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7年前、鹿児島

7年前、6月に鹿児島へ行った目的は、住み込みの仕事に付いていた18歳の甥に会うためだった。
彼は、自宅のある東京近郊の高校を1年で中退、最初の職場も辞めて独り立ちを誓って縁のない鹿児島で再就職。1年経った頃だった。
小さい頃からなんやかんや関わっていた僕は”煩いオジサン”のはずだけど、どんな暮らしをしているか気になっていたし、初めての鹿児島を一人ふらふらしたいなというのもあった。

城山公園から桜島を眺めて、ここは薩摩という国だと思った。
100キロ離れていても拝める富士山は、富士五湖あたりに近づいてその大きさ美しさに惹かれるけど、それとはまったく違う風格。誰もが語れる富士山に対して、桜島を語る資格は地元の人にしかないような気さえした。

甲突川の畔では、ひとつの碑に目を留めた。少年だった西郷隆盛や大久保利通が駆け回っていた場所に藩による郷中教育の教えが書かれていた。
外科手術を経験したり、肉体的にも精神的にも上下の激しかった40代を抜けて50歳。
残りの人生を想うことが多くなった頃に出会ったじんわりとくる一文だった。
今も消していないスマートフォンで撮った写真がこれ。

「似たるこそ 友としよけれ 交はらば われにます人おとなしき人」

残る人生、よき友人と付き合っていきたいと強く思った。

天文館の居酒屋で飲んだ芋焼酎は美味しかった。

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