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流れをつかむ日本史「明治時代 中編」

トモーロです。

今回の、流れをつかむ日本史は明治時代中編を見ていきます。

前回は、武士が政府からどんどん排除されていき、西南戦争によってとうとう武士の時代が終わりを告げました。

このとき、他方では別の争いがありました。

それでは見ていきましょう!


<自由民権運動>

征韓論が中止となった時、実はもう一つの組織が動いていました。それは板垣退助(いたがきたいすけ)率いる言論の自由を目指す組織が起こした運動でした。それが自由民権運動です。

彼らの望みは、議会において民主的な発言ができるような改革を熱望していました。

板垣退助は、民選議院設立の建白書を提出し「明治政府の政治は、特定の藩の出身者で、ある一部のの上級の役人だけが権力を握って政治をしている」と指摘しました。

そこで、当時の政府の中心にいた大久保利通(おおくぼとしみち)は自由民権運動に対して、譲歩と弾圧を行った。

利通も欧米に習い国民に納得させながら政治を行っていくことには賛同していました。しかし、一人ひとりに意見を言わせていては騒ぎを起こします。

そのため、政府を降りていた板垣退助と木戸孝允を招き会議に参加させ、妥協案を提示した。ここから板垣退助と木戸孝允は政界に復帰。

自由民権運動の動きは徐々に収まっていきましたが、それでも反対派は存在し、改革に不満を持った士族たちに大久保利通が暗殺されてしまいます。

これを機に政府の中心は大隈重信と伊藤博文となる。また、自由民権運動の質が変化していきました。

征韓論の中止から、武力で反乱を起こした西南戦争組と言論によって異議申し立てをした自由民権運動組に分かれました。

結果、西南戦争組は鎮圧されましたが、自由民権運動は存続しています。このことからわかるように武力よる反乱はもはや時代遅れだという雰囲気が出てくるようになりました。

言論活動がさらに活発化し、運動は農村部にまで拡大していきました。あまりにも広がる運動に対して政府は集会条例を制定し、届け出なしの集会を禁じました。


<明治十四年の政変>

新たに政府の中心になった大隈重信と伊藤博文ですが、この両者の意見が対立してしまいます。

大隈重信は、国会を早期に開放しイギリスのように「国民が選挙で選んだ国会議院から内閣が組織される仕組みを作るべき」という主張でした。つまり、議員内閣制です。

一方、伊藤博文は「まずは、ドイツ流の憲法を時間をかけてつくるべきであり、議院内閣制は時期尚早である」という主張でした。

この意見が対立している最中に事件が起きます。それが明治十四年の政変です。

当時、政府は北海道にビール工場、農園、炭鉱、製糖所などの政府所有物に1400万円の投資をしていました。

そこの責任者であった薩摩藩出身の黒田清隆がなんと同じ薩摩藩出身の商人の五代友厚に38万円で売ろうとしてしまいました。

これに反発したのが自由民権派であった。彼らは薩摩のつながりの癒着で不当に官有物を譲り渡しているという汚職が疑われてしまいます。

このことに国会の早期開設を図る大隈重信が自由民権派と手を結び、自由民権運動をあおったとされ、大隈重信は政府を下ろされました。

それでも事態は収束せず、政府は10年後の国会開設を約束しました。ここから伊藤博文のワントップ体制になります。

すでに10年後の国会開設が決まったため、自由民権団体は地下組織ではなく、政党としての役割を持つようになりました。


<大日本帝国憲法の発布>

この時日本最初の党が出来上がりました。それが板垣退助率いる自由党です。その後、大隈重信率いる立憲改進党ができました。両者の意見の対立は、主に選挙権でした。

自由党は士族や農民が多く、選挙権が納税額によって制限されるべきではないという主張でした。

立憲改進党は、納税額が多いほど貢献度も高い選挙県に与えるべきという主張でした。

このように、日本でできた最初の党であったがこの時の政府の中心人物の松方正義が起こした税制政策によりデフレ状態となり両党は解党となった。

ここから日本の内閣制度が始まります。

「元老」と呼ばれる有力者たちの推薦を受けて、天皇より内閣づくり命じられた内閣総理大臣が各省庁の国務大臣を人選して天皇に任命してもらい組閣し、政府とする仕組みとなった。

元老たちの意向が国務大臣の人選に強く影響しました。日本初の内閣は第一次伊藤博文内閣でした。藩閥政府であると批判も受けた。

政策の中心は憲法の作成でした。憲法の案が出来上がると伊藤博文は、それを審議する枢密院の議長を務めるため総理大臣を黒田清隆に譲りました。

そしてついに大日本帝国憲法が発布されました。天皇が定め民衆に与えるという欽定憲法による法律でした。


<まとめ>

いかがだったでしょうか。今回は、明治時代の中編を解説していきました。

今回は、明治時代の政治について主に話をしていきましたが正直めちゃくちゃ難しい。(笑)

この記事を見て、言ってることが違うと思うかもしれませんがすみません、勘弁してください。(笑)

次回はいよいよ日本が中国、ロシアに攻め込んでいきます。たのしくなってくるとおもいますので次回もお楽しみに。



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