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信頼と自信

こんにちは。

暦の上では6月ですが、もはや常夏ですね!

背景画像は本文に関係ありませんが、いい感じだったので拝借しました。

なんだか夜の風景が哲学的ですね~

さて今回のトピックは「信頼」と「自信」について。

まず、よく使う「信頼・信じる」という言葉

普段、何気なく使っていますが、果たして小さい子供でも分かるように説明できるでしょうか?

試しにこんなシーンを想定しましょう。

小さい子供がお母さんからお手伝いを頼まれますが、返事だけでやろうとしません。

そこでお父さん登場。子供にこう諭します。

「お母さんは○○ちゃんならやってくれるかなと信頼して言っているんだよ。失敗してもいいからやってみないかな?」

さて、この時子供に信頼というのをなんと説明しましょうか?

私が考える信頼とは

「言葉では言い表せない、表立って出ない好きな気持ち。その人となら安心できる気持ち」

仕事上では利害関係が出てちょっと複雑ですが、私的生活ではそう言えるのではないかと思います。

私的生活である家族関係、友人関係、恋愛関係、師弟関係では、それが肯定的な関係であれば必ず根底に信頼できる関係があります。

ただし、それを言葉に出して言い合うことはありません。

むしろ空気感でしか伝わらないものではないかと。

だから信頼関係がある人といると居心地がよく、とても満ち足りるものです。

でも昔から最も築くのに時間がかかるのに、最も容易に崩壊するのが信頼とも言うのもあるので、そういう人を蔑ろにしては絶対ダメですね。


さて、それを転じて、次は「自信」

自信とはなんでしょう? 先ほどの定義を転じるなら

「表立っては出ないけど自分を好きなこと。自分が安心していられる自分」

という事になります。

言葉ではこうだけど、実際どないしてそんなんなんねんとなりますね。

さて、ではどうやったら自分が安心していられる好きな自分に会えるのでしょうか?

これはいろんな意見があるでしょうが、私は2つポイントがあるかなと思います。

1. 理想化した誰かでなく、自分を楽しめるのが好き

2. 自分を甘やかさず、逃げてはいけないときに逃げない

1.「理想化した誰かでなく、自分を楽しめるのが好き」から見てみましょう。

私もまさしく!でしたが殊に10代・20代というのは自信がなく劣等感ばかりで、隣のあの人を羨んで頑張り、周りから認められたくて頑張りを繰り返すものです。

ただ、どうでしょう? そのモチベーションで周りと比べてを繰り返したらそれこそ終わりのない螺旋では無いでしょうか?

それよりも自分が今持っている「資産(つまり自分自身)」を使って、どうやって楽しむかを考える方が楽しくないですか?

幸か不幸か人は必ず死にます。

その時にあの人よりも優れていてよかった~とか、ひたすらモテてよかった~とかいう人はあまりいない気がします。

だからこそ、世なのかで言われる正しい事より、自分で自分の人生を楽しもうとするのが良いのでは。

自分が楽しいことをやるから楽しくなり、楽しくさせるそんな自分が好きになる、みたいな。 

これを人にやってもらおうとしたら、それはさすがに重いですよね~。

楽しいことをすると言っても、大したことでなくても良くて、

好きな色の服を着る。食べたいご飯を食べる。やってみたい趣味をやる。そんなところから始めてもいいのかも。


2. 自分を甘やかさず、逃げてはいけないときに逃げないは1.の落とし穴的な所です。楽しい楽しいばかりならそれでいいかというと、案外そうでもない。

自分を甘やかして、立ち向かうべき時に逃げたり、人に依存すると、自分に失望することになり、自分を根本的に好きになれなくなることもある。

幸いにも、これは自分が変わったり、リベンジすれば乗り越えられると思いますけど。

私の実例です。

高校柔道部3年生の夏。最後の個人戦。

相手は格上と下評判の相手。ここで愚かかな、私はこの相手なら負けても仕方ないと思ってしまいました。

しかしいざ試合が始まってみると、意外や意外。案外いい勝負になりました。結果負けてしまいましたが、やってきた練習量は嘘をつかなかったのです。

ただし、気持ちは嘘をついていました。あの時、気持ちで負けていなければ。。と後からずっと後悔していました。

その気持ちの後悔があったので、拳法部時代の乱取大会ではひたすら相手に集中して、一本取れましたし、仕事でも自分がやると受けた仕事は投げずにやろうとする姿勢が培われたと思います。

世間が決めることからは逃げてもいいと思うし、戦略的にそれが正しい時もあります。

ただし、自分を嫌いになるか否かの臨界となる場所では踏みとどまって立ち向かう時も必要です。

ちゃんと向き合った、その経験が自分を信じる力につながります。


そして最後のトピックス。

自信を持つことは好きな人を持つ以上に幸せに近づけると思うのです。

自分が好きになるという事は、自分には色々欠点もあるけれど、これで良し!と言えるという事でもあります。

それができると他人にもそれができるようになります。

そうすると、周りの人をあるがままに見える。

無理して取り繕う必要がなくなる。これって結構幸せそうじゃないですか?

逆に自信がない人は、自分を好きな気持ちを他人を通じて満たしてもらおうとします。だから、周りにも「もっと自分を見て!」ばかりになる

自分を見て!ばかりだから、周りの人が見えなくなる。せっかく周りにいるのに、いないも同じになる。

これって、例え好きな人がいてもちょっと残念ですよね。。


ちなみにこの「自信を持つ」というのは少林寺拳法の2大標語

「自己確立」「自他共楽」の一つに掲げられ、とても大切な事とされています。

自然体で考えたら、自分を満たせてない人が他人の幸せまで考えるなんて無理だわなー。

と、いうわけで自分をたまーに律しつつも、愉快に生きていきましょう!

※上記思想の多くは加藤諦三先生の著書と少林寺拳法の哲学を自分なりに解釈しています。興味があれば見てみてください。


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