっているのかもしれない。
シャトーブリアンだって、せっかくプレゼントしてもらったんだから、そのお肉の値段なんて気にせずに、気楽にフライパンにのせてジュージュー焼いて、気楽に息子に一口あげて、「オエ〜!」と吐いてしまったら「やっぱりね!」と言いながらアハハと笑って、いつもどおりおしゃべりして食べることだってできたのだ。
私にそれくらいの器があって、そんなふうにシャトーブリアンを食べることができるのなら、その時間は私にとってシャトーブリアン同様、1万円の価値がある。
でもその時間が1万円なのであれば、家族と納豆ごはんを食べる時間だって、私にとっては1万円の価値がある。私はシャトーブリアンをおいしいと思ったけれど、納豆だって大好きなのだ。毎日食べても飽きないくらいに。
実質100円で買えるその時間に、1万円の価値があると思えるのであれば、9000円も得をしたことになる。
大阪人の私は、「得」という言葉に目がない。
だから日々、お得な"納豆ごはん"を選んでいるというわけなのだ。
「お金持ちじゃないから、そう思おうとしているんでしょ?というより、現実的にシャトーブリアンを選ぶことができないんでしょ?」なんて言われたら、そうなのかもしれないけれど。
今の自分の身の丈に合った"幸せ"は、
自分にしかわからないものだ。
今日は、息子がシャトーブリアンを食べて「オエ〜!」と吐く姿を何度も想像した。
その想像上の姿に、
"値段"と"その人にとっての価値"は比例するわけではないんだよ、と伝えられているような気がしてならなかった。
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