としごろ
同年代の友人の、「定年」を見据えて人生設計をしているといった話を聞くことがここ1週間で3回もあって、そういう年齢になったのだと思うとともに、定年の無い生き方を選んだ自分を顧みる。
実は、この機会に調べて初めて60歳定年の会社が8割にもなることを知った。年金支給開始が原則65歳なら、50代の半ばを過ぎれば色々思案して当然か。
大手企業や公務員として勤めている彼ら友人たち。
ある人は、定年したら趣味の自転車で長い旅に出るため今から体力づくりに取り組んでいると言う。ある人は、NPOでもいいから地域活動などで情熱を持って取り組めそうなところを探し始めていると言っていた。またある人は、嘱託延長を断ろうとしている理由をいろいろ聞かせてくれた。
たぶんこの年齢になると、これからの出世にもう意外なことは無くて、役員派閥争いの渦中にでもない限り、今後の配属や収入なども想定できて、その後についても多くの先輩上司のパターンがあって、必要なら聞いて自分のプランにおおいに参考になるだろう。
僕は60歳以降の過ごし方を、彼らほど具体的には考えていない。
「こうなったらいいな、こうなりたいな、でもどうかな」なんて多分に曖昧なまま感じの夢、目標は変わらず持ち続けていて、60が迫って焦るということでもない。
いつ人生が終わるかわからないという達観感は増しているけどね。
多難だった40代を過ぎて、子供たちも成人した50代からが自分のペースを取り戻したある種再スタートだった。
身の程も、運不運も、時代変化も、思うようにいかないことも、そして抱えている責任も、いろいろと踏まえた上でようやく描けるイメージがある。
計らずも立て続けにあった定年話に、友人たちとはずいぶんと離れたところで生きているのだと改めて思った。
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