見出し画像

「言葉にできない」はもっと大切にした方がいい

例えば取材をして、その方の発した言葉を受け取った時、

「何でそう思ったんだろう」
「何がそうさせたのかな」
「この背景にあるものってなんだろう」

がどうしても気になってしまうことがあります。

そこがあきらかにならないと「本」や「記事」にならないってこともあるんですが、私の場合は、そうやって「理由」を突き詰めていくのが好きで

「あきらかにしたい」気持ちが強いんだろうと思います。自分がまず、理解したい、納得したいんだ。そうでないと、伝えられないから。

一方で、その記事がどんなに有効なノウハウを説明していたとしても、それは読んだ人、受け取った人がそれを扱い、行動を変容させられるとは限りません。

伝えることで、読み手に影響を与え変化をもたらしたいのであれば、

ただその情報を伝えるのではなく、理由が必要、なんですね。

さとゆみさんの本(何回も読んでます!)にも同じような指摘がありました。

※アソシエイトリンクです


その「なぜ」が理解できた時、外からの情報を「自分ごと化」することができるからです。そう、自分に必要なのかどうか、それを取り入れる自分にとっての意義や目的が、見えてくる。

人は、納得しないと動けない生き物なのであった。

用心深い私もそうです。

なぜ?それをするの?がわからないと、なかなか動けない。変わらない。取材をしたり、本を書いたりする以上は、どうしても「わかりやすさ」が求められるけれど、わかりやすさだけでは、人は変わらないのよ。


***

でも、なぜ、がわかるのは心地よいけれど、「なぜ?」と人から聞かれるのって、場合によっては苦痛ですよ。

いきなり聞かれたって、急には言葉にならない。
考えていたとしても、頭の外に出したことのないモヤモヤは、すぐに音になって、意味になったりはしません。

(一度、プロのライターさんなどに取材してもらうと、よくわかる)

言葉にできない。その気持ち、感覚。そんなところへ

なぜ、そうするの?
なぜ、そうなっているの?

質問責めの末、言葉にならないのを「解答なし」とされてしまうのって、切ないよね。

これは、ライターやインタビュアーの世界だけの話ではなくって、

言葉になるものもあるし、ならないものもある、に加えて、「言葉にする必要がない」ことだってあるよな、と知っておきたいと思ったのです。

人のこころって、本当に多様で、うつろいやすく、儚いもの。昨日の自分と今日の自分の一貫性なんてあったもんじゃない。

言葉にできない今は、言葉にする必要がない今なのかもしれない。だったら、言葉にできないことは、「沈黙」に置き換えたっていい。

そういうの、もっと大事にされてもいいんじゃないか。

言葉にできなきゃダメだとか、1行で伝わらなきゃ終わりとか、そんな本もあふれているけれど、誰かからそう言われて戸惑う必要なんかは、本当にないのだ。

考えても、考えても、あの涙が出るような瞬間のことは、言葉にできない。言葉にしたら、全部を台無しにして、壊してしまいそうな気がする。

だけど、それらを超えた向こうに、霧が晴れたように視界が開ける・・なんてこともあるかもしれない、考え続けていれば。つまり、言葉にしなければ。

*****

私自身も何かしらかきながら、読みながら、創作する人の近くにいながら、改めて思うことは、

私たちが「作品」を楽しめるのは、外側からは見えない、言葉にならない膨大な時間があったからです。表現しようと思えるのは、その何十倍も言葉にならない時間を過ごしているからです。

それが「本当」だと思うし、だからこそ、その無言の上に生まれた作品を、リスペクトしたいし大事にしたいなあって、思うのですよね。



【お知らせ】

★「本づくりゼミナール」(メンバーシップ)メンバー募集!

本を書きたい、創作したい、発信していきたい人のためのオンラインコミュニティ、6月も募集します。現在メンバーさんとnote創作大賞に向けて準備中!一緒に駆け抜けましょう〜!参加は月初がおすすめです。

★本ゼミお試しには、こちらのマガジン!(全8本1980円)

シン文章塾「伝伝塾」オープン!
自分の文章が見違える!基本から応用まで3ヶ月でマスター。次回は秋ごろ募集開始です。私も「本づくり」テーマに一コマ担当します。





いいなと思ったら応援しよう!