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早く行きたいならひとりで行け。遠くへ行きたいならみんなで行け

「早く行きたいならひとりで行け。遠くへ行きたいならみんなで行け」

20代半ばの頃から、私の身体の中心を貫いてきただろう言葉といえば、多分きっと、これだと思う。

小学生の頃から国内外の転校を繰り返してきた私にとって、関係性はいつも「ひとり」で、「出会ってもいつか別れるであろう」ものだった。けれどそれは、mixiの誕生を経て、「時を超えてつながり、再会する」体験を経て、「シームレスな世界の到来」を予感させた。

田舎の私たちにとって、世界は家の中と学校がすべてで、頻繁に本屋を訪れては雑誌を開き、「今ここにないどこか」への憧れを募らせた。だから私はいつだって「ここではないどこかへ」と願ってやまなかった、のだけれど。何日も何十日も何年も経った後、「この場所からどこかへ」と志すことはまだあの時は知るよしもない。

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最近、「人生は続いていくのだ。別れることも、出会うことも、すべて内包しながら、地続きで」とよく想う。逃げることはできない。忘れることも忘れきってもらうことも、出会って感動したことも、出会わなかったふりをすることも、裏切ったり裏切られたりしながらも。けれどそれでも色々と続いていくのだ。

だって、生きているのだから。

であれば関係性は、美しくとまでは欲張らずとも、嫌いになったり嫌われたりしつつでもいいから、保ち結び、強くしながら、最終的には弱々しくてもせめていいから。広く伸びやかに、「続いていくもの」でありたい。

「何をやるかではなくて、誰とやるかが大切だ」と誰かが言った。もとい、「それにこだわりたい」と言った人がいた。その人は、まだ私の近くにいるけれど、初めて聞いたときは意味が分からなかった。

■「灯台もと暮らし」というウェブメディアを作っています。|note|伊佐知美(2016/1)

つらりつらりと文字を連ねながらも、「私は今日、なんでこんなnoteを書き始めてしまったのかな?」と不思議に思っていた。私は結構、いつも見切り発車でこのnoteを書き始める。冒頭の数文が空から降ってきてしまったら、それはもう仕方がないのだ。指から世界へ、言の葉を歌うしかない。

そしてそうやって始められた文章をなぞるように指を動かしながら、打ち重ねられた文字列をこの眼で見て、今ようやっと「あぁ」と思えた。

そうか今日は、彼の誕生日なのだ(って知ってたけど)。私は自分が所属している会社の代表が大好きなことを公言している。だから別にnoteで言ったところで今さらなんだけれど、まぁとりあえず、「何をやるかではなくて、誰とやるかが大切だ」を数年をかけて教えてくれたのがあの人だった。

この数年間、私は、彼の判断をこの世界で一番信頼していた。

そして彼らと一緒に生きて、「好きと得意と求めてもらえることの交差点」で見つけた小さな石ころを少しずつ磨いたり増やしたりしていきながら、私ももう5年目の書き物人生に入ってしまう。

これが最短距離だったのだろうと思っている。そしてこれからは、その昔「ここではないどこかへ」と願っていた私が思っても見なかった遠い場所へ、また出かけることができるのではないだろうかと思っている。

想像できることは、実現できるのだ。であれば、想像できるだけの力を蓄えなければならない。女は、ともにする男性の器以上に大きくなれない、みたいなことを親しい誰かが言っていた。それに似ていて、抱く夢の大きさは、私の心と関わるひとたちの豊かさと潤いに比例する。


余談だけれど、「好きなことをしながら生きられて、いいですね」という言葉もあるのだろうと、思っている。そのことについて大声で言及して馬鹿みたいに笑うことに関しては、なんだかずっと心に引っかかっていて、その理由は今度は別のひとが教えてくれた。

こんな風に、きっと拡がっていくのだ。なにかどこかに辿り着いたことで、終わりなんかじゃない。

そもそも「普通ってなんだろう?」という話だよね。普通って何がいいの? みんなと一緒の安心感? みんなが憧れる、今までの世の中がいってた「これが幸せ」なんてそんなに簡単でもないし、それを得たことが一生の幸せにつながるわけでもない。病気になったり、怪我をしたり、いろんなことが起きるわけじゃないですか、人生。そこにおいて、「普通」ってすごく頼りない概念で。目に見えない普通である幸せっていうことを、闇雲に目指してもしょうがなくて。

生きるって簡単じゃない。だからこそめいっぱい走ろう、私たちはひとりじゃないから|『ピンヒールははかない』著者・佐久間裕美子

色んな場所で、色んな魅力的な人たちから、色んな言葉や匂いをもらって、私の人生と言葉と写真は彩られてきた。高校の友だちも、大学の友だちも大好きだ。少しひん曲がってしまった私の常識や感性を、「ねぇねえ前はそんなじゃなかったし、今でも私たちはこう考えているよ」と笑いながら教えてくれる。

タッチポイントは、多いほうがいい。会えるなら、より多い頻度で会いたい。触れることが許されるならきっと触れたほうがいいし、言葉でも笑顔でも時にはモノにつないでもらったりしてもいいから、あなたたちとまだこれからも一緒に生きたい。

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いつもみたいに、複数の話を混ぜてしまった。から私の話は抽象度が高いと言われてしまうのだ。具体の話をしてるつもりで、そのじつ何も話していない。

とりあえず今日言いたかったことは、鳥井弘文がおめでとうだ、ということと、あともう少しは、自分では想像もできないような遠くへ行けたらと思っているから、これからも私はWaseiや #旅と写真と文章と#えいとびたー みたいなみんなと一緒にいたい。し、旅を軸に新しいわくわくを育てて大きくして、楽しく笑って生きてゆきたい。そしてまたそれで、たくさんの人に出会って。

だって人生は続くのだ。同じ時代に生きて、同じ風に吹かれて、たとえ国や街が違っても、同じ月が見られるなんて、すごくすごく素敵なことだと私は想う。「そっちは何時」なんて言いながらも、同じ地球に生きているなら、やっぱり「ゆるく続けながら」、また君に会いたい。

いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。