「言葉にできない」はもっと大切にした方がいい
例えば取材をして、その方の発した言葉を受け取った時、
「何でそう思ったんだろう」
「何がそうさせたのかな」
「この背景にあるものってなんだろう」
がどうしても気になってしまうことがあります。
そこがあきらかにならないと「本」や「記事」にならないってこともあるんですが、私の場合は、そうやって「理由」を突き詰めていくのが好きで
「あきらかにしたい」気持ちが強いんだろうと思います。自分がまず、理解したい、納得したいんだ。そうでないと、伝えられないから。
一方で、その記事がどんなに有効なノウハウを説明していたとしても、それは読んだ人、受け取った人がそれを扱い、行動を変容させられるとは限りません。
伝えることで、読み手に影響を与え変化をもたらしたいのであれば、
ただその情報を伝えるのではなく、理由が必要、なんですね。
さとゆみさんの本(何回も読んでます!)にも同じような指摘がありました。
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その「なぜ」が理解できた時、外からの情報を「自分ごと化」することができるからです。そう、自分に必要なのかどうか、それを取り入れる自分にとっての意義や目的が、見えてくる。
人は、納得しないと動けない生き物なのであった。
用心深い私もそうです。
なぜ?それをするの?がわからないと、なかなか動けない。変わらない。取材をしたり、本を書いたりする以上は、どうしても「わかりやすさ」が求められるけれど、わかりやすさだけでは、人は変わらないのよ。
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でも、なぜ、がわかるのは心地よいけれど、「なぜ?」と人から聞かれるのって、場合によっては苦痛ですよ。
いきなり聞かれたって、急には言葉にならない。
考えていたとしても、頭の外に出したことのないモヤモヤは、すぐに音になって、意味になったりはしません。
(一度、プロのライターさんなどに取材してもらうと、よくわかる)
言葉にできない。その気持ち、感覚。そんなところへ
なぜ、そうするの?
なぜ、そうなっているの?
質問責めの末、言葉にならないのを「解答なし」とされてしまうのって、切ないよね。
これは、ライターやインタビュアーの世界だけの話ではなくって、
言葉になるものもあるし、ならないものもある、に加えて、「言葉にする必要がない」ことだってあるよな、と知っておきたいと思ったのです。
人のこころって、本当に多様で、うつろいやすく、儚いもの。昨日の自分と今日の自分の一貫性なんてあったもんじゃない。
言葉にできない今は、言葉にする必要がない今なのかもしれない。だったら、言葉にできないことは、「沈黙」に置き換えたっていい。
そういうの、もっと大事にされてもいいんじゃないか。
言葉にできなきゃダメだとか、1行で伝わらなきゃ終わりとか、そんな本もあふれているけれど、誰かからそう言われて戸惑う必要なんかは、本当にないのだ。
考えても、考えても、あの涙が出るような瞬間のことは、言葉にできない。言葉にしたら、全部を台無しにして、壊してしまいそうな気がする。
だけど、それらを超えた向こうに、霧が晴れたように視界が開ける・・なんてこともあるかもしれない、考え続けていれば。つまり、言葉にしなければ。
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私自身も何かしらかきながら、読みながら、創作する人の近くにいながら、改めて思うことは、
私たちが「作品」を楽しめるのは、外側からは見えない、言葉にならない膨大な時間があったからです。表現しようと思えるのは、その何十倍も言葉にならない時間を過ごしているからです。
それが「本当」だと思うし、だからこそ、その無言の上に生まれた作品を、リスペクトしたいし大事にしたいなあって、思うのですよね。
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